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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

二七日法要、済みました。




早いもので、もう義父が逝って二七日。

義母と長義兄と3人でお寺にお参り致しました。




ちょうど、ご葬儀の後の初七日の法要を済まされ、
真っ白な骨箱を胸にした、俯き加減の方々とすれ違い、
2週間前の自分たちと重なり、立ちすくむような想いでした。



冷え冷えとした金堂内に入ると、
義父の戒名と二七日法要と書かれた卒塔婆が用意されており、
二七日の位置に置かれていました。


家のお仏壇内でも、
初七日から七日ごとに位牌の位置を一段ずつ昇殿させていくのだそうで、
宗派の違う私は、目を白黒。


結婚して20余年。
それはそれ、これはこれ、と、
全然、学ぶ気のなかった自分をちょっぴり反省。


持参したものは、各自のお念珠のほか、
1升米と、お布施と人数分のお賽銭。

このお賽銭は、お仏壇にもお参りするときに必ず置く。(驚)


お坊さまの読経のなか、焼香し、
お坊さまと義父のお話をし、三七日のお約束をして、無事終了。




   お淋しいことでございましょう。




とお坊さまがおっしゃる。


 「 いえ、それが… 」 と言いかけた義母を


お坊さまは両手で制し、




   自分にできることは全部したから、
   悔いもない、淋しくもない、とおっしゃる御方がたまに在られるが、
   その在りようは嘘でしょう。


   逝かれた御方に想いを残す。 悔いを残す。
   ということがいいのです。

   去ったひとを忘れない。
   その想いを次につなげていく、ということになるのだから。

   例え、悔いがなくとも、淋しくはなくとも、
   それは、口に出さず、こころにしまっておくのがいいのです。





逆説的のように聞こえたこのお坊さまの言の葉が、
暫く、私の耳から離れないような気がします。


想いを残さない、悔いを残さないのがいいのは、逝くひとの側であり、
遺された側は、多かれ少なかれ、何らかの想いや悔いを
こころに抱きしめ、或いは背負って生きるもの。

その想いを次に繋げるということは、

これから、自分「が」想いを残さず、悔いを残さず逝けるよう。
後に遺していくものを悲しませないよう、懸命に生きるのである。


、、、ということなのでしょうか。


ペン?




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[ 2005/11/26 19:09 ] 徒然草 | TB(0) | CM(16)
Re:二七日法要、済みました。(11/26)
悔いの有りすぎる私ですが

せめて残りの人生 懸命に生きて

いつか父と母に頭を撫ぜて貰いたい
[ 2005/11/26 19:15 ] [ 編集 ]
おかあさまのご冥福をお祈り申し上げます。
そらしどママさん

法要から戻って、ママさんちへお邪魔し、滝涙。

やっと涙が止まって、これを書いたところです。



ママさん。

新たな涙が噴きこぼれます。

私も、いつか父と母に頭を撫でて貰いたい。

「よく頑張ったね」と、ぎゅううっと抱きしめて貰いたい。



義父の通夜、葬儀に駆けつけてくれた母の顔を見るなり、涙が噴きこぼれた私です。



ママさん、大丈夫。

きっとおとうさまもおかあさまも笑顔で待ってて下さるから。

こちらでたくさん、懸命に楽しく生きて。

おかあさまへの想いをお子さまたちにお返しして。



時至れば、胸張って逢いに行きましょう!



