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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

「 大学へ行って良かったこと 」







    一昨日の 「 2年生保護者進路説明会 」で、

    講師の方から伺った、7000人の大学生に聞いた「 大学行って良かったこと 」。
    企業人事部に聞いた「採用基準」。(何社に訊ねたかはメモし落しました(汗)。)

    非常に興味深かった、というか、ショックでもあったので覚書。



     まず、大学生に聞いた「 大学に行って良かったこと 」。(複数回答可)

       ● 好きな分野の学問ができた。        数%
       ● アルバイトができた。            10数%
       ● 好きなように遊べ、自分の時間が持てた。  30数%
       ● 友だちができた。           73%

              orz....  ま、現実は、こんなもん、なんでしょうか( ┬_┬)。


     企業が採用時に重視すること。(複数回答可)
      
       ● 一般常識がある。       10%
       ● 基礎学力がある。       25%
       ● 明るい。            30%
       ● 熱意がある。         50% 
       ● バイタリティを感じさせる。  55%
       ● コミュニケーション能力が高い。72%


     はぅぅ。

     現在、高校卒業時の半数が4年制大学に進むというデータ。

     この國の18歳から22、23歳位の若者の半数が大学に進み、
     そのなかで、医学部を筆頭に、専門分野に学び専門分野に就職する学生以外は、
     「学生」の身分に ウン百万円 を費やし、
     「自分の時間」をたっぷり使って友人を得て、それなりに揉まれ、
     コミュニケーション能力を身につけ、就職する。


     大学で本当に学びたい、と思う学生は、理系中心にその殆どが大学院へ進む。
     ( 院進学者は、10年前の1.5倍の10万人 )

     なんと恵まれた、倖せな國であることか。(皮肉)
     これでは、大学に入ることが実質ゴール、だと言われても仕方がないのかも知れない。

     企業内での「能力主義」システムは、充実しつつあり、
     確かに、○○大学卒、というブランドは、通用しなくなって来つつはある。

     だが、一流と呼ばれる企業、そして公務員の世界ほど、学閥は脈々と受け継がれ、
     ブランド重視されるのもまた、事実である。

                       ( 私の『 大学考 』は  こちら  )

怪獣くん



    AO試験は、大学が、これまでの点数至上主義に疑念を抱き、
     「 テストの点数よりひとりひとりの熱意や、適性、将来性が観たい! 」
    という試験であり、大学によって様々な形を取る。

    チャレンジする受験生が、
     「 どうしてもこの大学のこの学科を受けたい!! 」
          何故なら○○だから。
          ○○目指して学びたいから!
          私はこの大学で○○をしてみせる!
    、、といった具体的な意欲と熱意、希望を語れるシステムで、
    実は私は、とてもいいシステムだと思っている。

    本当に行きたくて、真摯に学びたくて仕方ないひとびとに、
    大学は、是非、広く門戸を広げて欲しい、と願うからである。


    このAO試験にエントリーするには、高3の夏休み前には決定する必要があるため、
    早くは高校2年次から自分たちでよく研究し、3年春には願書を取り寄せねばならない。

       本気で、自分の学びたい大学の学科を狙うには、
       これぐらいのことが当たり前になって来るのだろう。

       性格的に向き不向きはあるが、(断然不向き>下の少年 (o_ _)oポテッ)
       ある程度の場慣れ、トレーニングでクリアして行けるものであり、
       不得手であっても、熱い想いで乗り越えようとするこころが大事なのだ、と思う。


    ただ、特にAO試験を受験しようと思うひとは、、という講師の御方の説明で、

   「 志望大学には、オープンキャンパス等に必ず出向き、足跡を残して来ること 」

        それは、入学後の自分を具体的にイメージすることで、
        夢を実現させるための、より頑張れる底力になるから。

        入学後に実際にキャンパスを見て、こんなはずじゃなかった!
        馴染めそうにない! などと少しでもそうならないために。

        そして、その足跡は大学に対するアピールにもなるのだ、、、、と言われ、

   その3番目の理由は、まるで、就職活動みたいや、、、とふっと思った私(汗)。


        子どもたちの数はどんどんと減り、大学の数はどんどんと増え。
        それなりに淘汰されつつも、来春は、大学全入時代を迎える。


        大学は 何処へ行く?

