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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

猫の「生」の充実 とは。 








    今朝の朝日新聞にも載っていたが、
    私はだぁるちゃんの日記で識った。



    『 死国 』 や 『 狗神 』、『 山姥 』で一世を風靡した、
    坂東眞砂子氏の『 子猫殺し 』というエッセイについて、である。


    これまで、私は彼女が同年代であること。
    「童話作家」さんからの転身。
    文化人類学に精通しておられるようなご様子、緻密な取材力、観察力、
    こころのひだの表現力、、、といったものに注目しており、
    文庫化されたものは全冊を揃えてきた。

    直木賞を受賞されたことは嬉しかったし、
    新刊をいつも楽しみにしていたので、非常にショックだった。

    このエッセイの全文を、だぁるちゃんのところから、コピペさせていただく。



◆   ◆   ◆




    『 子猫殺し 』    坂東眞砂子

   こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
   世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
   動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
   そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。

   家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、
   生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。
   タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。
   草ぼうぼうの空地や山林が広がり、
   そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。
   子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。 自然に還るだけだ。
   子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。

   私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。
   雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。
   残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。
   当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。
   タヒチでは野良猫はわんさかいる。
   これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。

   避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。
   獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
   その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。

   猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。
   猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。
   だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。
   生きるための手段だ。
   もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。

   飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。
   しかし、それは飼い主の都合でもある。
   子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。
   だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。
   私は、これに異を唱えるものではない。

   ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。
   子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
   避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。
   そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、
   子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。
   どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。

   愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。
   獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
   生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、
   人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。
   人は神ではない。
   他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。
   どこかで矛盾や不合理が生じてくる。

   人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
   生まれた子を殺す権利もない。
   それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、
   飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。

   私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。
   もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。(作家) 





◆   ◆   ◆




   愕然とした。

   確かに、ひとには価値観の自由が保証されている。
   でも、こうした自由、もあるのだと、愕然としたのである。
 
   彼女は、考え過ぎて、おかしな方向に行ってしまったのではないか?

   > その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。

   何処に、喜んで猫や犬の避妊手術を受けさせる飼い主がいるだろう。
   殆どの飼い主が、ごめんね、ごめんね、と痛い想いをしてその手段を取っている。

   猫の本質的な生を尊重し、避妊手術という手段を取らなかった、
   その理由として、そこまで言い、生まれて来た子猫を殺す道を取るのなら、
   猫を飼ってはいけないんじゃないでしょうか、このひとは。

   「本質的な生」を必ず何らかの形で飼い主の都合で歪める、生き物を【飼う】という行為を、
   このひとはすべきではない、してはならないのではないか?


   「 猫 」 を 「 ヒト 」にあてはめれば、答えは自ずと明らかになる。

   それでも、動物の屍骸がごろごろしてるタヒチでは、
   生まれたばかりの子猫を崖下へ投げ殺して放置して許されると?

   出産を終えたばかりの親猫のこころは? 本能は?


   それは、幾ら彼女が

   > もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

   と、どんなに、彼女が彼女なりの苦悩の選択をし、
   どんなに、子猫を殺すことに痛みを抱えようと、悲しみを抱えようと、
   それは決して免罪符にはなり得ない。
   



   私はネコ好きのひとには申し訳ないけれども、ネコが大の苦手であり、
   このカテゴリで書こう日が来るとは、夢にも思わなかった。
 

     小1のときに校門前で売っていたひよこにこころ奪われたが、
     「 ひよこは弱くて、とても生き抜けない 」と父母は一言のもとに却下。

     我が家では、父がNOと言えばそれは絶対で、覆すことなどできなかったのに、
     そのときはどうしてもひよこが欲しくて欲しくて、
     きちんとお世話をするから、お願いお願いお願いと粘り強く説得して買って貰った。