私、絶対そうするもんんん(T_T)。

[ 2005/11/26 19:22 ] [ 編集 ]
Re:二七日法要、済みました。(11/26)
二十七日法要、お疲れさまでした。



お坊様のお言葉。

とても深いものを感じました。

無宗教で、不信心者の私ですが、こころの奥深くに、ズンとくるものがありました。

今日を、明日を、命のある限り生きていきたいと思います。



http://www.geocities.jp/chiaki_konishiki/
[ 2005/11/26 20:21 ] [ 編集 ]
Re:二七日法要、済みました。(11/26)
なんだか、目からうろこですね・・・

悔いて、哀しんで、淋しがっていいんですね。

そうすると成仏できないと言われる事が多いような覚えがありますけど、

それも宗派や土地柄なのでしょうか・・・

想えば、

悔いや哀しみ、淋しさは、先への糧や「転ばぬ先の杖」にもなり得ます。

また、自分が逝く側になった時の為の備えにもなるでしょう。

物は考えようとは言いますけど、

良いお話を聞けました(^ ^)
[ 2005/11/26 21:54 ] [ 編集 ]
逝った人を悼む
二七日法要お疲れ様でした。



お坊様のお言葉、私も考えさせられました。

夫の死について、後悔ばかりの自分だけど、お坊さんの言葉のまま解釈すると、それはそれでいいんですね?だって、夫を思う故の後悔だし、私は夫を絶対に忘れないし、夫を悼む気持ちの延長線上に夫の残した子供を愛する気持ちがあるのだから。



私はそう解釈させていただきました。



お義母さまにもいろいろな感情があるのですね。

りうりうさん、そういうのに触れすぎて、疲れすぎないようになさってくださいね。
[ 2005/11/26 22:31 ] [ 編集 ]
お疲れ様でした。
お坊様の言葉、心に染みました。

私も悔いないよう、生きなくてはいけないと思いました。



それで思い出したのですが、中国か韓国では、お葬式には「泣き女」という役目の人がいて、

わんわん泣く風習があると何かで読んだような・・・

?と思っていましたが、もしかしたらそう意味もあるのかもしれませんね・・・

[ 2005/11/26 23:23 ] [ 編集 ]
Re:二七日法要、済みました。(11/26)
本当に訃報が多くて

皆様の心を思うと涙です。



今日は伯父の葬式です。まだ70を超えたばかりでした。遠いので来なくていいとの言葉でしたので参列しませんでしたが、



生きてあるものはとにかく懸命にやることをやるしかないのだと思います。

ともすれば忘れがちなのですが限りある命なのだと痛切に思いしらされます。



自分は十分生きているのだろうか?
[ 2005/11/27 12:02 ] [ 編集 ]
お疲れ様です~
法事お一つすますたびに、生きているものは、

気持ちを整理していくのでしょうかね?

あちらとこちらを行き来しながら。

日常へと戻っていくのでしょうね。

忘れないことを、胸に抱きながら。
[ 2005/11/27 15:57 ] [ 編集 ]
どう解釈したら良いのか、ずっと考えています。
千愛さん



 > お坊様のお言葉。

 > とても深いものを感じました。



ですよね。

昨日から、私はずっとぐるぐる哲学しておりますです~。



思いのほか、さっぱりすっきりした?様子の義母に対し、

自分に楽なように無理矢理こころを整理して終わらせてしまうのではなく、

(せめて四十九日まで)ずっとしっかりきちんと向き合いなさい。

とおっしゃられたのかな?



或いは、義母のその「すっきり」までのこころの葛藤は、

誰も窺い知ることはできないのだから、

ヘンな?誤解をひとさまに与えないために、

「悔いがない、などと安易に口にするな。こころに仕舞え」とおっしゃったのかな?