          学問の府としての責は、院に譲り、
          学生に、有り余る時間とバイトとサークルと友人たち、
          そして、コミュニケート能力を提供する?
          就職率、就職先だけが【 売り 】の、憩いの場所となるのか?

        ニッポンは 何処へ行く?

              んで、私の少年たちは、何処へ向かって行く??

ペン霧



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おかしいと思っても・・・
子ども達は それに従わざるを得ないんですから、

オトナが変えていかなきゃいけないのに これですもんね(ーー;

未だ学歴社会だと 私は思ってますけど、それを言うと異論を唱える人が必ずいて。

「うちの会社は違う!」と言う人も必ずいますけど、

あんたんとこは そうかもしれんが、周りはどうよ?

あんたんとこも他にまで影響を与えるような力、持っとるん?と言いたい。



今の若いのが会社を仕切るようになる頃には、変わっているのでしょうか・・・

変わらなさそうな気がするんですけどね( ┬_┬)
[ 2007/02/11 21:20 ] [ 編集 ]
Re:おかしいと思っても・・・(02/11)
なんだかなぁ。。。でした>_AZ_さん

すごーーーくあれこれ考えてしまいました。



んで、色んな進学理由があっていいとは思う。

ひとそれぞれなんだから。



んでも、せめて、学生たちの「大学に行って良かった理由」には、

複数回答なんだから、「学びたかったことが学べて倖せだった」みたいな理由にも、

みんな挙手しろよ~~~、してくれよ~~~ヽ(`Д´)ノ って思う。



 > 今の若いのが会社を仕切るようになる頃には、変わっているのでしょうか・・・

 > 変わらなさそうな気がするんですけどね( ┬_┬)



学歴社会だけれど、その実、大学ではほとんど学問をしていない、とすると。

生産活動も学問もしない社会的モラトリアム。

バイト代は全て自分のための服飾費やら交際費、遊興費。

学費や生活費のためにバイトする学生はほんの僅か。



んで、その大学に入るための教育費はめちゃくちゃかかるとすると。

なんだかなーーーー。



幾ら、学生時代にしかできない人生経験をし、人間的に成長した、とか言われても。

んで、○○大学を出た、というプライドだけは持たれても。

カナしいなーーー。 ムナしいなーーーー。



変わってくれるかなーーー。

修士どころか、「本当に学問したいひとは、博士課程から」になったらだうしやう( ┬_┬)。

[ 2007/02/11 22:18 ] [ 編集 ]
Re:「 大学へ行って良かったこと 」(02/11)
正直言って、うちも子ども4人を大学に通わせるお金はありません。もし、行きたいのであれば、奨学金をもらって行く様に言ってます。

確かに学歴社会ではあります。

でも、今の学歴社会に生きている人たちは、受験のノウハウを身につけて、勉強の面白さを全然分かってない人が多い。受験に合格した努力は認めますが、それは自分の努力だけではなく、そういう環境においてくれた親のおかげであると思ってます。(それを知っているかどうか疑問ですが・・・。)

私は高学歴と言われる医者と仕事をしていますが、いつも考えさせらます。

この人、なんで医者になったんだろう。どうして、患者さんの気持ちが分からないんだろう。自分たちの職業は、エリート階級だとなぜ堂々と言えるのだろう。って。

あるとき、一流会社に勤めている人が自分の子に、「勉強しないとあんな仕事しかないぞ。」と言って指差しました。その場に居合わせた私は、すぐそのほうを見ると、自販機にジュース類を補給している人でした。

私は呆然となり、思わず言いました。「どういう意味でしょう。あの方が自販機に補充してくれるから、喉が渇いたときに好きなジュースが飲めるんですよ。りっぱな仕事だと思いませんか?」

その方はバツが悪そうでした。



[ 2007/02/12 00:19 ] [ 編集 ]
合格までの努力と、それを支えるもの。
ごりえ701さん



 > 受験に合格した努力は認めますが、それは自分の努力だけではなく、

 > そういう環境においてくれた親のおかげであると思ってます。

 >(それを知っているかどうか疑問ですが・・・。)



全く同感です!

それに気付くような、気付けるような毎日であって欲しい、と願います。

(それも親の育て方にかかってる?)



