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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

三毛作。。。?







      義母とふたりきり。
      休耕田や畑の草取りばかりの長かったGW。

      GWは終わっても、草取りは、これからもずっと、ずっと。 (o_ _)oポテッ

      草取りよりも何よりも、私には苦行だった義母との会話であったが、
      そのなかで、ふたつだけ初耳で、驚愕したことがある。



      義母の分家の嫁としての厳しく辛かった日々の話は、
      それはもう、耳にタコができそうな位、聞かされてきた。

      そして、義母は
      「 決して、三人の嫁に、自分が味わったような想いはさせまい 」と
      決心し、懸命にそのように努力して来たことも。



      今回、私が初めて識ったふたつのうちのひとつは、
      義父母は稲と麦という、二毛作は勿論、三毛作?をしていた、ということ。


      義母と草取りをしながら、私が、

         最近は田に余りレンゲを見なくなったけれど、
         一面の菜の花をよく見掛けるようになった、と言ったとき。
 
      義母は、

        「 レンゲを植えると田がよう肥えるんぢゃけどのぅ、
          うちでは、必ず菜の花を植えとったんよ 」

      識らなかったので驚いた。
      思わず、私の識る義父母の田んぼが一面菜の花である風景を想像し、
      少々うっとり、、、していたら、続けて義母が言う。


         麦を収穫したあと、しっかり、また田を鋤き、
         田植えのように、きちんと菜の花の種を蒔き。

         菜の花を刈り取り、種を取り、工場へ持っていき、油にして貰っていた、と。
         その油を大事に、1年間遣ったのだ、と。


      驚愕した。

      菜種油の存在を識ってはいても、
      まさか、義父母が、麦の後・田植えの前に、
      1年分の料理用のために、菜の花を植え、菜種をつくっていたのだとは。


      そして、もうひとつ。


      義母が嫁に来て、一番イヤで、一番辛かったのは、
      冬に本家の山で炭を焼き、町内に売って歩かされたことだと。

        自分が何処の誰の嫁で、何処から嫁に来たかも識っている家々に、
        本家の炭を「 買って下さい 」と、頭を下げ、売って歩かねばならないのは、
        とても恥ずかしく、辛かった、と。

      そして当然、当時は、洗濯、ご飯炊きも全て手作業で、、、。

      ご飯炊きに、薪を遣うことは許されなくて、
      まずは、お山に、枯れ枝を採りに行き、集めておかねばならなかった。


      夫に 仕える 「 嫁 」というだけでも大変なのに、
      まずは第一に本家の田畑仕事、雑事優先、 本家に仕える のが本分とされる
      「 分家の嫁 」とは、なんと苛酷であることか。

      義母のこころのなかには、確かに感謝のこころもたくさん在るけれど、
      いつだって、もっともっとたくさんの悲しみ、苦しみ。

      辛いときに、誰がどんな言の葉を投げつけたか、どんな仕打ちをされたか、
      決して忘れられず、許せず、恨みやつらみが渦巻いている。


         頑張って来た義母の足跡に、深く感銘を覚えつつ。

         これでは、 「 今の若いもんは 」 と 言われて当然、
         思われて当然、だよなぁ、と思いつつ。

         「 不出来の嫁 」「 至らない嫁 」「 苦労を知らない嫁 」だと
         思われて当然、だよなぁ、と思いつつ。

         その時代に、この地に居なくて、生まれてなくて、ほんとに良かった!!と
         思うしかなく。

         今の時代に、いのちをつないで、生きて在れることに感謝し、
         後退したくない、と願う。



 
    安易に、

     「 物質的に豊かな時代 だから こころを無くした 」 
     「 昔に戻れ 」

    などと、上つ方から、したり顔で言って欲しくない。

    そして、安易に、「 昔に戻れ 」な風潮を許さぬよう、
    今に生きる私は、私たちは、考え、努めなければならない、と思う。

    今なお「 物質的に豊か でない 国々 」に在るひとびとにも想いをはせながら。

                何ができるか。 どうするか。 どう生きて在るか。


ペンえー

            


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[ 2007/05/08 00:00 ] 驚き 桃の木 @@ | TB(0) | CM(10)
素朴な疑問
こっちは、絶対に単作しか作れませんのでのう。

教えて欲しいのです。

小麦(こっち9月収穫くらい)・菜の花(6月位に咲く)・その後稲ですか(こっち10月には終わる)

小麦と稲は、全く別の地域で植えられています。



お義母さんは、義母さんでいろいろ考えてたのでしょうね。この仕事は自分の代で止めようと。

その話を聞けたりうりう*さん、どうでしたか?

