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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

大学は【サービス】を受けるところなのか。





自民党が、歴史的圧勝。

投票率は、、、、

泣きたい想いをこらえつつ、これはこれでまた改めて。



私の 9月8日の日記 から、「 就職活動ツアー 」そのものへの批判へと流れ、
結果、思いもかけない展開となりました。

現役の女子大生 お子ちゃま学生 さんから、反論をいただき、有難く思っています。

例によって、お返事が凄い量になったので、こちらに。

 (最初の反論部分から転載してみましたら、
  4千字近くオーバーとなってしまったので、直前にいただいた反論だけを転載します。
  できましたら、8日のコメント群をご一読下さい)。  




大学はサービスを受けるところですよ。 ( お子ちゃま学生さん )


 >りうりう*さん

 開き直り、というか私達にとってはそうなんですよ。
 サービスを提供してくれない大学なんて、行く意味が無いんです。

 昔と違って、今は勉強しようと思えば誰でも出来ます。
 本当は大学に行かなくたって、自分で勉強できちゃうのです。
 事実、プログラミングなどはネット使いながらひとりでに覚えちゃって、
 しかもプロ並みのことが出来るなんて人がざらにいます。

 今の時代、大学に行くのは義務感or大卒という資格取得のため
 という意味合いが強いです。何のための資格か...
 それはやはりいい会社に入るためというのが一番大きいでしょう。
 より良い環境と資格(○○大学卒)を提供してもらい、
 学生は提供されるサービスの中から好きなものを選んで人生に役立てる。

 学生が受身ではなく勉強や研究をするのは『大学院』の話です。
 学部に限って言えば、民間企業よろしく代金(学費)に見合うサービスを、
 客(学生)に提供しなければなりません。
 だから今『大学民営化』が現実のものとなったんですよ。

 時代が変われば役割も存在意義も変わるんだと、私は思いますよ。
 それが悪い事だとは思いませんし、自分達がやっている事が
 間違っているとも思いません。


 >あそびすとさん

 そう。世代間に明確な隔たりがあるのです。
 平安時代と現代だったら、誰もが「全然違う」と認識できますよね?
 それと同じで、同じ日本といえど、たかが10年で違う文化が生まれているのです。
 それをまず認識しないと、お互いの相容れなくなってしまいまする。

 私は別にケンカを売ってる訳じゃなくて、ただ理解していただきたいのです。
 どっちが正しい・間違っているの二元論ではなく、異質の物を
 異質の物として存在を認めるのは大事だと思いますよ。
 それを受け入れるかどうかは別の話として。    (September 11, 2005 13:27:20)


あ!ちょっとピーンときました   ( お子ちゃま学生さん )


 同じだと思うからこそ、軋轢が生まれるのかもしれないですね。

 同じ日本人なら、同じにしなければいけない、同じ考え方でなくてはいけない
 と思ってるから

 中年「(こっちが先なんだから)こっちに合わせろよ!」
 若年「そんな事言ったって、そんなのオレ達の現状に合わないんだよー!」

 という感じでしょうか?
 それって、先に生まれてきた人に合わせなければいけないモノ?
 そもそも、どっちかがどっちかに合わせなければいけないモノ?

 いっそ、全く違う生き物と思ってしまえば
 異質がそこに存在する事にも抵抗は感じなくなるのかもしれません。
                         (September 11, 2005 13:51:56)



----本日のお返事- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ---



大学を企業化させたその先は


お子ちゃま学生さん

再び、戻って来て下さって有難う。 溝を埋める努力をして下さって有難う。

んでも、とりあえず、「私たち」というのはやめましょうよ。
貴女は今の大学生を代表してる訳でもなんでもない。
○○大学の何回生かの一女子大生でしかない。

んでも、貴女のアクセスログから、貴女の大学が推定できるだけに、
今の私は絶望感に苛まれてますよ。

おそらく、或る程度狭い世界のなかで、
おそらく幼少時より恵まれ、おそらく挫折を識らず、
おそらく大事に大事に育まれて来た若いひとが、
自分の親の世代の愚痴から「見下されている」と感じ、
自分の考えと相容れなかったら、
「全く違う生き物」として切り捨てよう、と考えることができる。

そして、そういうひとたちが、
キャリアとして国のトップに立ち、国を率いて行く訳ですから。



もう何10年も前からその危険を言われつつ、
大学制度を見直そうとしなかった、全く動こうとしなかった、
これは私たちのツケ。 国のツケですね。

このままでいいひとたちの殆どが、実際に国を動かすひとたちだったから。

 > 昔と違って、今は勉強しようと思えば誰でも出来ます。
 > 本当は大学に行かなくたって、自分で勉強できちゃうのです。
 > 事実、プログラミングなどはネット使いながらひとりでに覚えちゃって、
 > しかもプロ並みのことが出来るなんて人がざらにいます。