「親になって初めて判る親の恩」ではありますが、親にならなければ全くもって気付かない、

気付けない想像力のなさは、哀しい。



【友人ができたこと】。。。君らは大学に行かないと友人ができんのか!と突っ込みを入れ、

そして、気付きました。



より難関度の高い、より著名な大学を目指し、他者を蹴落とし蹴落とし、喰うか喰われるかの

競争をして来たお子たちには、小中高で「真の友人」はできなかったのかもしれない。

同じ大学に通う、「学歴」に関しては価値観が一緒で、

大学によっては「親の経済力」も似てたりすると、「心地良い友人」はたくさん在るかも。。。

 ↑ これは、私の偏見ですが、でもあながち間違ってはいないかも、、、と思うと、

やっぱりこの社会は、おかしい、歪んでる、と思う。



 > この人、なんで医者になったんだろう。

 > どうして、患者さんの気持ちが分からないんだろう。

 > 自分たちの職業は、エリート階級だとなぜ堂々と言えるのだろう。って。

 > 「勉強しないとあんな仕事しかないぞ。」



余りに酷い、と思うけれど、

そういうひとびとでいっぱいにしてきた世代に、私たちも足を踏み入れて来ました。

何処かで軌道修正しなければ、この傾向はどんどん酷くなり、

「ひと」が「記号」や「データ」でしかなくなる日がすぐに実現しそうです。。。。

[ 2007/02/12 08:25 ] [ 編集 ]
Re:「 大学へ行って良かったこと 」(02/11)
 寺に生まれ、大学で英語を学び、学習塾勤めの二年を経て、この家に嫁いでから、一度、卒業した高校に、臨時の応援で英語の教鞭をとる機会があっただけで、大学での専門的な勉強が役に立ったのは,我が子らの英語の勉強を見てあげるときくらいです。

 仕事って、職業って何かな、と思います。生きる糧を得るためのものと考えれば、まず、その収入の額が大きければ大きいほど、素晴らしい職業なのかもしれませんが、仕事、自らの務めを、自らを社会に役立てる手段と考えると、詐欺など、自分の利益のみに奔走する仕事でなければ、全て同じではないかと思います。



 偏差値が高い職業がレベルが高いと思われがちですが、それは、家庭の経済環境など、本人の力によらぬ部分がそうさせた場合も多い。



 余りの忙しさや、埃っぽさに、時々、実家の親が、「大学まで出して、何で木工・・・。それも現場・・・。って思ってるかな、と思う時がありますが、私が自分の仕事に誇りを持って取り組んでいるので、そんなことはない!!とその気持ちを打ち消します。
[ 2007/02/12 10:55 ] [ 編集 ]
大学生。。。
先週実習に来ていた女の子(中国語専攻)は、今風のファッションで、職員は皆一歩引いてしまったのですが、

いざ、実習に入ると、目からウロコ。

会話を持たない人に、話しかけながらの介助。

分け隔てなく接触しようとする姿勢。

自然体で接するので、みな近づいていくし、来られない人には近づいていく。

歯磨き介助も熱心に行っていました。

(↑ 大抵ぃやな顔をするのですが・・・)



「こんな子もいるんだァ・・・」

嬉しく思ったばかりなのですが。。。



我が子も、何処へ向かっていくのでしょうか・・・

[ 2007/02/12 16:30 ] [ 編集 ]
「専攻」が役立つとき。
さきさん1850さん



大学で英語を学ばれ、塾に勤務され、母校でも臨時で教鞭を取られ、

現在はお子さま方の英語教育に役立てていらっしゃるなら、

それは十分に大学で学んだことを生かしていらっしゃるのではないでしょうか。。。

4年間、職に縛られない自分の時間を持ち、自由な立場で様々なことを見聞きされ、

視野も行動範囲も、こころも、大きく成長されたのではないでしょうか。



職場、殊に一般企業において、大学、それも文系で直接学んだことを生かせるひとは

実は稀、なのではないか、と私は思っています。(私自身、そうですし。orz....)



