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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

『 できるひと が できる形で 』 ??



先の記事に続いて、あそびすとさんの 『 そろそろPTA 』

★のん★きっずさんの 『 3学期の課題 』 へトラックバックさせていただきます。




あそびすとさんの3)、全文引用 (改行 りうりう)


   > 3)PTA活動

   > どうしても平日昼に偏る活動。
   > もっと活動のバリエーションが増えれば、いろんな人が参加できるという
   > ごもっともな意見と、活動が多すぎるというごもっともな意見。

   >「できる人が出来ること」「やりたい人がやりたいこと」をということが
   > こんなにも難しい。
   > 年2回まわってくるだけの全員持ち回り当番でさえ、負担の声が上がる。

   > できる人が出来ることをすることが、できる人に負担を強いることになり、
   > できる人の好意に甘えることになるという認識、
   > 私自身は、それはできる人の選択なのだから、
   > 負担を強いることにはならないと思っているが、
   > 現実には、そう考えられてはいない。

   > P活動はボランティア活動なのか? サークルなのか? 




う"ぅ。 悲しいよね。


PとTが、子どもたちを守り、あたたかく見つめ、
よりタイムリーなサポートをしていこうとするために、
互いに顔見知りとなり、こころと手をつなぎあうことが、当たり前、でないなんて。


あたかも「 強制 」のように「 負担 」になってくるなんて。


でも、今や、皆が皆忙しく、
貴重な皆さんのお時間や労力を割いていただくお願いをするときに、
その問いかけが、いつだって根本に来る。


うちのPTAでは、幸か不幸か、
公然と「PTA不要論」をぶつけて来られる御方はいらっしゃらなかったが、
私は、【 なくて済むものなら、ない方が幸せなシステムである 】という
逆説のもとに、「PTA必要論」を採っている。


昔、こちらにおいでくださる多くの方々の おそらくきっかけとなった、
  ●  『 PTAは本当に必要か 』
  ●  『  朝の旗振り当番(挨拶運動)考 』 にて、
本文といただいたメッセージへのお答えのなかで、随分思いの丈を綴った。




基本は、『 できるひと が できる形で 』だろう。 どうしたって。


しかし、『 できないひと 』 も、役員さん任せで終わらせるのではなく、
『 どんな形ならできるか 』 考えてみよう、と思ってもらえる活動が必要なのだと思う。
 【 できないひと も どんな形なら できるのか 】



役員さんが1年で交替していく、常に未熟な組織といえるPTA。

その分、毎年毎年、新しい役員さんたちが、手探りしながら体当たりで、
無駄も無理も山ほど体験されながら、それでもなんとか1年を繋いでいかれる。

泣き笑いのなかで、1年前より確実に知り合いを増やされ、笑顔に凄みが増し?、
さまざまに学んで卒業される。



【未熟な組織だからこそ】 大きな魅力が在るとするならば。

私は、そこに大きな希望と期待を生む可能性がある、と考えたい。



役員体験者さんは、是非、その折に感じた想いから、
次期役員さんのこころをサポートしてあげて欲しい。

自分が役員だったときに、悲しかったことが次の役員さんに起きないように。
嬉しかったこと、楽しかったことが、次の役員さんでもそうであるように。


役員さんでない保護者からの、さりげない声掛けや協力は、
新役員さんにとって、とてもこころ励まされるものであり、大きなパワーになる。

そうした温かなこころのサポート関係を皆が感じられるようになったとき、
「役員決め」の際の、あの仁義なき戦いの様相に終止符が打たれるのではないか。



何かことが起こったとき。

やはり頼りになるのは、日頃から交流があって、
気心知れた「顔見知り」であるひとびとであり、
声を掛けて行きやすく、集まりやすい「仲間」である。

さまざまに事情を抱えているのはお互い様なれど、何かこと起きれば、
「 よっしゃ、一肌脱ごう! 」 と言い合える関係。

個々人の輪は小さくとも、
これが、PTAを通じてどんどん増えていき、輪が繋がっていけば、
子どもたちにとって、これほど強力で、安心な頼み綱は他にない。




児童の登下校中に起きた、無残で痛ましい不幸な事件が相次ぎ、
日本全国で、PTAの存在意義、底力、地域の力、といったものが
改めて見直され、内外からテコ入れされつつある今、