     案の定、私は、最初の頃のすり餌をあげることもできず、
     父母は何日も鳥かごを毛布でくるみ、夜中、電球で温め続けてくれることになった。

     その父母のお蔭でピーちゃんと名付けられたひよこは、
     すくすく大きくなって、庭中を走り回り、
     ピーちゃん、と呼ぶと鳴いて応え、走り寄ってくるまでになった。

     鶏冠が生え始め、もう少しで成鶏になる直前にネコにヤられ、
     私のネコに対する最初のトラウマとなる。


     その後、番の十姉妹を飼い、十二羽まで増えて、
     父手製の大きな鳥小屋で、毎日元気に囀り踊る十姉妹は、私の大好きな友だちだった。

     その十姉妹を十二羽とも目の前で全部ヤられてから、
     私は猫がとても苦手となり、
     道で猫に出会えば、歩けなくなったり、吐き気を感じたり、
     未だに画像を目にするだけでも鳥肌が立ち、酷い場合は蕁麻疹が出たり、発熱したりする。



  それでも、それとこれとは断じて別、である。

  彼女が飼っているのが、猫であろうと犬であろうと爬虫類であろうと関係ない。

  「 生 」を持つものの「 飼い主 」としての覚悟、間違ってはいないか。


     
  坂東眞砂子氏は、糾弾覚悟でこのエッセイを書かれた。
  その意図は、いったい何処にあるのだろう。
 

ペンみかん




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[ 2006/08/25 20:40 ] 読みました^^*☆ | TB(0) | CM(24)
とりいそぎ一言・・・
飼う責任、覚悟 ・・・と言うより、

かくも人とは自分勝手で残酷な生き物で、それをどう繕おうとしてもねぇヽ(´ー`)ノ

と言っているようにも聞こえます。

己の醜さを見よ でしょか。



実家にクワガタが一匹いるんですけど、

「このクワガタって、きっと楽しくないよなぁ・・・」と、見るたびに思い、

それと ちょっとダブりました。

「そもそもクワガタに感情があるのか?」と言えば、それは言い逃れって気がします。
[ 2006/08/25 21:11 ] [ 編集 ]
Re:猫の「生」の充実 とは。 (08/25)
うちの親ビンが呼んだら大泣きするべ。



誰しもが 可愛く思える子猫を使って

人間の生き物に対しての生のあり方についての

アイロニー的な表現でしょうか?
[ 2006/08/25 21:17 ] [ 編集 ]
Re:とりいそぎ一言・・・(08/25)
_AZ_さん



 > かくも人とは自分勝手で残酷な生き物で、それをどう繕おうとしてもねぇヽ(´ー`)ノ

 > と言っているようにも聞こえます。



ぅん、でもそれが、「飼う覚悟」でしょう。

どう言い繕っても繕えないものをひっくるめて、「飼う」責任、覚悟だと思う。



だもんで、私はずっとそこから逃げ続けているのでした。 orz....

(少年たちがどうねだっても、金魚以外は決して飼おうとしませんでした(汗)。

 きっとこれからも)。

[ 2006/08/25 21:17 ] [ 編集 ]
余談ですが・・・
『猫の「生」の充実 とは。 』と最新日記のタイトルだけ見た時、



「ネコの なま? の充実???

 ・・・・・喰うのか?」ヾ(- -;ぉぃぉぃ



失礼しました~m(_ _)m
[ 2006/08/25 21:18 ] [ 編集 ]
アイロニー的表現。
う"~ん。。。>りきkkぱぱさん



私はこれ、読めば読むほど、すんごいストレートな表現で言いたい放題なさってる、と思う。

罵倒?糾弾?「そんなこと承知で打ち明ける」、なんですもん。



彼女は彼女の論のどこへ重きを置きたかったか?