ただ。 ぃゃ、だからこそ。

「大学」って学問するところだよね、って確認しておきたいし、

学生さんは、「学生」というだけで、ご飯が食べられるのは何故?って、

たまには、できいから、自問して欲しい、と思うので。



大学のブランドではなく、そこで自身が学んだ中身が問題なのだと。

この大学で○○を学んだ。 めいっぱい学んだ、○○の△△では、誰にも負けないぞ、と、

胸を張って主張できるよう、学問して欲しい。

そのうえで、学生時代にしかできないあれこれをエンジョイし、

自身の将来に向けての糧としていって欲しい、です。



 > 仕事って、職業って何かな、と思います。

 > 生きる糧を得るためのものと考えれば、まず、その収入の額が大きければ大きいほど、

 > 素晴らしい職業なのかもしれませんが、仕事、自らの務めを、

 > 自らを社会に役立てる手段と考えると、詐欺など、

 > 自分の利益のみに奔走する仕事でなければ、全て同じではないかと思います。



食べていくために働くのですが、『人はパンのみにて生くるに非ず』、ですよね。

誇りを持って、胸張って仕事を志事とし、歩いていきたいです。

[ 2007/02/12 19:26 ] [ 編集 ]
Re:大学生。。。(02/11)
拝読してました~~^^*☆>てんてこmyさん

読み逃げしちゃった(ごめんなさい)のは、やっぱりキツいことを書きそうになった自分に

ストップをかけたからでした(汗)。



企業人の私としては、どんなに良くできた女子学生さんでも、

【実習】に来るファッションを間違えた時点で、やっぱりダメ。

服装チェックなんてナンセンス、全て「なかみ」で勝負、ではあるのですが、

たまたま空いた時間をぶらりとお手伝いに来られたのではなく、【実習】なのですから、

心意気と覚悟を見せようよ、時と場所を考えようよ、と、やっぱりやっぱり言いたいです。



皆さんが一瞬ヒく。

ヤって来た女子学生のひととなりに一瞬でも疑念を持つ。 その時間が勿体ないですもん。



何から何までよくできた、素晴らしい女子学生さんでいらしただけに、残念に思いました。

それともその女子学生さんは、今風のファッションへの偏見を巷から取り去りたい、

との主張を持っていらしたのかなぁ。。



、、、「中国語専攻」でいらしても【実習】があるのですか?

あ、選択履修した講義のなかに、実習をも含んでいるのかな。。。



 >「こんな子もいるんだァ・・・」



素晴らしい学生さんはきっとたくさん居て、

ひとりひとり、みんな素敵なところを持っている。

だから、ひとくくりにしてみてはいけないのですけれど、

ひとくくりに群れ、或いは括れる言動で、

ひとりひとりのお顔が見えなくなっていることも確かだったり。。。



 > 我が子も、何処へ向かっていくのでしょうか・・・



くぅぅ。 しっかりと自身の足で立つために、ふぁいとふぁいとで歩いて行って欲しいですね。

[ 2007/02/12 20:28 ] [ 編集 ]
なにを隠そう・・
 我が家のアライグマオヤジさんは、40代にして、年金生活の「高齢者」の方々と一緒に、大学の駐輪場整理のバイトおじさんをしております。

で、我が家の家計の主な担い手は私で、お母さんはお仕事忙しく在宅時間があまりないかわりに、お父さんが家事を主にしている・・世の中と逆パターンの生活をしてます。学歴も私の方が高い・・私は大卒でアライグマオヤジさんは高卒だからね。でも、頭の良さはアライグマオヤジの方が上だろうと思います。



「学問」というか「勉強」は一生できる、学校にいかなくてもできる、というのがそんな我が家の基本姿勢ではありますが、よくもわるくもそんな中で育つ娘に受験勉強への執着が育つはずもなく・・

 まぁ、苦労するでしょうが・・

 高校をすっとばして、ムサビかアート系の専門学校に行きたいなぁと言っております(苦笑・・高校受験があるんだよ!!アート系は学費高いんだから、高校は都立じゃなくちゃダメだからね!!)