『 できるひとが できる形で 』 を 徹底させ、

そしてそこから、1歩も2歩も歩を進めた形を提言したり、
皆で考えていける、素地作りが出来はじめているように感じる。


今。 今、動かねば、もう後はない。

そんなような危機感も、もちろん、抱えつつ。


【完熟していない】組織であるということが魅力のひとつとなるように。


皆で考え、皆で歩んでいく。
あちらこちらにぶつかりながら、皆が学んでいく。
例え歩みが鈍足でも。


【皆で】歩んでいける、進んでいける活動であるように。



役員さんは役員さんで考えよう。
自分たちの活動で、ひとりでも多くの保護者さんの協力を得られるように。
あたたかな共感をいただけるように。


役員さんでないひとは、役員さんでないところで考えよう。
自分があれほど嫌で、負担で、逃げ切った『役員』を引き受けられ、
1年間、歯を食い縛って頑張って下さってるひとが在ることを。

役員でない自分には、関係ないことなのか。
自分は何もしなくていいのかどうかを。


ペン問




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ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : PTAPTA役員選出PTA役員決めPTAは何のため役員と非役員できるときにできる形で

[ 2006/01/06 00:00 ] 本日のPTA | TB(0) | CM(22)
Re:『 できるひと が できる形で 』 ??(01/06)
おりしも、正月に主人とその話をしていたところです。

『じゃぁ、何ができますか?』という問いに関してですけど。

「できない」と言う人に「じゃぁ何だったらできますか?」の問い。

う~んと・・・長くなりそうなので、日記で一回整理してから、また来ます(^ ^;ゞ
[ 2006/01/07 13:58 ] [ 編集 ]
『できないひと』 でした
セガレ、オチビを通じて 一度も参加したことない不遜の輩です。

『仕事=稼ぎ』が一番の理由だったけど

学年初めの役員決定から外れたら 後は全く知らないことでした。

コレを、って要請もなかったし。



保育所のころは 家で出来る用意を持ち帰ってしたりしたけど・・



[ 2006/01/07 14:15 ] [ 編集 ]
Re:『 できるひと が できる形で 』 ??(01/06)
できる人が出来るってことと

できるけれどやらない人

出来そうもないことでもやってしまえる人

誰がみてもやれない人



ってやっぱりいる、本当にできない人が出来ないって言ってそれでも居心地よくいれて、みんなでサポートしあえて、みんながひとつになれる学校。



そしてやれる人は笑顔で協力していく。



ありえないけれどそんなPTAにしたいと本気で思っていたりします。

(今年度は来てくれている人の顔を見ればありえそうな気がしてくるんだなあこれが)



今日は会議の雰囲気がよくてハイ状態です。(^_^;)