私は、おそらく、



 > 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。

 > 獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。

 > 生き延びるために喰うとか、

 > 被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、

 > 人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。

 > 人は神ではない。

 > 他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。



 ↑ ここだろうと思っています。

んで、私もそれは、絶対的に正しい、と思っています。



んで、私はそれに向き合うパワーがなく、「生き物」を飼うことは極力避けて来ました。

「犬を飼いたい」と、どんなに少年たちが望んでも。

「ハムスターならいい?」と、どんなに少年たちが涙を流して、乞い願っても。

多感な少年たちが、それを通じて、動物とこころ通わせる喜び、いのちの尊さ、

大切なことをたくさん学んでいくだろう、と思っても。

その動物の「生」を握ること、左右する、ということに対し、私、が耐えられなかった。



少年たちを授かったことだけでも、うろたえ、いっぱいいっぱいだった私なのです。

そんな私には、何も語る資格はないかも知れないけれど、それでも。



【 他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない 】から、

彼女が出した結論、というのは、アイロニー的表現でもなんでもなく、

生まれたばかりの子猫を投げ殺して放置する、という行為、でした。

それ、やっぱり「違う」って、私は思ってしまうのです。

[ 2006/08/25 23:11 ] [ 編集 ]
Re:余談ですが・・・(08/25)
_AZ_さん



 > ・・・・・喰うのか?」ヾ(- -;ぉぃぉぃ



ひぇぇえ。

_AZ_さんの私へのイメージって、どんなん?

[ 2006/08/25 23:13 ] [ 編集 ]
この女の本には二度と触りたくない
私はこの件を、2ちゃんねるで知り、少し巡回して、「きっこの日記」さんで、思いっきり、人気blogクリックをしてまいりました。↓

http://www.kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

少し引用させていただくなら、



引用開始- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ---

‥‥そんなワケで、あたしは、この気色悪いエッセイや、昨日の「天の邪鬼タマ」、問題の「子猫殺し」などを読むと、坂東眞砂子が、何か問題提起をしたいとか、何かを訴えたいとか、そんなことなどミジンも考えていないことが分かった。これらの文章から受ける率直な印象は、「私はこんなにワイルドに生きてるのだ! どうだ、すごいだろう!」っていう、小学生が、他の子たちが怖がることをやってのけて自慢するような、あまりにも低次元な自己顕示欲だけだ。そして、こういった異常な文章を垂れ流して、多くの人たちが気分を害しているのを見て、1人でニヤニヤとしてそうな感じまでして来る。ようするに、人間としての趣味の悪さがヒシヒシと伝わって来る文章なのだ。

引用終わり- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ---



海より深く同意です。私、不出来な猫飼いの端くれですが、断じてこの先、この女の書いたものに触りたくありません。
[ 2006/08/25 23:30 ] [ 編集 ]
きっこさんのブログ。
波多利郎さん、メッセージを有難うございます☆☆

随分2ちゃんねるにはご無沙汰していますが、

文学関係のボードの爆発加減が容易に想像できますです。



きっこさんのブログは、特に姉歯事件の頃、毎日のようにクリックしておりました。

こちらへも最近行っておりませんでしたので、早速行って参りました。



また、今回のことについて、かなり詳しくまとめられているサイトも見つけました。



【 http://news.80.kg/index.php?%B5%B4%C3%DC%BB%D2%C7%AD%BB%A6%A4%B7%BA%E4%C5%EC%E2%C3%BA%BD%BB%D2 】