 就職っていったところで、この先どういう社会状況になるのか皆目検討がつかないのですから、ともかく自力でやっていける「体力」「根気」「対人関係能力」「家事能力」だけは確実に身に着けてほしいです。あとは・・いいやって気もしますね。

 私自身が、大学でそんなに学問していたとはいえない人間ですから。



 いいんだ・・とろろ丼が大学行かなかったら、その分、私がもいっかい進学しよう・・なんて思いながら・・でも貯金ができない!どうしよう!節約に励まなくちゃです。
[ 2007/02/13 02:40 ] [ 編集 ]
Re:なにを隠そう・・(02/11)
よたよたあひるさん

私が、学問、学問、と書いて来たのは、

いつでも何処ででもできる「勉強」と区別するためでした。



自分が(何かのために)本当に極めたい、と思う分野を専門的に、

持てる時間をありったけ費やし、「学問」する。

自分自身にある程度の素地の上に立脚した、体系化させたもの、ができないうちは、

師に教えを乞いつつ、問答しつつ、あるいは実験、検証しつつ、自分のなかに叩き込み、

自身のなかに確固たるもの(疑念を含む)を築いていく。

そうしたことが、(浮世を離れて)徹底的にできる。 専念できる。

それが、大学生活であろうと思うのです。



んだから、本来は、「学問を好きなひと」が、(大枚はたいて行く)場所なんだと思っています。



だもんで、大学に行ったか行ってないか、大卒だの高卒だの、

そこでの専門知識が絶対必要条件な職場以外では、何ら関係ないはずで。



なのに、それがそうではなくて、

大卒であることが就職するためのひとつのステータス、

そして、個々の大学名がブランドになってしまっているから、

おかしなことになってしまっているんだ、と思います。



 >「学問」というか「勉強」は一生できる、学校にいかなくてもできる、



おっしゃる通りです! 私も「勉強」はそうだと思う。 一生が学びの場だと。



けれども、ゼミ形式のように、師と対峙し、或いは学友と対峙し、

とことん研究しあい、議論しあい、自分の学問を体系だてていく気の遠くなるような作業は、

やはり大学という磁場ならでは、だと私は思います。(思いたいです)



 > その分、私がもいっかい進学しよう



私も、またチャレンジしたいと思っています^^*☆  (続きます)

          
[ 2007/02/13 22:30 ] [ 編集 ]
生きていく力。
よたよたあひるさん



娘さんは、アート系に才能をお持ちのようですから、

是非伸ばしてあげたい、と思っておられることでしょう。

娘さんの高校すっ飛ばして、即アート系へって、お気持ち、凄く共鳴してしまいます。。。

んでも、高校で習う教科、殊に国語、社会科って、後々、どう役に立つか判りませんものね。。。



逆に、中学時代の私の友人は、ご両親の反対を押し切って漫画家になりたくて、

県立の普通科から武蔵美を目指し、一浪。

厳しい生活を送る彼女には、お金を用立てたこともあります。。。

卒業後、超著名な漫画家さんのアシスタントになりましたが、

文字通り、潰されてしまいました。。。



心身を病み、ぼろぼろになって戻って来た彼女は何年も引き篭もり、

ずっと応援して来た私に「申し訳なくて、もう逢えない」、、と。

ひとりの友を失い、当時のご両親の嘆き、悲しみにも直面し、私にはとても痛いものでした。。。



 > ともかく自力でやっていける「体力」「根気」「対人関係能力」「家事能力」



本当に本当に大切だと思います。

そして、この4つのうち「対人関係能力」以外の3つは、

学校ではなく、家庭で培えるものですよね。



こころしたい、と思います。、、、、って、もぉ遅い( ┬_┬)>ぢぶん。

[ 2007/02/13 23:07 ] [ 編集 ]
高校。
自己レス、補足です。



 > んでも、高校で習う教科、殊に国語、社会科って、

   後々、どう役に立つか判りませんものね。。。



実家の母が、父が亡くなった後に入学した、和裁士を育成する専門学校で、

家庭の事情で中卒で寮生活をしながら、ばりばりのプロの和裁士となられた、

20代の先輩から聞いた話。



「 後悔はしていないけれど、

  帯、反物に散りばめられた文様、柄の由来、組み合わせが示す意味、物語、、、、

  高校へ行けていれば、そういったものをゆっくり自分で繙きながら、

  惹かれてやまない日本史や古文をきちんと勉強できただろうか 」。



日にノルマとして、最低1枚は和服を縫い上げねばならず、時間に追われる彼女たちから観れば、

義務教育の「上」に在る高校生活も、

【自分のため】に時間を費やせる、眩しいほどに素晴らしく、贅沢な時間、なのだ、ということ。

彼女のこの言の葉には、ただ恥じ入るしかない私。

[ 2007/02/14 08:52 ] [ 編集 ]
Re:高校。(02/11)
りうりう*さん



りうりう*さんの言われるような「学問」は、やはり4年制大学では難しいなぁと思います。

今の4年制大学のカリキュラムの中では、よくても、「学問」の方法をちょっと垣間見る、というあたりで終わるのではないでしょうか。

(私自身はそれ以前の段階だったと、その点では後悔してますけど、それでも、大学に行かせてもらってよかったと両親に感謝してます。)