とか、ぐるぐるしています。



が、私自身は、この日記の最後に書いたように解釈しよう、と決めました。。。。

[ 2005/11/27 22:52 ] [ 編集 ]
遺されたものが嘆き過ぎると。
この世に縛り付けられ成仏できない、と>_AZ_さん

私もよく耳にして来ました。



だもんで、昨日からずぅぅっと考え込んでおります。



宗派や土地柄、というより、

余程、義母が、きっぱり、さっぱりした顔をしていたのかなぁ、、??、、と(゚゜)\バキ☆



ともあれ、

お坊さまは、そんな義母にも痛々しいものを感じられたと思いますです。



 > 悔いて、哀しんで、淋しがっていいんですね。



とおっしゃりたかった、と思いたいです。

近しいひとの死に直面し、悼む自身のこころをあるがままにみつめなさい、と。



見つめ、受け入れ、

而して、【で、自身はどーする?】【どー在りたい?】という問いも出てこよう、と。



 > 想えば、

 > 悔いや哀しみ、淋しさは、先への糧や「転ばぬ先の杖」にもなり得ます。

 > また、自分が逝く側になった時の為の備えにもなるでしょう。



ですね。

ぐるぐるぐると、あれやこれやとずっと考えています。

[ 2005/11/28 01:26 ] [ 編集 ]
Re:逝った人を悼む(11/26)
あ~さんままさん



 > お坊さんの言葉のまま解釈すると、それはそれでいいんですね?



。。。。ぅん。。。。

私はそう解釈致しました。。。。。



あ~さんままさんの悲しい、慙愧のような想い。

傍で見ててどんなに辛くても、誰も否定できないし、誰も癒せない。

だた、ご自身がとことん泣いて、とことん深淵をみつめ、さすらい、

そして時至りて、【で、現実問題として自身はどーする?】【どー在りたい?】というような

自身への問いかけが生じてくるまで、のたうつしかない。



お坊さまは、

それで、いいのだ。

それが、いいのだ。 とおっしゃられたように、私は感じましたです。



義母のこころについては、義母にしかわからないことですが、

義母は2年半前に自分自身が死の淵を覗き、四肢麻痺に苦しみ、

そして、この2年間、義父であって義父でないひとと暮らして来ました。

義母なりの生について、死についての想い。

そして義父からの精神的自立、、、、いろいろとあったかと思います。



……今、感じていることは、義母は本当にこころから義父に感謝し、

義父にやさしい気持ちでいるなぁ、、、ということです。



「おとうさんがいつも傍におるように思う」と申しました。

義母にとって、義父は死して往年の義父に戻れたのかも知れません。

[ 2005/11/28 03:18 ] [ 編集 ]
泣き女
ふにふに。。さん

「泣き女」を私が識ったのは、『なるほど・ザ・ワールド』で、確か中国でした。



大金持ちの家の葬儀に7~8人も雇われ、出番を待つ間は、ムシャムシャといろんなものを食べながら

大話、大笑いをしていたのに、いざ出番となると、髪を掻き毟り、派手にわんわん泣いて、

周囲の皆がもらい泣きを誘っているのに驚きました。

皆の涙をたくさん誘えば誘うほど、後から雇い主に追加料金がいただけるのだそうでした。



余りに印象的だったので、あれから調べた私(笑)。

当時はネットもないので、ちゃんと図書館へ行きましたよ~。|

それを思うと今は便利になりましたよね。



中国、韓国、台湾など儒教色の強い葬儀では、遺族の女性が派手に泣き叫ぶ程良いのだそうです。

日本でもかつては泣き女のいる地域があった由。

イタリアや古くはエジプト・ルクソールにある「ラモーゼの墓(貴族の墓)」の壁画に

世界最古の職業婦人として「泣き女」が描かれています。



大声で泣くことで、世間に「死」を知らせ、

悲しみが大きければ大きいほど、そのひとが如何に慕われていたか。 良いひとであったか。

惜しまれて去っていくのだ、というようなことを知らしめるためのもののようですね。



だからといって、ひとを雇うのは、なんか違う、と思ってしまう私でした。



義兄たちとも話したのですが、義理も形式もなにも要らない。

ほんとに義父を悼んでくださる方々に送っていただきたい、と。

[ 2005/11/29 08:44 ] [ 編集 ]
生きて在るもの
★のん★きっずさん



うちの喪中葉書が届き始めたらしく?、この金・土・月の3日間で受け取った喪中葉書は7枚。

私たちが私たちの親の世代を送る。

それどころか、自分たち自身が病に倒れる。

そういう年齢になった、ということでもあるのですね。



 > 生きてあるものはとにかく懸命にやることをやるしかないのだと思います。

 > ともすれば忘れがちなのですが限りある命なのだと痛切に思いしらされます。

 > 自分は十分生きているのだろうか?