これらを一読し、きっこさんの見解に、頭が禿げ上がるほど同意致します。



「糾弾?上等! 【飼い主】である限り、あんたと私は同罪だ!」みたいな、

挑戦状ですらなかったんですね。



彼女の真意を諮ろうとジタバタし、

「それでもNOだ!」なんて懸命に思った私、バカみたい、です。

[ 2006/08/26 01:25 ] [ 編集 ]
う”~
りうりうさんの日記、私の日記に一部引用させて頂き来ました。



>愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。



私もこれは納得できるんですが、だから出来る限り世話をして飼った動物の一生を全うさせたいと思うんです。

でもそれは決してその個体だけに注がれるものではなくて、生まれてきた命全般だと思う。



現実生まれた子猫を全部育てられない、だから避妊手術するんですけどね。

子種を取り除く=命を奪う じゃないと思います。



なんだかんだ言ってもこうゆうのって理屈じゃない気がする。     

[ 2006/08/26 01:38 ] [ 編集 ]
目的のなさ
>その意図は、いったい何処にあるのだろう。

うん、ソコ。わからない。理解できない。



何度も読み返して考えるに この人はなにも考えてないんじゃないか、と思えてきた。

紙面で目にした人の不快感も 避妊術を施した猫と一緒に暮らしている飼い主の心情も、又、りうりうさんのように作品を揃えてくれてるファンのことさえ頭にあったとは思えなくなってきた。

いっぱしの覚悟を謳う冒頭の文章だけど、自分の言葉にも行為にも 生き物たちの生命にも なんの責任ももってないと感じるのです。



だって、読む相手を想定したらこんなこと書けないでしょう。

幼少化が云われる若いヒトらが真似したら?

小さな子が耳にして そのシーンを想像したら?

オナカに赤ちゃんがいる若い妊婦さんが目にしたら?

雑誌やコミックじゃない新聞紙上なのです。

投書欄じゃないのです。小説家の文章としてヒトの目に晒されるのです。

その影響力への責任が感じられない。

あたしって凄い、人とは違うの、こんなコトしてるの、って自慢げなナル思考しか伝わってこない気がする。



初めて知ったけど人文学、童話作家などの経歴を経て 作家となり 次々と作品を出し 輝かしい賞を得た半生。

でも、残念だけど 立派な半生に相応しい人格者とは思えない。

言葉を使いこなす卓越した技量はあるけれど

その技量を使いこなす思考力は・・どうだろう?





[ 2006/08/26 01:49 ] [ 編集 ]
Re:う”~(08/25)
「う"~」。。。だよね>黄パジャマさん



 > 子種を取り除く=命を奪う じゃないと思います。



ここには大きな大きな違いがありますですよね。

「子種」のいのち と 母猫の胎内で育ち、この世に生まれ出たいのちと、

何故、同等だと考えられるのか、が判りません。



「ヒト」で言えば、バースコントロールすることと、生まれてきたお子を殺すことと、

決して一緒にはできないでしょうに。



「ネコ」と「ヒト」は違う?



それなら、賢しらに

 > 人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。

と言いながら、

生まれ出でた子猫を崖下へ投げ捨て放置する行為を堂々と披露し、

エッセイとして飯の種にするんじゃないよ!



、、、、と思う今朝も暑い1日となりそうです。
[ 2006/08/26 06:54 ] [ 編集 ]
Re:目的のなさ(08/25)
だぁるちゃん、トラックバック返しを有難う☆☆



 > いっぱしの覚悟を謳う冒頭の文章だけど、

 > 自分の言葉にも行為にも 生き物たちの生命にも

 > なんの責任ももってないと感じるのです。



ぅん。 上っ面の言の葉だけ、だよね。

このひとの7月7日付の『生と死の実感』というエッセイのなかで、

ドライブする1番の楽しみは、鶏の死骸を発見すること、と書かれてたのを読んで、

もぅ、感覚が違うんだ、と思った。



彼女は、タヒチ島という住環境から「感覚がマヒ」させられて(←本人の弁)順応し、

こ~んなにワイルドな毎日を送ってるんだよーん、と実は鼻高々なエッセイだったなんて。



賢しらに紡ぐ、自分の飼う猫の「生」の充実【だけ】への視点。

生まれて来た仔への視点はなく、母猫としての生の視点もなく、

「ごめんね」と泣きながら仔を自らの手で縊り殺し、埋葬して手を合わせることもなく、

ただ、崖下へ投げ捨てて終わり。



それで、どんな「殺しの痛み、悲しみ」を引き受けた、と言うんでしょ(怒)。



賢しらな言の葉が、「痛み」とか「悲しみ」という上っ面を撫でていくことのこの不快感。

彼女の、言の葉の発し手としての責任、覚悟を、私はこれからじっくり観せていただきます。

[ 2006/08/26 07:39 ] [ 編集 ]
Re:猫の「生」の充実 とは。 (08/25)
おはようございます、訳ありでブログお休み中のぴょん2☆です。