[ 2006/01/07 16:48 ] [ 編集 ]
『 できないひと が できること 』
ぅん。。。>_AZ_さん



あそびすとさんちで少し書かせていただいたのですが、

「負担」という声が現実に在ることに対して。



でもその同じ「負担」を背負っているひとが在ってPTA活動は成り立ってる、ということに

なんとか、自然に気付いていただけるような雰囲気にならないかなぁ、、と。



『できないひと』を責めるんぢゃなく、

みんなが感謝しあい、居心地良く、いざ、というときに助け合える形。



「できない」「負担である」→「だったら、できない自分はどうしたらいいか」。



無理なく自然に一緒に考えていくことができるように。

愛する子どもたちが同じ学校に通う保護者同士として、共に在れる学校でありたい。



そのために「できないひとたち」へのアプローチ、問い掛けの形がどう在ればいいか。

はぅぅ。

これが全国的なPTAの永遠の課題だなんて、ちょっと悲しすぎるのですが、現実は現実。



そのなかで。 一歩一歩。

[ 2006/01/07 17:03 ] [ 編集 ]
Re:『できないひと』 でした(01/06)
不遜の輩、だなんて。。。>だぁるさん



いろんなPTAがありますからね、

役員決定から外れたら、もう後は何も知らないで、要請もされないで全然OK。

PTAと自分は無関係!で充分回る、そんなPTAもあった、と思いますですよ~。

閉鎖的な雰囲気で、毎年毎年、同じ顔ぶれが(偉そうに(゚゜)\バキ☆)牛耳り?、

ただごろごろ行事を回すだけ(゚゜)\バキ☆、みたいなPTAもあったでしょうし。



しかし、年々そんな悠長なことをヤってられるPTAは少なくなって来てますし、

こうして、不幸な事件が起こったりしますと、保護者全体の力が切実に望まれます。



だぁるさんが、参加しなくて良かったPTAは、

裏返せば、だぁるさんが参加しづらかった、身近でないPTAではなかったでしょうか。



お子や学校に対する、自分たちひとりひとりの想いや願いが反映されたPTA。

なんの難しいこともない、普段着の自分たちのPTA。

誰もが、「できる形で」参加できる。

その形を、パワーを必要とされてる。

そんな組織でありたいものだ、と思うのですけれど。



役員さんたちは、何を目指し、何を頑張ってるか。

どう、動いているか。

何故。 どうして。 何のために。

内から外からいつも見えるように、皆さんに考えてみていただけるように、

もっともっと内へ外へと、働きかけていく努力が必要ですね。

[ 2006/01/07 17:37 ] [ 編集 ]
みんなが居心地いい。
そそそ>★のん★きっずさん



 > 本当にできない人が出来ないって言ってそれでも居心地よくいれて、みんなでサポートしあえて、みんながひとつになれる学校。



そうなんですぅぅ。

普段、何もできない、ってひとも、何かをみつけたら、他の形で参加していただけるような。

どんな形でも。 例え何年後でも。



 > ありえないけれどそんなPTAにしたいと本気で思っていたりします。



ありえないかなーー??

ひとりひとりが、ほんのちょこっと。

それぞれに頭の隅に入れておいて下されば、きっと実現できると思うんだけど。



みんなが、それぞれに居心地がいい。

っていうか、居る場所が在る、って感じのPTA。



気に掛かっておられた会議、

新春から良き雰囲気で何よりでしたね☆☆

なんだか縁起良ぃ感じで、皆さんから元気が貰えそうで、嬉しくなっちゃいますね。

[ 2006/01/07 19:55 ] [ 編集 ]
Re:『 できるひと が できる形で 』 ??(01/06)
できないのならその理由を聞かせて。

どんな活動だったらできるのか、それを聞かせて。

これならできる、と言えるもの、それを聞かせて。

じゃぁそういう風に変わっていきましょう。



...でも、なかなか言ってくれる人すらいなくて・・。

というより、言ってくれる人は、

やってくれている人でしかなく・・・。

堂々めぐりがつづくのでした。
[ 2006/01/07 21:46 ] [ 編集 ]
PTAにかぎらず
「できる人ができる形で」論は通用する考え方だと思います。

理想論かもしれませんが、理想論大いに結構ではないですか。

現実ばっかり見て、諦めてばかりより何倍もすばらしい。

私も今年役員をやらせていただいていろいろ勉強になりました。来年以降いつできるか分かりませんが、できるときにまた何らかの形で貢献できればと思っています。



ビーチバレーボール以外で、ですが……(でへ)
[ 2006/01/08 00:26 ] [ 編集 ]
Re:『 できるひと が できる形で 』 ??
私などはどちらかというと『できないなら、できるようにしちゃえ!』というような奴なので、やりたくない人からは嫌われたかも・・・。



疲れ果てる役員さんの一番多かった理由は、他の役員さんとの調整ではなく、何もやらない保護者からの一言だったりという。せめて、やれない人はやって下さる役員に尊敬の念を抱いてくれれば、よい雰囲気で一年が過ごせるのにと思うことしばしば・・・。



でも、本当にみんながそれぞれの立場で考えていくことは大事です。そして、できれば考えたことを言葉にして伝える努力を・・・もちろん尊敬の念を込めた心優しい言葉を紡ぐことを忘れずにね♪