私の時代から既にそうでした。
んなことは誰だって識ってることです。
そして、市井で学ぶことがどんなに大変なことで、
しかも「生きて行く力」に直結しているものであるか、を識っている。

それでも一般社会は、「大学卒」に重きを置く(ようにみえる)現実。

でも、大学生だから、といって少しも偉くはないことを識り、
それに価値が在る訳ではないことを識り、
一歩市井に出れば、たちまち自分が生きて行くために、
何の力も、何の覚悟もない自分であることを識っていた当時の学生たちは、
「それでも大学生で在ることの意味」を懸命に定義付けようとし、
それぞれに努力し、頑張って来たんです。 少なくとも私は、ね。

「大学生である」というだけで、飯が喰える自分を恥じ、
親に、そして社会に喰わせて貰っていることを自覚し、
その分、それだけのことを成そう、と足掻いて来た。

 > 今の時代、大学に行くのは義務感or大卒という資格取得のため
 > という意味合いが強いです。何のための資格か...
 > それはやはりいい会社に入るためというのが一番大きいでしょう。
 > より良い環境と資格(○○大学卒)を提供してもらい、
 > 学生は提供されるサービスの中から好きなものを選んで人生に役立てる。

誰の何のための義務感ですか?
貴女を幼少時より、手塩にかけ、教育費をかけ、
育ててくださったご両親に対してですか。

義務感だけで進学できる、という環境への感謝のこころはありませんか。
そうではないひとたちへ、寄せるこころはありますか。

 > それはやはりいい会社に入るためというのが一番大きいでしょう。

 > サービスを提供してくれない大学なんて、行く意味が無いんです。

少なくとも、私の家庭では違いますね。
私は私の少年たちの大学進学を是としておりません。
そして、彼は、貴女の大学を受験することを、誰がどう説得しても蹴りましたよ。
んだから、貴女が「私たち」と語るのはやめて欲しい。

 > 時代が変われば役割も存在意義も変わるんだと、私は思いますよ。
 > それが悪い事だとは思いませんし、

これは真理でしょう。否定しません。

んでは、○○大学卒というブランドを手に入れたのに、
一般企業に就職できなかったとしたら、それは大学の責任なのですか?
大学の努力不足とでも?

貴女の先輩たちの業績不足のせいで、
貴女の大学に求人票が降りて来ない企業があったとしたら、
それも、大学の責任なのでしょうか?

貴女の大学なら大丈夫でしょうね。
向き不向きといった人格的なもので、例え一般企業に入れずとも、
国家公務員上級職が待っています。

しかし、他の大学ではどうなんでしょう。
最初に私がブログに書いたような、ツアーのある地方大学では?

そして、いまどきの採用担当者が、
本当に○○大学卒のブランド(だけ)で学生を採用するとでも?
そして、それが、就職後も通用して行くものだと?

一般企業においては、
そのブランドは、振りかざせば振りかざすほど、逆に、独り歩きをし、
ブランドを持たない、或いはブランドの違う周囲の皆から
鵜の目鷹の目で、より厳しい評価を受けるだけでしかないのです。


貴女が頑張っていない、なんて言わない。
貴女が貴女の大学に入るまでのご努力は、大変なものだったろうし、
その分、とりあえず社会に通用するであろうと期待している
「○○大学卒」ブランドを大事にしたいのも判る。

それでも。

 > サービスを提供してくれない大学なんて、行く意味が無いんです。

ヒいてしまうなぁ。。どうしても。
貴女が「意味が無い」と切り捨てる大学に通っているひとはどうしましょう。

「サービス」と言うからおかしくなるような気がします。
大学側は、あくまで「サポート」しているつもりではないのかなぁ。

我が大学を選び選ばれた(優秀な)学生が、主体的に学び、
夢(就職先)に向かって努力し、果敢にチャレンジしようとする、
そういう学生を大学はサポートする。


あそびすとさんも書かれてましたが、
私の世代も「いまどきの…」と言われて来たものでした。
今や自分たちが「いまどきの…」と言ってる訳で。

ただ、痛烈に、思う。
私たちの世代が、「いまどきの…」と言われてたとき、
もっと真剣に考え、【温故知新】するべきだったと。

そして、「予想の範囲内」として、
10年後20年後の大学を見据え、声をあげて警告を発し、動くべきであったと。

【モラトリアム】なる言の葉が流行したとき、
今の【フリーター】全盛、【ニート】な時代が来ることは観えていたはずなのに。


貴女も、10年後に10歳下のひとから言われて、きっと感じることでしょう。
「 自分たちも、『いまどきの』と言われて来た 」と。

 > 学部に限って言えば、民間企業よろしく代金(学費)に見合うサービスを、
 > 客(学生)に提供しなければなりません。
 > だから今『大学民営化』が現実のものとなったんですよ。

違うでしょう。
国立大学がそのブランドに胡座をかき、
国立大学生もまた、そのブランドに胡座をかいてきたからでしょう。
努力しなかったから。 それに尽きるのではないですか?