昨日 この件を知りました。頭の中???、暴れたい。

動物を飼った経験は 中学時代にパンダうさぎだけですが、赤ちゃんが生まれた時は大騒ぎで貰い手を見つけました。(経験不足で複数を一つの飼育舎に飼ってしまいました。)今は 犬も猫も飼いたいけど、長女のアレルギーで禁止です。



坂東眞砂子さん、小動物を殺すのがエスカレートしないと良いけど。文の中では 何だかとっても 尤もらしい事言っているけど どこにも共感できず私にとっては意味不明です。

あんまり沢山の言の葉を持っていない私は りうりう*さん ちに書込みする時とっても緊張なのですが、今日はどうしても。

ああ~嫌だこの人、坂東眞砂子さん。

>生れ落ちるや、そこに放り投げるのである

子猫は生きているんですよ。こんな人がいたなんて。もう、駄目です。
[ 2006/08/26 08:45 ] [ 編集 ]
大泣きはしなかったけど・・・・・
考えましたね・・・。

TBさせていただきました。
[ 2006/08/26 10:07 ] [ 編集 ]
ごめんなさい
知らず知らずに傷付けていたかもしれないですね

周りに目がいかなかった点ではこの作家さんと同じかもしれません

猫は産まれた子を奪われてしまうとその子の事を忘れてしまうのだそうです

親子猫がいてどんなに子猫が可愛くても絶対に連れて来たらいけないのです

だからといって新しく「生」を受けた子を闇に葬り去るのはどうでしょう?

わざわざ生まれさせる方が残酷だと感じるのは私だけでしょうか

人間の都合と片付けられたらペットや家畜は誰一人として飼えないと思います

家のちびにゃんは親に見捨てられた子なので同じような境遇の子を絶対に生まれさせてはいけないと思っていたので去勢は当然だと考えていました

りうりう*さんがおっしゃったような「ごめんね」という感情は持っていませんでした

反省しています
[ 2006/08/26 13:31 ] [ 編集 ]
「暴れたい」
うん、暴れちゃおう!!>ぴょんぴょん☆さん



ごにょごにょ言ってる場合ぢゃないよね?

「ネコの生の充実」だろうがなんだろうが、「それは変!」だし、

「考えられない!」し、「ありえない!」、でいいんだと、思っちゃいます。



 「 ふーん。 あなたはそーなの?

   でも私は違うし、同じと言われても困るし、

   不快になるから、もぉ、黙ってて? 」



ってレベルの話のような気もして来ています。

。。。それじゃ、歩み寄れない、理解し合えない、決裂でしかないんだけれど。



 >> 生れ落ちるや、そこに放り投げるのである

  > 子猫は生きているんですよ。こんな人がいたなんて。もう、駄目です。



そそそそ。 仔猫の生、について、一切の視点がないですよね。

彼女は、社会的責任から、って書いてましたが、

「 生ましめて投げ殺す 」という行為は、

社会的責任のもとに、正当化できる行為なのでしょうか。

[ 2006/08/26 20:01 ] [ 編集 ]
Re:大泣きはしなかったけど・・・・・(08/25)
トラックバックを有難う☆☆>rain27jpさん

rain27jpさんちの方へコメントさせていただきました~☆



結局、人間が自分の都合で、動植物を自由にするとき、

常に「 これを自分がこうする、ということは、種としてどーなん? 」って

考えないといけない、ってこと、ですよね。



昆虫を飼うにしても、それは人間の都合でしかなく、

卵を産ませない、孵らせないようなことをしてはならない、のですよね。

「飼う」ということを通して、子どもたちのこころに、愛が生まれ育ち、

もっと進んで自然を守ろう、いのちを守ろう、という想いが育つよう。

私たちは、責任を負う、のですよね。

[ 2006/08/26 20:30 ] [ 編集 ]
Re:ごめんなさい(08/25)
とんでもないことです>萪柊さん



  > 周りに目がいかなかった点ではこの作家さんと同じかもしれません



同じな訳がありませんよ~~!!