 

 正規のカリキュラムはさぼりまくっていた私ですが、それでも、レジメの書き方や資料の調べ方やまとめ方は大学時代に覚えたものですし、考えをまとめて「書く」ことから、見え方、世界の広がり方が変わってくる、このわくわく感も、私にとっては大学時代に得た宝物です。

 授業料を払った正規のカリキュラムよりも、学部を超えた友人たちとの交流、自主ゼミ、学園祭の企画などを通して、いろいろな視点から問題を見ることを覚えましたし・・・  

 

 そうそう、とろろ丼が、「別に自分は高校をすっ飛ばして大学に行きたいと思っているわけじゃない。ただ、ムサビは何度も遊びにいっているけど、高校がどんなとこか知らないだけだよ」と言っていました(汗)そういえば、「高校」というものにつれていったのは、昨年の秋、「男子校」の文化祭に行っただけです・・

 学校の授業は、主要教科も嫌いな子じゃないんですよ。成績があまりあがらないだけで。

[ 2007/02/14 22:35 ] [ 編集 ]
資格取得と研究
りうりう*さん



 少子化への対策として、一部大学では資格のとれる学部の増設が増えていると思います。私の職場に実習にみえる学生さんたちが学ぶ、福祉や心理というジャンルは、最近、新規参入の大学が増えていて、先生方も実習先の確保に苦慮していらっしゃるようです。

 福祉士の資格取得のためのカリキュラムは、かなり多くの科目が必修になるうえに、実習の時間も4週間と長いですから、学生さんたちは必要な単位をとるのにかなり忙しいです。なかには、卒業研究無しというカリキュラムもあります。さらに、福祉系の大学に入学しても、就職は一般企業という場合もあり、3年次から就職活動に忙しくなる学生さんもいるようです。数年前、企業に内定が決まっているけれど、実習は卒業に必要な単位だからやむをえず、という学生さんにあったこともあります。

 そうそう、今は教員免許取得のためには福祉施設等での実習が、確か1週間くらい必須になっていたはずです。うちの私設でその実習をうけるかどうか大激論になったこともあるのです(結局、今は受けていません。福祉士の実習を受けるのが手いっぱいなので)。

 

 でも、「高い専門性」は学部には求められません。専門性を高めたいと思ったら修士課程が必要なのです。その一方で、資格をとったり修士号があるからといって、常勤の職が十分にないのもこの世界です。



 実は、もっと若いころ、おざなり学生だったことを悔やんで、進学したいと思っていたこともありましたが、当時の係長から、お金を使って進学するよりも現場からの研究をどんどん発表していけばいい、と助言されたことがあります。研究の素材は目の前にあるのだから、と。



 以来、1年に一つはなにかテーマを作って、発表するように努力してるのですが、まいどどたばたのやっつけ仕事になってしまうのが弱いところです。
[ 2007/02/15 00:18 ] [ 編集 ]
Re:資格取得と研究(02/11)
う"~ん>よたよたあひるさん