ですね。

この方々と、また逢えるかどうかは判らない。

自分自身がいつ倒れるか判らない。

そんなような或る種の危機感を意識していよう、と思いますです。



伯父上さまには、ご愁傷さまでした。

たくさんの想い出があられたのでしょうか。

私は昨年、母方の伯父を送りました。 とても悲しかったです。。。

今春から伯母は病に倒れ、私の母が看病しています。

[ 2005/11/29 08:59 ] [ 編集 ]
七日ごとの法要
よく考えられてると思います>ネコの目さん



悲しみとドタバタと、日にちや曜日感覚がマヒしているところに、七日ごとにお経があがり、

ひとつひとつ四十九日に近付いていることを教えられることは、

確かに遺されたものに、引導を渡されていく感があります。



 > あちらとこちらを行き来しながら。

 > 日常へと戻っていくのでしょうね。

 > 忘れないことを、胸に抱きながら。



おっしゃる通りのように思います。

亡くなられた御方との近しさと連動したり、しなかったり。

複雑なものはありますが、流れていく時は否応なく彼岸と此岸を隔てていきますですね。

最愛の父が逝きましたときには、時の流れも止まっているように感じていましたが、

3年を経て、ようやくいつも父が傍にいてくれているように感じるようになり、

胸をかきむしられるような慟哭の想いが諦念へと代わり、落ち着いて来たように思います。。。

今も、それはかさぶたに過ぎなくて、いつだってそこを突けば、新しい血は噴きこぼれるのですが。

救いは、時至れば、彼岸にてまた、逢える、ということです。



折々にお励ましいただき、本当に有難うございました☆☆

[ 2005/11/29 09:28 ] [ 編集 ]
Re:二七日法要、済みました。(11/26)
なかなかコメントができませんでした。

亡くなった方のお気持ちは、それこそ想像でしかないけれど、それでもこちらが思い出すたびに、あちらにも通じるのだと思っております。

先に立たれる方がいるからこそ、今を懸命に生きるということの意味を思い知らせてくれていると。

お義母様のこれまで背負われていた様々な思いも、お義父様のこの世の体とともに浄化されて、優しい思いだけが残っておられるのでしょうか。



[ 2005/11/29 09:54 ] [ 編集 ]
ゆうやけぐもさん、有難うございました☆
ゆうやけぐもさんも、お義父さまを見送られたばかり。



いつも一歩身をひかれながらも、ふりむけばいつもそこに在られる、といった形で、

常に献身的にお義父さまを看護され、お義母さまを助けて来られました。

そのゆうやけぐもさんからの折々のお励ましやご助言を、

とても心強く思わせていただいておりました。有難うございました。



また、すぐにお送り下さいましたおこころこもったお手紙に、涙があふれました。

本当に本当に有難うございました☆☆



 > お義母様のこれまで背負われていた様々な思いも、お義父様のこの世の体とともに浄化されて、優しい思いだけが残っておられるのでしょうか。



はい。 まさに「浄化」の姿を間近に見せていただいています。

元々、望んでいなかった縁組だった由にて、可愛い息子たちに恵まれながらも、

つらいことばかり、泣いてばかりの分家の嫁、であったようです。



日中、義母の義父への感謝の言の葉、義父の話、

折に触れての義父への問い掛けの言の葉を何度聞くことでしょう。



初めての、義母のいっぱいの義父へのやさしさ、であるように感じております。

義母の想いがたくさんたくさん、義父に届き、昔気質の義父は、きっと照れていることでしょう。



先立たれるひとがいて下さるからこそ

遺されたものは、己れが今生きて在ることの意味を識り、懸命に生きようと努めるのでは、

と、毎日のように想いを新たにしております。

これを常に忘れない私でありたい、と思います。

[ 2005/12/02 09:27 ] [ 編集 ]
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