ちびにゃんちゃんを愛して愛して、大事に育てていらっしゃるではありませんか。

 

 > 人間の都合と片付けられたらペットや家畜は誰一人として飼えないと思います



ぅん。。。

でも、やっぱりやっぱり「人間の都合」であることは事実で、

んだから、それをあっさり「片付け」てはいけないんだ、って思います。



殆どの方々は、無意識にでもまず愛し、

そして、その「生」を全うさせようと、でき得る限りの努力をされてる、と思うし、

赤ちゃんが生まれたら、引き受けられるかどうか、考えて選択される、と思います。



んでも、やっぱり、避妊や去勢手術は自然ではないこと

ですよね。

「去勢は当然」と思ってらした萪柊さんも、

「同じような境遇の子を絶対に生まれさせてはいけない」と思ってらしたからだし、

いざ、ちびにゃんちゃんを病院へ連れて行かれたら、きっと「ごめんね」って、

自然に思われるはずだと思いますですよ。



、、、余りなヒトの身勝手さ、残酷さを突きつけられ、

いろんなことを考えさせられた坂東氏のエッセイでした。

それだけでも、私にとって意味が在った、って無理矢理思うことにしたいなぁって、

今、思っています。。。。

[ 2006/08/26 20:59 ] [ 編集 ]
”命”への思い
このエッセイのこと、小耳に挟んだまましっかり考えてはいなかったので、ここで知ることができてよかったと思っています。



私は犬猫を飼うには子供一人を養うくらいの覚悟が無いとダメだと思っているので、とても飼う自信が無いのです。軽い鼻アレルギーを持ち合わせている(家族も)という事情もあり、欲しがっている一人娘の懇願にはずーっと”NO”。



飼う側の”責任”って大きいと思いますね。

”命”を預かるわけですもの…そうすると親猫と生まれてくる子猫との命の重みに差は無いはず…ですね。



細部まで理解しづらいのですが、

やはりこの世に生を受けたものに手をかけることには納得ががいかない。

さらに

死者(猫であっても)に対する態度も受け入れがたい。

子猫殺しをした自らを正当化するような言動も許しがたい。



”命の重み”への私の思い。

わが子にもしっかりと伝えていかねばならないと思いました。





追伸:遅ればせながら我が家のオーブンレンジの後日談upしました。ご心配をおかけいたしました…。





[ 2006/08/26 21:58 ] [ 編集 ]
Re:”命”への思い(08/25)
かずまま13さん、有難うございます☆☆



 > 私は犬猫を飼うには子供一人を養うくらいの覚悟が無いとダメだと思っているので、

 > とても飼う自信が無いのです。



あぁ、、、ご一緒です!!!

