先日、教育再生会議から第一次最終案が出され、
そこに、
「 道徳の時間の強化 」 とありました。
よたよたあひるさん から、
中学の道徳教科書に抜粋されている作品について書かれた、
『 せっかくだから原著を読もうよ 』をトラックバックいただきましたが、
直接TBいただいた記事より以前から、
よたよたあひるさんは、娘さんの中学校の学校公開で、「 道徳 」の授業を見学され、
教科書を手に取られ、鋭く深く、考察を重ねておられますので、ご紹介させて下さい。
『 中学校の「道徳」の教科書 その1~3 』
よたよたあひるさんの鋭い着眼点と見事な論で、大きく頷きながら読ませていただきました。
なかでも、『愛国心』教育について触れられた、
『 その2 』 にどうしても注目してしまう私。。。。
『 道徳 』の教科書は光村図書版で、
随筆や小説からの抜粋、軽いエッセイ、解説文、生徒作文などが掲載。
それぞれにテーマが併記されていた由にて、
(学習指導要領で指定されている、道徳の授業で教えるべきテーマ)
よたよたあひるさんは、
「愛国心」のテーマに何が掲載されているのかを確認されたところ、
図版 と 解説文 で、タイトルは 「日本画の美―東山魁夷」。
疑問に思われたよたよたあひるさんは、
光村図書HPから、
指導計画例をチェック。
そこには、
> 資料名:23 「日本画の美―東山魁夷」[日本芸術の美]
> ねらい:4-(9)愛国心
> 日本画のよさや美しさを味わう、日本の優れた伝統や文化を愛する心を養う。
> ねらい達成に効果的な発問例:
> ○「濤声」を鑑賞して、感じ取ったことを話し合う。
> ○ 魁夷の描く絵には、どのような願いや考えが込められているか。
> ○ すばらしいと思う日本の伝統はなにか。
> それはどんな理由からか。
> 「心のノート」のページと活用のポイント
> P.117 展開後段で活用
> 「私がすばらしいと思う伝統・文化」について考えをまとめさせ、
> 日本の伝統や文化を守り育てようとする態度を育てる。
> 関 連:美術 社会(歴史)
という指導計画例が記載されていたそうです。
よたよたあひるさんは、
東山魁夷の絵は美しくてけっこう好きです。
でも、なんで「愛国心」につながるのかよくわからないですね。
東山魁夷の作品は東山魁夷の作品で、「日本文化」の代表にしてしまって、
東山魁夷の作品を通して、日本の優れた文化や伝統を愛する心を養うって、
東山魁夷に対しても、なんだか失礼な気がします。
作品は作品として味わえばいい。
と述べられた後、ご自身の考察や想いを綴っておられるのですが、
私は、よたよたあひるさんに、両手をあげて大賛成し
ぶんぶんと頷きっぱなしでおりました。
これ、なんだか、昨年の11月14日のNHKクローズアップ現代の、
『 “愛国心”って何ですか 』で放映された、
練馬区の小学校行なわれた
「 ニッポンは四季があるから美しい 」という
おそろしく平板で、画一的な道徳授業の、まさに中学版そのものな感じです。
振り捨てても振り捨てても湧き上がってくるような郷土愛とは異なり、
國、とは、人為的に定められた、ひとつの大きな行政区画単位のことです。
これに(積極的に)愛情を持つ、というのは、
大変な自覚と覚悟が必要なことなんですよね。
国内の日常生活のなかで、日々 「國」を意識することはなくとも、
ひとたび海外に出かければ、否応なく自分がニッポンを代表しているのだと気付く。
なにか こと、起きたとき、
自分がいろんなものに縛られたり、守られていたりすることを識る。
自分の属す國というものが、(自分の識らないところで)自分とどう関わり、
どう守ってくれているか。 或いはどう、義務を課し、責任を迫っているか。
私たちは、確かにきちんと識らねばなりません。
色々な國が在り、いろんなひとが在り、そして私がいて、あなたがいる。
それをきちんと識り、把握するため。
そのための歴史、地理、政経といった「社会科」、が在り。
日本画の美を鑑賞し、また、その精神を学んだり、足跡を学ぶのは、
純粋なる「美術」の時間ではいけないの?
ひとりの素晴らしい画家の渾身の作品と、
愛国心を結びつけるの、ヤめようよ~。
( 愛国心、を教育基本法に盛り込むことについての私の意見は、
9月9日 に 記した通り )。
追記) よたよたあひるさんが手に取っておられたものは、
教科書ではなく、「副読本」でした。
私は「副読本」であっても、それを授業に用い、
公的に子どもたちに授業をした時点で「教科書」である、
と認識しておりましたが、
「 教科書 」であるか、「 副読本 」であるかは、大きな違いであり、
教科書はその中身そのものを教えなければならないのに対し、
副読本は、別に、それを題材に授業を行う必要はなく、
当然、ひとりひとりの先生の独自な指導計画に添ったもので良いようです。
つまり、道徳の副読本内のそれぞれの文章に
価値項目が記されていても、その内容と価値とに疑問を感じれば、
それを授業で取り上げなくても、良いのでした。
「 教科書 」のない、道徳の授業で取り上げるべき価値項目は
細かく記された「学習指導要領」によってのみ規定され、
道徳の授業は、
ある価値について生徒とともに深めていく場 なのであり、
価値を教える場ではない。
絶対に価値を押し付ける場であってはならない、と、
よたよたあひるさんちで発言された徒然なる人さん、に教えていただきました。
「 道徳 」の授業に対する認識を改めるとともに、
これまで私が観聴きしてきた「 道徳 」って、
その殆どがダメダメぢゃん!! と、改めてがっくり です。
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タグ : 道徳 道徳教育 中学道徳 東山魁夷 愛国心 道徳教育の強化
まぁ、東山魁夷の絵で 普段は見る事のできない日本の自然を垣間見る事は出来るでしょう。
日本には、こんな素晴らしい画家がいるって事も学べるでしょう。
でも、「愛国心」??????????
これを指導しないとならない先生方も、大変ですね(ーー;
自分で納得していない事があったとしても、先生方は指導要綱に従って生徒を指導していかないとならないんですよねぇ。
私が小学生の時には、教科書に書いてある事とは別に 自分の考えや意見を言う先生もいましたけど、今はどうなのでしょうね。
長女が小中学生の頃には、道徳の時間には先生は発言しなかったと聞いています。
話し合いをするわけでもなく、ただ教科書を読んだりTVを見たりするだけだった と。
学校という場で色んな意見を交わしていく事が大事だと思っていたので、非常に残念に思いましたが・・・なんとなく、「どうして見るだけ?」とは 先生には聞けませんでした。
自分の考えもまとまっていなかったですし。
今は、どんな授業をしているのか・・・
命の尊さなどなどは、道徳ではなく「総合」で行うみたいですし。
はふぅ。。。