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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

『 道徳 』 とは (覚書)




      
    19日の『 道徳 教科化見送り ~中教審~ 』 について、
                   きちんと整理して考えていくために、覚書。


       ( 個人的には、 【 自由と責任は表裏一体である 】ことさえ、
         きちんと徹底できれば、後はどんなシチュエーションでも、
         自分が取るべき道が、自分に見えてくるのでは、、、と考えている )。



    道徳  とは、

    ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、
    正しく行為するための規範の総体をいう。

    法律と違って、外的な強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、
    その社会での 人間相互の関係を規定するもの である。
     (「 超越者 」との関係になると、それは「 宗教 」になる)。


    ● ウィキペディア(Wikipedia)に記されている『 道徳 』


     道徳(どうとく)や倫理(りんり) 、あるいはモラルとは、
     社会や共同体において習慣の中から生まれ、通用するようになった規範のことである。
     法律などの規則とは意味合いが異なる。

     社会的習慣や礼儀・作法もその範疇にあるとされ、
     自然発生的な教えが多く、明確な定義はない。
     道徳や倫理について分析し、考察をおこなう学問分野を倫理学という。

     地域・時代に応じて異なり、社会的影響を受け変化する場合がある。
     また、多くの宗教の教えと重なる部分が多い。
     異なる社会や共同体では異なる倫理・道徳があることは当然であり、
     普遍的倫理や普遍的道徳といったものは存在しない。
     このことを忘れると集団的エゴイズムに陥ることになる
     (しかし、差別や蔑視、権力者の圧力、宗教などの洗脳による状況を
      引いて考える必要があり、その場合の道徳の差異は
      思われているほど離れているわけではない)。

    「 道徳を守ることは、正しいのである 」と広く考えられているため、
     政治的に利用されやすい

     為政者に都合の良い教えを道徳とし、
     社会的な規範とすることで人民を容易に拘束できるため、
     封建社会などでは領民を精神面で押さえつけることに利用された。

     また、近代以前の社会(特に東洋)においては
     法律と道徳の未分化状態が長く続いていた。


   ■ 日本の道徳

     日本の道徳は、自然を愛した古代日本人の心情を基調とし、
     それを応神天皇の頃に伝来したと言われる論語などの言葉を当てはめ
     説明されるようになった。

     以来天皇の理想的統治形態は徳治であるとされ、それに基づく帝王教育がされてきた。
     また、清和天皇以降の歴代天皇は、名前に「仁」の文字をもつのが慣例となった。

     天皇が支配の実権を失った室町時代にも世の乱れを省みない将軍足利義政に対し
     後花園天皇が苦言を呈したのもこの徳治主義によるものである。

     江戸時代には儒教のひとつ朱子学を中心に
     仏教や神道などの影響を強く受けて形成された。
     侍には武士道、商人には、商道など、身分に分かれてそれぞれ道徳が形成されていた。
     武士道では、「上を敬い、下を導く」と言った上下関係を重んじる傾向が強く、
     君に忠、親に孝を説く儒教道徳を基本とし、
     「努力」「忍耐」と言った修行的性格を美徳としている。

     曲亭馬琴の南総里見八犬伝に見られるように
     儒教道徳に基づく勧善懲悪思想は江戸日本人の心の基調となった。

     明治以降、文明開化とともに、西洋の価値観が移入され、道徳も変容した。

     なお、明治政府が統一国家としての共有道徳を創生しようとし、
     天皇制を支柱に伝統的な道徳を再構築したものが教育勅語であったが、
     これは終戦とともに廃止される。

     現在においても、無意識に伝統道徳にしたがって
     行動していると考えられており、日本人の倫理観を形成している。
     日本型管理社会の形成の要因は、この道徳によるところが大きい。

     英米の道徳観は、これとはかなり異なる。
     道徳観は、それぞれの国の文化、宗教、習俗習慣により、かなりの違いがある。

     また、現在の学校教育における「道徳」の前身となるものに「修身」がある。


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       「 修身 」とは、元々の意味は「 自分の心と行いを修め、正すこと 」。

         「 物格而后知至。 知至而后意誠。 意誠而后心正。 心正而后身修
           身修而后家斉。 家斉而后国治。 国治而后天下平 」。  (by『大学』)

           六芸を窮め尽くして知識をもったといえ、
           知識をもてば自ら欺くことがなくなる。
           自ら欺くことがなければ心正しくなり、心正しければ身が修まる。
           身を修めて後、一家をまとめる事ができる。
           一家をまとめて後、国家を治める ことができる。
           国家を治めて後、天下を安定させることができる。 


             ex)「 修己治人 」 by『 大学 』 章句序
                 学問修養に励んで教養人となり、
                 その人格によって人民を平和に治めていくということ。
                 儒家の目指す究極の目標である。



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    ● ウィキペディアに記されている『 修身 』


     修身(しゅうしん)とは、身を修めることを意味し、
     日本の明治時代から昭和時代前期における
     小学校と国民学校で設けられた教科のことである。

     修身は、第二次世界大戦後の道徳に相当するものとも考えられるが、
     大日本帝国の臣民(国民)の育成を目的に行われ、
     筆頭教科に位置付けられていた。
     昭和時代前期においては、皇国の道に則ることが
     学校教育の目的に含まれるようになり、皇民化教育の一翼を担った。