この話を聞いて、ウチの父方祖母を思い出しました。

私が小学校の時、亡くなりましたし、その時は温和な人でしたが、厳寒の荒地を開墾するのに大変だったそうです。

厳しい自然と相手に彼女は、とても厳しく貧しいながらも、生き抜いた人でした。(と最近聞いた)

分家で、長男がすべて面倒を見ていたので、全く知らない話です。
[ 2007/05/11 01:39 ] [ 編集 ]
Re:素朴な疑問(05/08)
*春花*さん

北の大地では、あまりに寒く、冬が長いので二毛作はとても無理でしょう。



二毛作はとてもキツいので、義父母も私が結婚したときには既に田んぼでは稲作だけでした。

夫も麦のことはうっすらと覚えているだけだ、と言います。

5~6月に田植えをして10月に収穫して、田を鋤き、麦を蒔きます。(大豆も)

麦には冬越えをさせ、春に収穫。 霜が麦を突き上げるので、皆で『麦踏』をします。

そして田を鋤き、田植えをして、、、。



畑では大豆やジャガイモ、大根、人参、玉葱、葉もの(煙草もつくっていたそうです)、、、。

山では、椎茸作り。

義父は、若い頃は教員でしたが、杜氏として関西へ出稼ぎにも出ていた由。



んで、その間に菜の花(3~4月に咲く)まで植えてたと。

田んぼはフル稼働です。

これも、稲は苗代で別に発芽させて苗をつくるからこそできるんですよね、きっと。



 > この仕事は自分の代で止めようと。



否、です。

義父母は、3人の息子をこの地から3人とも巣立たせましたが、(3人とも)いつか帰省し、

常に自分たちを助け、兼業農家となってくれることを熱望していました。



だから、義母はとても不本意で、とても悲しく、淋しいのです。

稲作をヤめることにしたとき、義父母共に涙を流しました。

めちゃくちゃ働いて本家から授かったり、自分たちで買い足したりして、

死ぬ想いで守って来た田んぼですから、それを荒れさせるなど思いもよらないことでしょう。



義母の立場で考えれば、何もかも無理もなく、

昔の方々の生のための壮絶なる闘いに、私はただただうな垂れるだけ、です( ┬_┬)。

[ 2007/05/11 07:37 ] [ 編集 ]
Re:三毛作。。。?(05/08)
お義母さまにしてみれば、本当に無念だったのでしょうね。

そして嫁にはこんな思いをさせまい、というのも決して口先だけのことではなかったのですね。



たかだか1世代前にそのような生活があったことに、驚かされます。

都会と田舎の生活様式や意識の違いにも。

私達の両親の世代の、戦争体験と同様、それも語り継がねばなりませんね。

[ 2007/05/11 10:58 ] [ 編集 ]
Re:三毛作。。。?(05/08)
 うんうん、そうですよね。水をかめに入れ、頭の上に乗せて長い距離を歩いて運ぶ人々が、いまだ、変わらずあるのですよね。

 今の暮らしには今の暮らしなりの苦労もあるけれど、昔から踏襲されてきた「しきたり」の中にある差別的なものの考え方や偏見は、幾らかは軽減されたのではないかと思います。ただ、この時代だからこそ、謳わず心の中にその見下げる気持ちをひそかに持ち続けている人も少なくはなく、こう言う偉そうに言っている私自身も、実は、雇用している障害を持つ子に対して、いくらかの見下げるような、卑しい心を見つけることがあります。そんな時って、すごく悲しい。



 何をするではなく、どう感じるか。そこの部分で大きな差が生じると言う思いがします。って、取りとめがないですね・・・・。では・・・。
[ 2007/05/11 12:12 ] [ 編集 ]
Re:三毛作。。。?
何度も読ませていただきました。。。

私には、農水産物はお金を出して買う物。

農家の方々の物理的精神的なご苦労も、喜びもわからないのだなぁと、

日々口にする一口一口をなんと粗末にしていることかと、

汗をかきつつ読ませていただきました。

二毛作といえば鎌倉時代の農業改革とか、菜種といえば二宮金次郎とか、本で読んでわかったような知識しかなく、漠然とした大変さと漠然とした牧歌的な風景しか思い浮かばない貧弱さ。

父の実家は今でも専業農家をしているにもかかわらず。

恥ずかしいです。

私たちには子どもたちに伝えなくてはならないことがたくさんありますね。

上つ方が何を言おうとしようと、先人のご苦労も、今の生活を支えるものも、

まず自ら知って伝えなくてはと頭を下げつつ思いました。。。
[ 2007/05/11 22:08 ] [ 編集 ]
Re:三毛作。。。?(05/08)
そんな大変な苦労をされた方がまだいらっしゃるから なんとかなってるように思いました。