私は、資格を取るための大学なら、それは専門学校ではないか、と思うのですよ。

(専門学校の社会的評価・位置が低いことがおかしいと思う)。



んで、私は、大学の在り方ひとつで、

学部でも、一般教養を1,2年次にクリアして、

3,4年次に専門性を「ある程度」極められると思っています。

そこからもっと深めたい、高めたいひとのために、修士課程、博士課程があるのだと。

それが大学の本来の形ではないか、と思っているのです。



私はしがない(゚゜)\バキ☆私大の社会学専攻生でしたが、新進気鋭の先生方にそれは揉まれ、

しごかれましたです。

2年次に自分の卒論テーマを決め、2,3,4年と3年掛けて、

その完成に向けて少数ゼミで順番に毎週大激論、しごかれまくり。

ゼミで師や学友と問答し、叩かれ、勉学していく間に、

自身の未熟さから、最初に決めたテーマの路線は変更を余儀なくされていきますから、

卒論テーマは、最終的に4年次進級の際に決定します。

もちろん卒論が通らなければ、就職が決まってても卒業はできません。

卒論で留年しちゃう先輩がごろごろいました。



で、私は、大学の「本来の形」はそのようなものだと、どうしても思っちゃいます。

そこまでして、学問をしたいひとが行く場所なんではないか、と。

自分が好きで、いわゆる【専門バカ】さんになりに行く場所なんではないか、と。



現在のように、みんなが行くから。 行かなくては就職に不利だから。

というのは、違うんぢゃないかなぁと。

大教室で、教授陣が毎年毎年ジョークまで同じ講義を変わらずヤり、ひとのノートで単位を取る。

それは違うんぢゃないかなぁと。



だから、【おかしい】と思うのです。

(んでも、私の方がおかしい、社会なのですが。 orz....)

[ 2007/02/15 00:54 ] [ 編集 ]
Re[1]:資格取得と研究(02/11)
自己レス>ぢぶん。



 > 私は、資格を取るための大学なら、それは専門学校ではないか、と思うのですよ。



 → 資格を取るため【だけのような】大学なら



と、補強させて下さいませ。

また、現場に、多く長く学ぶカリキュラムを私は決して否定しません。

むしろ、理論構築の場と現場との密着は、もっと奨励されるべきものと考えています。

(但し、現場の都合お構いなし、といった形のものや、

 逆に事前準備をしっかり行なわず、現場任せ、行き当たりばったり、現場で何とかして貰おう、

 といった、現場頼みのカリキュラムは、断じて認めたくないです。。。)

[ 2007/02/15 01:52 ] [ 編集 ]
Re:「 大学へ行って良かったこと 」(02/11)
 りうりうさんは、とても素敵な大学生活をおくってこられたのですね。ちょっと羨ましく思います。

 これまでのコメントを読ませていただいて、「教養」と「専門性」について、あらためてかんがえようと思いました。

 確かに専門職の養成教育機関が「大学」である必然性はあまりないかもしれませんね。ただ、(特に対人直接処遇サービス)の専門職として働くときには、サービス提供の基本になる技術だけでなく、「人間理解」「自分と異なる他者への共感」を可能にするような、広い視野や、よく耕された想像力が必要です。感度の善し悪しは違っても、ある程度までの学習や補正はできるでしょう。で、教養課程って、その耕す作業をするものだろうと思うので、そこもなおざりにしない、というのが大学で専門職養成教育をする理念だったはずなのです。

 かならずしもうまく機能していないのが悲しいですが。
[ 2007/02/15 13:29 ] [ 編集 ]
苦しかったですよ~(汗)。
よたよたあひるさん、有難うございます。



