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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

デイケアをめぐる義母との2年間の攻防戦






2年前のお盆を利用して、2度目の右膝の手術を終え、
退院予定の8月15日の朝、夫より義母が突然倒れたとのメールを受ける。


お盆であったために義兄たちの帰省中で助かったが、
K市中央部にある総合病院へ、手足が麻痺している義母を運び込んだところ、
今度は、お盆であることが災いをする。


血液検査をはじめ、様々な検査をしても、何も異常が出ない。

「 今日のところはお引き取りください 」と言われ、そのまま連れ帰る。
四肢麻痺の状態であっても、検査でどこにも異常が出てない限り、
「異常」ではないから、入院は出来ないと。 もちろん薬も何もない。

義母の麻痺部位がどんどん広がる。

15、16、17日と3日間、毎日義母を抱えてその病院へ通い、
3日目、神経内科にて、骨髄液を採取され、初めて特定疾患であることが判明。
やっと入院となる。


それまで、義父の認知症のような症状が気になり、
何度も義母や義兄たちに義父の異常を申し出るが、
義母は「歳じゃけん、そんなもんよ」と取り合わず、
義兄たちに接する義父は、通常通りなので、義兄たちも取り合わない。
夫でさえ、「そんなもんじゃろう」という。


だが、義母の入院により、義父の症状が激変する。
義父にとって、義母の存在が安定剤に等しいものだったらしい。

夫をはじめ、さすがの義兄たちも義父の「異常」を認めてくれる。

夫の実家へひとり泊まり込んだ私の日々は、 悔悟 に記した。


まず、遠く広島市の高校へ通い、
バスケの朝練もある上の少年のサポートを諦め、実家の母へ託した。

中2だった下の少年は、夕食を食べに来てくれる。
そのときに、顔を見て、翌日の朝食のおかずを渡す。


義父は、日本食しか食べない。
出汁からきちんと取れば、食事の支度だけで1日の大半を遣う。
義父を抱え、車で1時間の義母の病院へ通う。

夜は、義母を探して家中を徘徊し、
外にも出て行きそうであるため、全く眠れない。

術後の右膝が腫れ上がり、保冷剤を膝に括り付けて西に東に奔走する。


   ◆  ◆  ◆


毎日のあまりのキツさに、ついに助けて!と町役場へ駆け込む。


話を聞いてくれた担当者は、まず、

 「 よく頑張られましたね。 偉かったですね 」 と

(私の1番欲しかった)労わりの言の葉を掛けて下さり、号泣する。



義父も義母も介護認定の対象になるため、
手続きはこの場で出来るので、すぐするように勧められる。


 「 家庭内で介護しきれるかどうかは、夜間徘徊の有無がポイントになります。
   夜間徘徊が始まれば、もう、家庭内介護は無理です 」

 「 専門職に安心して任せて下さい。
   家族だけの介護では、する側もされる側も辛いのです 」

 「 介護を自らの活計と想い定め、日々努力している者たちを信じて下さい。
   どうぞ任せて下さい 」


担当の御方の熱い言の葉に、ただ有難く、涙がこぼれるばかりだった。



たが、「介護保険」の申請、要介護認定を受けること、という
義父母の介護に向き合う、まず第一段階で、
予想以上の義父母の抵抗に苦労することとなる。


義父を病院で診てもらう、ということさえ、なかなか承諾して貰えない。
夫も、義兄たちも反対であったため、かなり厳しい道程だった。



 「 なんのために診てもらうのか 」 長義兄から厳しい言の葉が出る。


 「 お義父さんがどんな状態におられるのか、正しく識るため。
   認知症でないなら万々歳だし、
   もし不幸にして認知症であられるのなら、その段階と、
   今後、どんなことが予測されるのか、きちんと識って対策を講じるためです 」


長義兄は黙り込む。



この地では、週にたった1度でも、
ヘルパーさんをお願いしたり、デイケアサービスを利用する者は、
「 ふうが悪い (=格好が悪い の 方言)」
「 子どもたちに見捨てられた、哀れでみじめな年寄り 」
「 家族の努力不足 」 という身勝手なイメージが定着している。

公的支援を仰ぐことに、義父母も泣いて拒否をする。


では、誰がするのか。


嫁である私?

介護は嫁がして当たり前。。。。。??


