昨夜は予想通り、大荒れに荒れた。
6時前に自宅を出、帰宅したら11時前だった。
学年最後の理事会終了後に各小学校区に分かれて、
来年度の地区理事選出について話し合って貰った。
予想通り、子どもの数が減って来ている2つの小学校区が大荒れ。
あるおかあさんの大声が、私の胸を抉る。
「 私はあんたらのように暇じゃぁないんよ!
自分の子どもすら満足に面倒みきれんのに、
他人の子どものことや学校のことどころじゃないんじゃけん!
この1年も籤で当たったけん、仕方なしにやってきたんよ。
ええ迷惑じゃったわ 」
息がとまるかと思った。
毎年ながら、役員改選につきものの、こういったやり取りには、
覚悟して臨んでいるつもりでも、なかなか慣れることができない。
好き好んで責任を背負い、学校行事に縛られたいひとは誰も居ません。
今の世の中、暇なひとは誰も居ません。
「 だいたいね、PTAなんか 要らん世話よ。
みんな、しとうないのに、なんでせにゃならんのん。
PTAなんか、要らんじゃろう?
私はね、識ったようなことを ひとから偉そうに説教されるん、大っ嫌いよ! 」
PTA活動を長い期間やってると、本当にいろんな保護者に出逢う。
さまざまに事情を抱え、さまざまに頑張っておられる保護者の方々。
そして、その さまざま を 背負わされている子どもたち。
ことある毎に、実にさまざまな保護者の感情が吹き零れ、
思わぬところに落とし穴を見出すことが 多々、ある。
だからこそ。
ひとりの保護者では、ひとりの先生では、子どもたちを守れない。育てられない。
ひとりでは、何もできないから。
ひとりひとりの子どもたちが、来たるべき自立の時期に向け、
幼い自我をぶつけあって、互いに学び、努力して。
自分の足で立ち、社会生活をより良く営んでいけるよう、
健康にすくすくと育って欲しいから。
そのために、保護者として、
先生と保護者同士と手を繋ぎ、協力し合い、子どもたちを見守り育む。
その願い が 形となった PTAでしょうに。
現場を識らず、まるで企業の論理な文科省、教育委員会が、
何かにつけて干渉し、介入してきている。
その強者の論理に、心有る先生方ほど板ばさみで苦しみ 悩まれている。
保護者も皆が皆、自分が生きていくのに忙しい。
きちんとした目的意識や仲間意識に裏打ちされたPTAは、殆どないだろう。
みんなみんな閉塞状況にあるのではないか。
でも、子どもたちを想う、保護者の心はきっと同じのはず。
私たちはそれを信じ、頼みの綱とするしかない。
『 PTA不要論 』 も、好き嫌い、とか 暇とか暇でない、とかでなく、
自校のPTAのあり方、運営の仕方そのものを見なおした、
あくまで具体的で建設的な提案であるなら、
何処の どんな PTA執行部も、いつだって待ち望んでいると思うのだが。
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テーマ : PTA
タグ : PTA PTA役員選出 PTA役員決め PTAは何のため PTA三役 PTA執行部
みんな思っていても普通は言えないでしょう。
私の場合は、PTAや子ども会があったからこそこの町に馴染む事ができたかもしれません。
入りやすい町なんです
この町のPTA役員決めはすごいんです。
1回も役員をしてない人が一番です。
もし何かの理由があっても、今度してもらうことになってます。
母子家庭や父子家庭も関係ないみたいです。
この時期が来るのが恐怖かもしれませんね