[ 2006/01/08 00:31 ] [ 編集 ]
アプローチの仕方
ぅぅぅ(涙)>こまま1023さん、つらいよね。



 > できないのならその理由を聞かせて。

 > どんな活動だったらできるのか、それを聞かせて。

 > これならできる、と言えるもの、それを聞かせて。

 > じゃぁそういう風に変わっていきましょう。



「聞かせて?」と言うときの【聞く側】と【聞かれる側】。

なぜかしら、【聞く側】の立場が圧倒的に強いんですよね。

そのひとたちは、歯を食い縛ってヤって来たひとたちだから。

或いは、「好きで楽しそうに」ヤって来た(ように見える)ひとたちだから。



【聞く側】には全然そのつもりはないのに、【聞かれる側】は、詰問されたように感じ、

同じ保護者から責められたように感じ、何も言えず。

そして、そのときのもやもやした気持ちを、後で、陰で、

「何よーーー、あのひとたち、何さまのつもり?」

「PTA役員って、そんなに偉いの?」



それがまた、巡り巡って【聞く側】の耳に入り、【聞く側】のこころを砕く。



【聞かれる側】の方が絶対有利で、強いよなぁと、いつも思う。。。。。

この悲しい堂々めぐり、何処かでぶっ壊してしまいたいよね。

[ 2006/01/08 09:11 ] [ 編集 ]
アプローチの仕方 2
私は、この【聞く側】【聞かれる側】という二極を取り去ってしまいたいなぁって、

こころから思うんです。



みぃんな一緒に語って、一緒に聞いて。

どんな形だとそれぞれに動いていけるか。

その年ごとに、そのクラスごとに、いろんな形があっていいのではないかと。



例えばクラス役員。

大変なら、役員班みたいにして、複数決めて、会議に出られるひとが出て、皆に周知していくとか。



とにもかくにも、語り合い、皆で考えていく。



でも、それができない。

忌憚ない意見が出始めるためには、互いのこころの垣根が取り払われねばならず、

それにはとっても時間が掛かるから。

みんながそれぞれに語れるようになるまでの時間がない。



だから、PTAが、いつだって皆の語り合える場で在りたい、そうなりたい、と思う。

それが、普段からのかかわり合い方であり、普段からの努力ですよね。



時折、PTA活動は、

お子たちを守り育てるPとTが、本音でそれぞれに語り合える、考え合えるようになるために

あるのではないのかな、って思うことがあります。



鶏・卵。



つらーぃ堂々めぐりを、少しでも良い方向へ向けて、嬉しい相乗効果な輪廻にしたい。

そのためには、とりあえず、笑顔で、ふぁいと、ふぁいと、だよね☆

ぅん、ふぁいと☆>ぢぶん

[ 2006/01/08 09:13 ] [ 編集 ]
Re:アプローチの仕方 2(01/06)
りうりう*さん



来年度の話をしていた推薦委員。

ある委員会が月ごとに実行の出る人を変えて用は月ごとに委員長をローテーションしていいのかという話になっているのだそうです。



7人がひとつなので仲のいい人たちで組んで、月当番を決めて役割を分担する。



へ~って思ったけれど、もしみんなの気持ちがまとまって動けるんならそう言うのもありかなと思ったりしたしだいでした。



まったくわからない人同士ならそれはちょっときついけれどね。

多くの人にPTAをわかってもらってやっていくるようにするならいい案かもしれないと思ったりするのです。



でも面白い発想だよね。

[ 2006/01/08 10:26 ] [ 編集 ]
トラックバック
いただいていきますm(_ _)m
[ 2006/01/08 20:59 ] [ 編集 ]
Re:『 できるひと が できる形で 』 ??(01/06)
こんばんは~。

タイトルが気になって覗きに来ました。



PTAの『P』は保護者全員ですよね。それなのにPTA=役員の会と思っている人が私の周りには多いような気がします。

子供がお世話になっている学校の事には全員が関わるべきなんですが、なかなか理解が得られてません・・・。



全員が少しでも『できる』を形に・・・。難しいことですね(汗)