毎日毎日。 毎分毎秒。


ほんの少しの気の緩みも許されず、
義父母の一挙手一投足に機敏に反応して動くだけの日々は、
自分自身の気力、体力、生命力も刻々と削られ、心がささくれ立っていく。


「 少しでも快適であって欲しい 」…その想いが義務感になっていく。


周囲の「 家族なら支えて(介護して)当たり前 」的な視線は
日に日に疎ましく、プレッシャーになっていく。



だが、毎週末に長義兄夫婦が介護を交替してくれることとなり、
随分と助けられる。
長義兄のつれあいは、中学校教諭であったため、
休日が介護日となリ、どんなにか疲れたことだろう。


10年前、「誰も帰られないのなら私たちが帰るしかあるまい」と、
泣く泣く三男夫婦である私たちがこの地に転居してきたことで、
なんとなくギクシャクしていた兄弟関係であったが、
最悪、義母死亡もしくは、終生四肢麻痺、
そして、義父は最重度アルツハイマーという
この未曾有の危機に瀕して、腹蔵なく、シビアな話し合いがしっかりできた。


そして、晴れて義父を医師に診て貰い、要介護3を貰う。


まず、週2日、3時間のデイサービスを始めるが、
義父は「絶対行かない」と抵抗する。

「 自分は長年民生委員であった。
  そういったお世話をする側であって、される側では絶対にない 」と言う。


センターの方々も心得たもので、
「 そうですよね。 だから、私たちの至らないところなど、
  ○○さんのお知恵を是非お借りしたいのですよ 」 と
うまく連れ出して下さる。


その間に、買い物を済ませたり、大急ぎで義母の病院へ洗濯物を届ける。



しかし、必ず、呼び出しの携帯が鳴る。

 「 何をどう言っても、ダメ。 これ以上引き止められない 」と。

1度は、隠されていた靴を自分で探し出し、
帰ろうと勝手に出て行くところを捕まっている。


そんなこんなで義父の抵抗に苦労しつつ、
それでも段々に慣れてくれるだろう、と努力していたが、
義母が退院してから、義母は、義父のデイサービスをあっさり断ってしまった。



 「 あれほど行きたくないものを行かせるのは可愛想じゃし、
   何より、ふうが悪い。
   家の前に『デイサービス』の車が停まるのも嫌 」 と。



引きこもりがちになっているお義父さんにとって、
決まった曜日に決まった時間、外出することは、
お義父さんにとって、とても良いことなのだ。

また、いずれは、どうしても助けていただかないとどうしようもなくなる。
そのときに、いきなりセンターへお願いする方が、
お義父さんにとっては不幸なことなのだ。 と何度言っても聞かない。



 「 そんときは、そんときのことよ!

   行きたくないものを、無理やり行かせなくてはならん
   私の方がノイローゼになりそうじゃけん 」



天を仰ぐ。


このときから、私のこころの呪文が始まる。

 「 では、お義母さんのお好きに。
   お義父さんは、私の父じゃないし、私の夫じゃないもん 」 と。



ただ、その分、同じように看護、介護、介助に明け暮れておられる方々の心に
自然と寄り添えるようになれたこと。

頭ではなく、肌身で学べたこと。

そんな自分になれるよう、チャンスをくれた義父母にこころから感謝をしている。

この感謝ができるようになったのは、
義母が回復し、それにつれて義父も落ち着き、
義父に内服薬が適合したようで、進行がゆるやかになったため、と
いうことは重々自覚してはいるのだが。



義母が倒れ、あの術後の膝に保冷剤を括りつけて、
東奔西走していた頃を思えば、何に対しても感謝、感謝!


そう、何があっても、頑張れる、と思っていたではないか!


義母も、どう頑張っても公的支援を受けねば
どうにもならない場合があることを識ってくれた。
入浴だけでも、助けていただこう、お願いしよう、と
思ってくれ始めたのは、大きな一歩。


がんばりどき。 がんばりどき。


ふぁいとーーーー>ぢぶん。

ペン励




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[ 2005/11/10 22:59 ] 徒然草 | TB(0) | CM(8)
そんなにがんばらないで
と、言いたいけれど、言われたからってがんばらずにいられる状況じゃないんですよね。



せめて、少しずつ、介護が楽になり、頼れるところに頼ったほうが、家でもっと愛情を持って介護ができることに気づいてもらえたら、

それだけを願うばかりです。



町役場の窓口の人が、あたたかい人で本当によかったと思いました。
[ 2005/11/11 02:35 ] [ 編集 ]
考えさせられます
 私は、つい先日、義母にもしものことがあったら、「お金はだしても、口は出すまい。」と、主人と話し合いました。(金銭的な余裕があるわけではないですが)でも、りうりうさんのお話が現実なのかもしれません。私は、長男の嫁で、息子は私の主人一人ですが、りうりうさんの様に行動できる自信も使命感も、無いです。

 自分もりうりうさんの立場になってしまっつたら・・・と、考えると、泣きそうです。
[ 2005/11/11 08:44 ] [ 編集 ]
Re:デイケアをめぐる義母との2年間の攻防戦(11/10)
>この地では、週にたった1度でも、

ヘルパーさんをお願いしたり、デイケアサービスを利用する者は、

>「 ふうが悪い (=格好が悪い の 方言)」

>「 子どもたちに見捨てられた、哀れでみじめな年寄り 」

>「 家族の努力不足 」 という身勝手なイメージが定着している。



>公的支援を仰ぐことに、義父母も泣いて拒否をする。



>では、誰がするのか。



>嫁?