     第二次世界大戦後の道徳の時間については、教科用図書(教科書)が設けられず、
     各教員が工夫して行うことが求められていることに対して、
     修身では、善悪を個別に明示するという徳目主義であったとされ、
     ○×式の試験も行われたといわれる。

     敗戦後、GHQ は、国史・地理と並んで、
     修身が軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書きを出した。
     1950年代に入り、戦前回帰を志向する「逆コース」の流れの中で、
     理性ある社会人を育てるものとして改めて復活したのが「道徳」である。




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      国旗国歌法制定以来、(ほんとはそのずっと前から)
      國は、とある方向へ雪崩れ込み、
      ついに、今回の教育三法改定、改憲への道づくり、
      そして「 道徳教科化 」へ向かうベクトル への 総毛立つ想い。

     「 道徳教科化 」は、まさに『 道徳の修身化 』に他ならないと思う。


      で、それはさておき、こちらもまた青息吐息の公衆道徳。
      目に見えて降下の一途を辿る公共マナーの低下、公共心の欠如をどうするか。


      学校教育に丸投げでは、絶対にいけない。

      それらは、まず家庭の日常生活から。 まず大人から。 私たちから!

      そして、学校の日常では。


      子どもたちの【 本音と建前 】の強化をするだけでしかないような
      『 道徳 』授業は不要である、とこころから思う。

      『 道徳 』の授業で学ぶ様々な事例に、
      子どもたちが建前をすらすら言えるようになってはいけない。

      それらの知識は、形だけの美しい反省文がすぐに書ける技術となり、
      逆に用いて、自己正当化、他者攻撃への知識にもなっていく。


      義務教育下においては、
      美しい音楽や美術、地域散策等々、子どもたちの柔らかな感性や創造性を
      豊かに培い、引き出す授業をもっともっと増やし、
      先生方には、もっとゆっくり、もっとゆったり。

      ひとりひとりの子どもたちと向き合い、語り合うことで
      導き出されるその学習、知識の類が、子どもたちの血となり肉となり、
      勁く、しなやかに生きていく力を育む学校教育であって欲しい。

      『 総合教育 』をフル活用し、お子たちに主体的に参画させ、
      実際に作業をしながら、本音で語り合えるような場作りをし、
      違う考え、さまざまな立場を識り、
      そのうえで目標に向かって皆で努力し、物事を達成していく。

      毎日毎日、学校で起こる事件のなかで、幼き自我や価値観を互いに戦わせ、
      真の公共マナーや公共心は育つのだと思う。
      そのための「 学校 」であるのだ、と思う。
 
      そんな家庭であり、大人であり、学校でありたい、と思う。
      そんな、國でありたい、と思う。


          「 修身 」。

            それはまず、大人から。 國の中枢にいらっしゃる方々から。
            民草のお手本に、是非。

            そして、あなたも。 私も。 ( 自主的に )


ペンメモ

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[ 2007/09/20 00:00 ] メモ メモ ( ..)φ | TB(0) | CM(2)
Re:『 道徳 』 とは (覚書)(09/20)
りうりうさん、

私が確認しようと思っていたことをまとめてくださり、

ありがとうございましたm(_ _)m



正直、いちばん向き合わねばならない現場の人間は、

目の前の子どもたちのことで精一杯です。

運動会の忙しい時期に発表とは、文科省の陰謀か???

というか、教育再生会議の内容は以前から変だなーと思っていました。

あのヤンキー先生も、型破りだからこその価値で、

彼を標準にはできないと思う・・。



道徳や価値観に成績をつけたくはないです。

今ですら、基本的生活習慣とか、公共心とか、○つけなきゃいけないのが苦痛です(>_<)
[ 2007/09/24 09:00 ] [ 編集 ]
Re[1]:『 道徳 』 とは (覚書)(09/20)
ふにふに。。さん、メッセージを有難うございます☆



私自身がどうしてもちょっと抑えておきたかった覚書がお役に立てて、とても嬉しいです!



 > 正直、いちばん向き合わねばならない現場の人間は、

 > 目の前の子どもたちのことで精一杯です。



そうですよね。

先生方にはいつだって、そうであって欲しいです。



「道徳」を強化する以前に、これまでの「道徳」授業の在り方、の

根本からの見直しが必要だと思っています。



子どもたちが、毎日毎日、学校で起こる事件のなかで、実体験を積んで、

真の公共マナーに気付き、公共心が育つよう。



先生方が全力投球できるような体制であれるよう。



ひとりひとりの子どもたちに全力で向きあえる時間をあげて欲しい。



そのための教育改革であり、「道徳強化」でなくちゃならないと感じています。



 > 道徳や価値観に成績をつけたくはないです。

 > 今ですら、基本的生活習慣とか、公共心とか、○つけなきゃいけないのが苦痛です(>_<)



ほんとにね。

ひとりひとりのお子たちの基本的生活習慣や公共心を、

ひとりの先生がどこまで見つめることができ、どこまで把握できるというのでしょう。



子どもたちひとりひとりがそれぞれいろんな段階に在り、いろんな家庭環境のなかに在り。

安易に○とか△とか×とか、つけられるものではありませんよね。



まさに学校と個々の家庭の連携がなくてはどうにもならないはずのことが、

先生方にはそんな時間なく、保護者もまた。。。



つくづく、今の大学制度がまず変わらなくては、

「教育改革」なんて無理やないか、と思うです~~。

[ 2007/09/25 23:20 ] [ 編集 ]
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