[ 2006/01/08 21:34 ] [ 編集 ]
Re:PTAにかぎらず(01/06)
あ~さんままさん

複数の人数で、何かの目標をもってことを成そうとするとき、

他者を出し抜くことこそが評価の対象となったりする、利潤追求の企業組織でない限り、

【できる人ができる形で】という考え方は、限りなく正解に近い考え方のような気がします。



でもそれは、ひとの善意、お互いさまだと助け合う精神が前提だったりするので、

【理想論】と斬って捨てられちゃうのでしょうね。



しかし子どもたちを育てる現場であり、

その子どもたちを育てる当事者の最たる保護者、教育者が、

理想の姿たろうと努力しないでどーする、と思っちゃいますもーん、私。



 > 私も今年役員をやらせていただいていろいろ勉強になりました。



ビーチバレーが出来ないことでの、本部役員辞退勧告事件は、衝撃的でした。

思いっきり、【現実】でしたですよね。(でも、もう随分昔のような気が致しますです)

また、あの「老人会」さんのお話には、TBさせていただきたい、と思いながら、

とうとう時期を逸してしまいました。



この1年。 思えば眩暈がしてきそうですね。

もう少し、あ~さんままさんは臥竜の時期。

レポート書きつつ、しっかりエネルギーとパワーを溜め込んで、

時至れば、どっかーーーーん!!ですよ^^*☆

より高く、より勁く、舞い上がりましょうね



どっかーーーーーん!! (あ、今、マナたんのイメージが(笑))



[ 2006/01/09 03:15 ] [ 編集 ]
信長、秀吉、家康。
わきさん、今年もどうぞよろしくお願い致します☆



 > 私などはどちらかというと『できないなら、できるようにしちゃえ!』というような奴なので、やりたくない人からは嫌われたかも・・・。



わきさんは、秀吉タイプ、になられるのかも???

そして、TBいただいた_AZ_さんは、信長タイプ。

んでもって、私の超理想論は、家康タイプとなるのでしょうか。。。。

(すみません、『できるようにしちゃえ!』というのがツボにハマって、

つい『鳴かせてみしょう』に対応するかな、と安直に当てはめてしまひました。

 深い意味はありません)



 > 疲れ果てる役員さんの一番多かった理由は、他の役員さんとの調整ではなく、何もやらない保護者からの一言だったりという。



結局、ここ、なのですよね。

日本全国、いろんな学校があって、いろんなPTAがあって、いろんな形があるのに。



結局、(様々な条件付きであっても)最終的に役員をお引き受け下さり、

責を全うしようとされる方々と、

なにがどうあっても、全身で拒絶される方々との温度差。



拒絶される理由の殆どが、ご家庭のご事情なのでしょうが、本音の部分では、

「嫌」 「(無理して)参加する意義を認めない」

そんなようなところが多いのでしょう。



これはその方々だけの問題ではなく、その方々をそう思わせてしまう、やはり、PTAの魅力不足、

努力不足、が大きいよなぁ、と長年執行部に在った私は反省してしまいます。



 > でも、本当にみんながそれぞれの立場で考えていくことは大事です。そして、できれば考えたことを言葉にして伝える努力を・・・もちろん尊敬の念を込めた心優しい言葉を紡ぐことを忘れずにね♪



ですね!!