土地柄というものが其処にあり、

そこの風習に縛られる人が居るということ。

いまの人の感覚では到底理解しがたいものがあるのでしょうね。

「公的支援」を拒むお年寄り。

家族が支えるとはいっても、それは口で言うほど容易いことではないですから。

家族でできることはやり、足りないところは福祉で補うぐらいの気持ちでないと、介護する側が非常にキツイですよね。

『家』とか『嫁』とか昔から女を縛るものがまだ残っている時代と風土。

常にご自分を持ち続けられ、強く逞しく生きて来られたであろうりうりうさんも、時には泪して投げ出したくなることがあるでしょう。

「がんばりすぎないでください」と言葉を送りたいところですが、りうりうさんは、やはりがんばってしまうのでしょうね。

たまには、息をつけるとよいですね。



http://www.geocities.jp/chiaki_konishiki/

[ 2005/11/11 12:49 ] [ 編集 ]
Re:デイケアをめぐる義母との2年間の攻防戦(11/10)
 4年前に逝った義父を最後まで介護したのは義母でした。この次、義母の体の自由が利かなくなったら、介護するのは私でしょう。そうなったら、仕事を家出できる形に変えていかなくてはならないと思っています。少なくとも、こうやって事務所でネットを繋いで、現場で機械を動かして、と言う形は不可能です。



 膝や足首など、じわじわと義母の体も老化を訴えています。心の準備を整えとかなくちゃ!!
[ 2005/11/11 15:40 ] [ 編集 ]
Re:デイケアをめぐる義母との2年間の攻防戦(11/10)
入浴介助だけでも利用する気になった事に感謝ですね(^ ^)

何十年とその地で生活してきて、

何十年という長い人生の中で培われた価値観を変えるというのは 並大抵の事ではないようで・・・

利用できる物を利用する事に、それで自分が楽になったとしても 抵抗がある。

利用しない事で共倒れになっても、それでも自尊心は倒れない。

しがらみとか 染み付いた価値観とか、

こういうのとの対決の方が、介護よりも難題なのかもしれませんね・・・



何はともあれ、今は色んなサービスがある事にも感謝(^-^)

私が 亡き祖母の面倒を看ていた頃(25年前より以前)は、

なぁ~~~~~~~~~~~~~~~んにも無かったですから。

母子家庭であっても、何の補助も何も皆無だった時代。

・・・何十年もかかって、やっと現実化された「公的補助」なんですから、

利用しない手はないです。・・・って、

義母さんも 自分の親や祖父母での苦労を見ているでしょうに、

同じ苦労をしようとしてしまうあたり、

何だか悲しい感じもしますね・・・
[ 2005/11/11 16:47 ] [ 編集 ]
頑張ってらっしゃる姿に
痛々しさを覚えつつ、でも、そうやって前を向いていこうとするからこそのりうりうさんなんだと……。

ふにふにさんも書いてらっしゃるけど、りうりうさんは頑張らないでと言われても頑張らずにいられる方ではないから。

たった数日で、ここまで状況が変化し、それに応じて対応してこられた。ご立派です。

よくここまでこらえていらっしゃいましたね。



ゆっくり眠れる時間と場所があるようにお祈りしております。
[ 2005/11/11 23:18 ] [ 編集 ]
Re:デイケアをめぐる義母との2年間の攻防戦(11/10)
こんなに義父母のことを考えて 一所懸命お世話して差し上げているりうりうさん、頭が下がります。

愚痴ばっかり言っている自分が 恥ずかしいです。
[ 2005/11/12 00:20 ] [ 編集 ]
Re:デイケアをめぐる義母との2年間の攻防戦(11/10)
自分の子供を二の次にして、義父母の介護をなさっていらしたのですね。



あなたの頑張りには頭が下がります。



自分の親でない人にここまで出来る嫁はなかなかいませんよ。



義兄さんもご主人も非協力的な言葉をかけずに、もっと動きやすいように協力してほしいものです。



本当にご苦労様です。そして、ご無理をなさらないように・・・・・。
[ 2005/11/12 06:59 ] [ 編集 ]
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