 > とても素敵な大学生活をおくってこられたのですね。



当時はただキツくて、半泣きの毎日でした。

特に自分のテーマ発表の日が近付くと、その準備に胃が痛み、辛いばかり。

んでも、確かに、ゼミでは学友ひとりひとりと共に歩み、

ひとりひとりの卒論を一緒に作成しているようなもので、

時には、師のお宅に泊まり込み、喧喧諤諤語り合いながら朝を迎えたり。

学友=戦友。 大学生活ならではの日々でした。



 > ただ、(特に対人直接処遇サービス)の専門職として働くときには、

 > サービス提供の基本になる技術だけでなく、「人間理解」

 >「自分と異なる他者への共感」を可能にするような、

 > 広い視野や、よく耕された想像力が必要です。



そそそ! 昨夜、「 → 資格を取るため【だけのような】大学なら 」と書き足しましたとき、

「但し、ひとの心身、そのものを扱う職種につくための資格については、

今の専門学校の体制ではダメで、これは医学部・薬学部のように、少し別物だと思っています」

などと書きかけたのですが、うまくまとまらずに削除しました。

「対人直接処遇サービス」という的確な言の葉があるんですね~。( ..)φ



 > かならずしもうまく機能していないのが悲しいですが。



私も、ここに尽きるかも、と。

【 大学が本来在るべき姿でない 】、その理由に諸説紛々とあるなかで、

 ● 学生の質が落ちた。(好んで学問をしようとする学生はほんの一握り)。

 ● 実のところ、一般企業は「専門学問バカ」を必要としておらず、

   実務レベルの呑み込みの早い、明るく活発な人材で、即戦力を求めている。

   (なのに、大卒を採る)。



今回の日記の数字は、この2つが連動し合っていることを、如実に証明しているように感じ、

私は天を仰いだのです。

[ 2007/02/15 22:16 ] [ 編集 ]
Re:苦しかったですよ~(汗)。(02/11)
りうりう*さん

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 いろいろ触発されたので、こちらの日記を私の15日の日記のきっかけとして、リンク貼らせていただきました。



 私はもともとが教育系の学部卒、「教育学士」なる資格でいまの職に就きました。

 福祉士がまだ法制度化される前ですから、採用試験を受験できる条件は、「教育学・心理学・社会学のいずれかを治めたもの」あるいは教員免許があればOKだったのです。不真面目学生の私は、教職の単位まではとても手が届かず・・本当に卒業したことだけで就職し、福祉士の資格ができたあと、通信教育や現任者講習でもって勉強して取得したんです。

 先輩方には、もちろん福祉を学んだ方もいらしたのですが、中には哲学専攻だった方や美大卒の方が、教員免許でもって就職していたりしました。



 でもって、そういう方の方がいい仕事できていらっしゃることも結構多いわけです。

 このへんが、看護や理学療法士や作業療法士などの医療系の資格とちょっと違うところかもしれません。もちろん、医療系の専門職も、学校をポンと出ただけですぐに即戦力というわけにはいきませんが、一緒にチームで仕事をしていると、日々、自分の専門性ってなんだろうか、と突きつけられることが多いです。一応の理屈が言えるようにはなりましたけどね・・・



 私はもともと実学試行だったので、それこそ「資格をとらない大学なんて行く意味があるのか」くらいに考えていたくせに、大学に入ってからサボり魔になったのですから困ったやつです。



 専門の学に邁進したのではなくて、教養課程の周辺をたくさん遊んできた、という感じはありますね。 

  

[ 2007/02/16 17:24 ] [ 編集 ]
社会福祉士。
よたよたあひるさん



義母が四肢麻痺の難病に倒れ、義父がアルツハイマーを病み。

私は膝の手術直後で満足に歩けず。

夫も、遠方の夫の兄夫婦たちも咄嗟には動けず、たちまちの毎日毎日毎日についに悲鳴を上げて

気がつくと、私は町役場で泣いておりました。



ソーシャルワーカーでもいらっしゃる担当の御方の言の葉で、私はとても救われました。

介護保険の説明を受け、義兄たちを説得し、義母を説得し、

義父母の病ときちんと向き合い闘う覚悟ができました。



出逢ったケアマネージャーさんも良き御方で、随分とこころ励まされ、助けていただきましたが、

施設の状況や人手には限りもあり、義父のこころの状態とケアプランとなかなか合致せず、

歯痒い想いを多々致しました。



現場の方々も、ひとりひとりに最適とまではいかなくても、よりベターな接し方、

そして、より良き方向へ向けてのケアをなさりたい、と思っておられても、

人手がなく、お金がなく、余裕がない。



だもんで、



 > でもって、そういう方の方がいい仕事できていらっしゃることも結構多いわけです。



とおっしゃることが、私の実体験のなかで、なんだかすごーくよく理解できます。

「認知症」ひとつ取ってみても、本当に個々の状況は千差万別。

義父などは、直前記憶がなくなるだけで、場面場面では全く普通の、それも恐ろしく気難しく

プライド高い、頭の良いひとでしたから、おざなりの対応や誤魔化しなど、一切通用しない。



こういったひとびとの心身をケアするには、専門分野のみでの対処では、

とても太刀打ち行かないであろうと、容易に理解できます。



 > 専門の学に邁進したのではなくて、教養課程の周辺をたくさん遊んできた、



志、心意気ひとつで、なにごともムダにはならない、と私も思っています。。。

ただ、中身不問の闇雲なる学歴偏重がおかしいのだ、と。
[ 2007/02/17 09:30 ] [ 編集 ]
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