少し、_AZ_さんへのお返事も含めてまとめてみたいと思います。

[ 2006/01/09 11:14 ] [ 編集 ]
Re[1]:アプローチの仕方 2(01/06)
ありがと>★のん★きっずさん

私は、「面白い発想」だとは思わないんですよ。



「できる形」を目指す、「形にとらわれない」あれこれのひとつとして、

そうして公に提案された、ということがとってもとっても有難いなぁ、と思います。

おおいなる知恵、そして既成概念を壊す勇気、だと。



私が、小学校の副会長をしつつ、子ども会の会長をしたとき、

同学年の保護者さんたちに、それこそ当番制の如く、入れ替わり立ち代わりで、

随分助けていただきました。



その折、特定の行事の達成などを目的とする実行委員などは、

行事遂行の目的が達成できればいいので、当番制であろうが、いつも顔ぶれが違っていようが、

その方々のなかでコンセンサスが取れており、責任もって行事遂行ができれば、無問題、と

痛感したものです。



それこそ、1人の役員さんが1年間、苦しんで、その「役」をやり遂げられても、

来期にバトンがしっかり渡せなければ、その御方の精神的な歩みだけに終わってしまいますが、

数人の仲良しグループさんでやっていただければ、その「役」のなかみも、数人共通のものとなり、

いろんな知恵も提案も、数だけ出て来られることでしょう。

こうして、多くの方々がPTAにかかわるようになっていって下されば、

「PTA」とは、特別なものでもなんでもなく、すぐ身近に在るもので、自分自身のことであり、

「役員さんは特別」なるヘンな一線、垣根もなくなっていくんぢゃないかなぁ。。。

[ 2006/01/09 11:32 ] [ 編集 ]
トラックバックを有難うございました☆☆
_AZ_さ~ん。 また改めてお返事させていただきますね☆☆

[ 2006/01/09 11:34 ] [ 編集 ]
『PTA』 の P の字
芙衣さん、はじめまして。

メッセージを有難うございました☆☆



 > PTAの『P』は保護者全員ですよね。それなのにPTA=役員の会と思っている人が私の周りには多いような気がします。



うう。 「現場」の役員さんには、なんとも辛い状況が結構あられたのではないでしょうか。

それでも、「役員の会」で、なんとか回ってらしたPTAでいらっしゃったのでしょうね。



これはもう、執行部を中心とした皆さんの働きかけ、ひたすら努力でしか

取り除けない垣根のようなもののように感じています。

(大規模校のPTAでは、何か勘違いして、ふんぞり返ってる役員さんもいらっしゃったりするし)



不幸な事件が相次ぎました。

毎日の子どもたちの集団登下校、保護者のパトロールなどが求められて来ています。

ここを突破口として、芙衣さんちの皆さんがPTAのPについて、

PTA活動について、考えていけるようになれるといいですね。

[ 2006/01/09 11:44 ] [ 編集 ]
トラバさせていただきました
 あー、なんか9ヶ月前の熱いやりとりを思い出しますね。



 できない人、やらない人をどうするか……。

 できない人は仕方ない。そのぶんをみんなでサポートするために組織を作ったんでしょう。



 やらない人は……んー、「やらなきゃいけないよ」「親としての務めだよ」と言いつづけ、そして意義ある活動を続ける。



 防犯意識の高まりは大チャンスだと思っています。

[ 2006/01/09 14:04 ] [ 編集 ]
こちらからもTBさせていただきます。
せっかくなのでこちらからもTBさせていただきました。



考えれば考えるほどわからなくなるけれど

今のところ私には直で批判は聞こえてこないので、そのまま突っ走ってます。(陰口も耳には入ってない、あるだろうとは思ってるけど)

だから私の前でできないよ。とか何にもしたくないって人、いないんですよね。



みんな何かの形でかかわってくれている。



本人がこれがPTAなのかどうかわかってなくてもね。(^_-)-☆

なので、とりあえず今がチャンスだと思ってます。



いい仲間がいる間でよかった。
[ 2006/01/09 15:20 ] [ 編集 ]
大チャンス
はーぃ☆>かいちょー0011さん

トラックバックを有難うございます☆☆



ぃや~。 かいちょーさんと出逢えて、まだ9ヶ月しか経ってないだなんて。(しみじみ)



PTAって、子どもたちをより「健全」に見守り育むため。

社会へと巣立ち、生き抜く力を培ってもらうため。

先生と保護者が良い連携を取るための手段として、生まれたものなのであって、

それが必要ない学校なら、別にいいんですよね、なくたって。



ただ、せっかく在るんだから。

最大限、利用すればいいぢゃん。 利用すべきぢゃん、って思う。

だって、学校だけ。教師だけ。保護者だけ。では、子どもたちは健全に育たないんだもん。



まずは、その事実、現実を識るために、【学校へ行こう!】ですね。



 > 防犯意識の高まりは大チャンスだと思っています。



全国的に、これだけの危機感が一様に高まったことはかつてなかったほどではないでしょうか。

この際、横並び意識であっても、なんであっても。



不幸で悲しい事件だったけれど、せめて、同じ事件が起きぬよう、起こさぬよう、

みんなで呼び掛けあい、みんなで学ばせていただかねば!って思います。

[ 2006/01/11 23:50 ] [ 編集 ]
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