ワタシは子供やこれから来る お嫁さんになにができるのかな。。。



[ 2007/05/12 14:56 ] [ 編集 ]
無念。
からす2007さん



 > お義母さまにしてみれば、本当に無念だったのでしょうね。

 > そして嫁にはこんな思いをさせまい、というのも決して口先だけのことではなかったのですね。



はい。

義母の立場に立ってみれば、つくづく、三兄弟とも「嫁取り」を失敗していると思います。

三兄弟もそれを判っているからこそ、無理して無理して、農作業優先、実家優先で頑張って来た。



でも、少なくとも結婚にあたって、私にそんな覚悟は露ほどもなかったし、

義姉たちもそうであり、特に次義兄のつれあいさんは、ご実家が農家であるが故に、

「農業なんて2度と真っ平」なお気持ちが強く。

正直、私も結婚前に結婚後のような生活が待っている、と識っていたら、結婚、してません(汗)。



 > たかだか1世代前にそのような生活があったことに、驚かされます。

 > 都会と田舎の生活様式や意識の違いにも。



私もです。 この地がこの町内でも異常に「古い」土地であることは否めませんが、

多かれ少なかれ、農業や畜産、漁業、林業、、、第一次産業に従事して来られた土地では、

ちょっと前はこんな感じで殆どの方々が苦労に苦労を重ねて来られたのだと思います。



 > 私達の両親の世代の、戦争体験と同様、それも語り継がねばなりませんね。



そう思いました。

「古き良き時代」「美しい國」と美化するばかりではならないのです。

民草の、義母のこころのなかに、どんな恨みつらみ悲しみが渦巻いているか。

民草の生きるための辛い闘いを乗り越えるための凄絶な体験の数々は、

決して義母特有のものではないと思いますから。

[ 2007/05/13 07:37 ] [ 編集 ]
水を運ぶ。
さきさん1850さん



 > うんうん、そうですよね。水をかめに入れ、頭の上に乗せて長い距離を歩いて運ぶ人々が、いまだ、変わらずあるのですよね。



さすがに生活用水では、そんなことはありませんが、

小規模の農業では、今なお、さきさんが書かれたような感じですよ。

畑への水撒きは、農業用水路までバケツを下げて汲みに行き、何10往復もしますです。



 > 昔から踏襲されてきた「しきたり」の中にある差別的なものの考え方や偏見は、幾らかは軽減されたのではないかと思います。ただ、この時代だからこそ、謳わず心の中にその見下げる気持ちをひそかに持ち続けている人も少なくはなく、



あからさまな差別言動が減った分、陰湿化して来た、と言われて、もう30年以上になります。

自己点検のためにも、まずは相手の立場に立ってものを観る、感じる、考えること。

そのためには、相手の立場を識らねばならず、相手の背負っているもの、に

想像力を働かせるこころが必要ですよね。



 > 何をするではなく、どう感じるか。そこの部分で大きな差が生じると言う思いがします。



どう感じて、どうするか、だと思っています。

ふぁいと、ふぁいと、ですね☆

[ 2007/05/13 07:48 ] [ 編集 ]
牧歌。
ゆうやけぐもさん

私の衝撃にこころを寄せていただき、有難うございます。



農家においての分家は、ゼロからのスタートで、本家に仕え、本家に尽くしての見返りやら、

自分たちのなけなしの余力で、自分たちの田や家を持って行く訳ですから、

当時の義父母の厳しい生活は、耳タコ気味ではあったのです。

ですが、この菜の花と炭については初耳で、非常な衝撃を受けました。

こんな風に爪に火を灯すような生活をし、ようやくそれなりに家を構える位の貯金が溜まったら、

経済恐慌で、家1軒分のお金が一夜明けたら鋤1本分に。

これ以上下がっては!と義父はそのお金を鋤に替えた日、

その鋤を持って、ずっと外に立ち尽くしていた、と義母が言ってました。



私も母は牡蠣の網元の娘だったとはいえ、父がサラリーマンで、

サラリーマン家庭に育ちましたから、見聞きすること全てが衝撃で、

私にはとても務まらない、と、萎え萎え状態。

んでも、都会に在るのも、田舎に在るのも、同じ「ひと」であるのですから、

「都会に育った我儘、ひ弱」云々と嘆かれても仕方のないこと、なのだと頭で理解しています。



お父さまのご実家は、専業農家でいらっしゃる由^^*☆

生きたお話が伺えるチャンスですね!



 > 私たちには子どもたちに伝えなくてはならないことがたくさんありますね。



本当に そう 思います。

私たちが、今、生きて 在ること。

決して当たり前ではなく、神代の昔から、幾多の厳しい時代をいのちを繋いで繋いで、ここに在る。



たかが一世代二世代前のこと、識らなくてどうするんだ、ですよね。

先の戦争然り。

民草の紡いで来た歴史をもしっかり伝えなくては、と思いました。



耳タコのお話も、きちんと聴こう>ぢぶん。。。。

[ 2007/05/13 08:43 ] [ 編集 ]
私たちの時代。
tiara_pittさん



 > そんな大変な苦労をされた方がまだいらっしゃるから なんとかなってるように思いました。

 > ワタシは子供やこれから来る お嫁さんになにができるのかな。。。



私たち自身が「姑」となる日も、きっとすぐ、なんですよね。

社会に対しても、もう「無責任」では在れない。

イヤなら自分で変えよう!な中堅世代。



あれやこれやと想いはつきません。。。。。

[ 2007/05/14 08:04 ] [ 編集 ]
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