だもんで、少年たちには、母に世話をする自信がないことと、

母も少年たちも「アトピーを持っているからダメ」という二大理由で

「NO」と言い続けて来ました。



んでも実のところは、私には、少年たちのいのちを授かり、預かり、育んでいくことだけで、

いつだってパニック状態のいっぱいいっぱいだった、というのが真相であり、もうひとつ。



情けないことに、愛情激しい私にとって、

「(愛犬に)先立たれる(であろう)」ということに異常な恐怖があり、

それに直面する少年たちを支えられる自信がなく、私自身がまず耐えられない、と(゚゜)\バキ☆



弱虫、逃げ虫、の私なのです( ┬_┬)。



 > ”命の重み”への私の思い。

 > わが子にもしっかりと伝えていかねばならないと思いました。



親ができることって、実はそんなにもない、ような気がしています。

ただ、ひたすら愛し、そして、いのちの大切さ、尊さを伝えること、だけではないか、と。



* 追伸を有難うございます^^*☆

  これからお邪魔致しま~す☆☆

[ 2006/08/27 08:04 ] [ 編集 ]
Re:猫の「生」の充実 とは。 (08/25)
本日発売の 週間ポストにも 関連記事が載ってるぞい!是非 立ち読み(ダメだめ)購読くだせい!

なかなか 面白いぞえ。
[ 2006/08/28 12:21 ] [ 編集 ]
週刊誌
う"~ん。。。>りきkkぱぱさん

さぞセンセーショナルに書き立てられてるんでしょうね。。。

なんだか見出しから想像できそうです。



 > なかなか 面白いぞえ。



面白かったですか?

坂東氏の立場から、とか、

坂東氏擁護の論なら、どんなことを抜かすか、ちょっと識りたいかも。



んでも、バッシングだったら、、、、

せっかく教えて下さったんだけれど、もぉ、おなかいぱ~ぃ、かも(゚゜)\バキ☆

[ 2006/08/28 23:44 ] [ 編集 ]
Re:猫の「生」の充実 とは。 (08/25)
わたし、猫飼っていました。

「飼う」という文字がイマイチなくらい

長生きしてくれて約20年?



ええと、メスです。

でも、避妊手術に抵抗があって、

室内飼いを徹底することで、さけられました。

当時、階段のある家だったので、運動不足は

避けられたと思います。



ただ、どうしても「さかり」の時期があって

トコロかまわず、おしっこをするので

とうとうガマンしきれず、手術しました



こっちのつごうを押し付けるみたいで

イヤだったので、手術には抵抗があったんですが

結果は「して良かった」のです。

お医者さんに、言われました。

「手術したことで、悪いものがとれたよ」

どうにも、出産を望まないなら

手術したほうが、

猫の体のためによかったという

ことがあるそうです。



避妊手術がイヤならば、

出産のおそれのない飼い方をすりゃいいんです。



それだけの覚悟がないなら「飼うな」です



運動不足にならない環境を

あたえる住まいを用意する。

さかりで、おしっこしても、

掃除すりゃいいんです。



要は、猫の「自由」という言葉の影に

「しんどいことはしなくない」身勝手さが

見え隠れします。







[ 2006/08/31 09:46 ] [ 編集 ]
猫ちゃん、20歳。
たまご姫さん、20歳の猫ちゃんは、人間でいうなら大長老ですね?

オギャーと生まれた赤ちゃんが、まさに成人する年月。

うちの上の少年と同じだけ。

切っても切り離せない「家族」ですよね。



その家族の生んだ仔猫を、家の裏の崖下へ放り投げて殺し、後始末も自然に任せる。

「悲しみと痛みも引き受けて」。



そんな彼女の慟哭の想いが、この文では私には受け取れません。

このエッセイの前のエッセイで、彼女が犬の仔を殺していることも読みました。



 > 要は、猫の「自由」という言葉の影に

 >「しんどいことはしなくない」身勝手さが見え隠れします。



私も、そう感じてならないのです。

なのに、殊更、賢しげに「猫の生の充実」を尊重する、という言い方をされるのが、

とても神経を苛立たされます。



 >「手術したことで、悪いものがとれたよ」



猫ちゃんにとって、結果良かったことが、とても有難かったですね!

「ごめんね」というお気持ちが、少しだけ軽くなられたことでしょう。



「ごめんね、でもその分、良い飼い主であるよう、一生懸命努力する。

 楽しく一緒に在ろうね」

でいいんですよね、きっと。

[ 2006/09/02 08:43 ] [ 編集 ]
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