「サービス」を当然の如く要求するなら、
今後、学費はますます値上げされることでしょうね。

今や大学は学問の府、というのは大昔の話だと痛感しました。
少なくとも貴女にとっては、
学問の府とは、大学院なのだということも。


「より良い企業に就職する【ため】に大学へ進学をする」 といいながら、

「就職活動ツアー」のパックを利用する学生。
「当たり前のサービスを受けて何処が悪い」と思っている学生。

それは逆にむしろ、
「ニートが1番、自分に合ってる」「フリーターでいいしぃ」と
嘯いている学生より【まし】と思わねばならないのか。


現在の大学の在り方に見切りをつけ、
高卒で市井に出て実績を重ねていくひと。
専門学校で実際のスキルを高めて行くひと。
やむなく進学を諦め、市井で実績を重ねていくひと。

それでも「大卒」のブランドが勝つ、勝てるようにしている社会。

理不尽な社会に、大卒生以外のひとたちが叛乱を起こさないのは、
本当に為政者にとっては都合の良い、辛抱強い国民だなぁと思う。


う"。 今回の自民圧勝で、見事に証明してるか。。。。orz.....



# 以前、『 大学受験に成功すると【偉い】のか? 』というのを書きました。
 よろしかったら、目を通してやって下さい。


ペン霧




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入りきりませんでした。
お子ちゃま学生さん



 > 中年「(こっちが先なんだから)こっちに合わせろよ!」

 > 若年「そんな事言ったって、そんなのオレ達の現状に合わないんだよー!」

 >

 > という感じでしょうか?

 > それって、先に生まれてきた人に合わせなければいけないモノ?

 > そもそも、どっちかがどっちかに合わせなければいけないモノ?

 >

 > いっそ、全く違う生き物と思ってしまえば

 > 異質がそこに存在する事にも抵抗は感じなくなるのかもしれません。



合わす合わさないの問題ではない、と考えます。

世代間の軋轢は、多かれ少なかれ、何かしようと思えば誰にもついて回るもの。

私だって、私自身の親の世代とれだけ闘って来たことか。(現在進行中)



自分たちが自分たち流に、楽しく生きていけるようになるためには、

自分たちが汗水たらして、社会を変えて行かなくてはね。

できれば、未来も見据えて。



そのためには、おっしゃる通り、

互いに、理解し合おうと努力しなければならないでしょう。



違う生き物同士が、関わらなくても済む世界ではないから。

[ 2005/09/11 23:13 ] [ 編集 ]
難しい問題を突きつけられた気がする
世代間の考え方の違い、持てる者と持たない者の社会における待遇の差、高学歴の人にはそうでない人の心や痛みなんて分かんないんだろうなあ。



私が東大卒の前の彼氏をフったのは、彼の尊大さが鼻につくようになったからかな。結局、フツーの人の悩み・痛みなんて分かってないような気がしたんですわ。



お子ちゃま学生さんの文章には、彼の思考回路に通ずる尊大さを感じました。

一つ一つあげつらうと字数制限ひっかっちゃうから書きませんが。

一見正しいようだけど、その理屈、勉強したくて、資格を取りたくて、将来のために、一生懸命大学に行っている人には通用しないような気がします。



お子ちゃま学生さん、まだ若いし、どん底の不幸とか、酸っぱい思いを味わってないのね。

これから苦労をいっぱい重ねて、酸いも甘いもかみ分けた味わいのあるオトナになって下さいね~~。



世代間のギャップについて。投げ出してしまうより、理解のために耳を傾け、話し合いたいです。

世代間のギャップが埋められない人間では、生まれてきた場所の違い、性の違い、国籍の違い、思想の違いなど、世界にあまたある様々な「ギャップ」を埋められないような気がして。

そういうの、話し合いで埋めていきたいです。

たとえ、理想主義といわれても。











[ 2005/09/12 00:15 ] [ 編集 ]
これからじゃないと理解できないかな?
人生の浅い所にしかいない人に何を言っても今は聞き入れられないんじゃないかな?

呆れるのではなく、待ってみたい。

10年後のお子ちゃま学生さんの言葉を。
[ 2005/09/12 01:25 ] [ 編集 ]
ちょっと待ってください
今夜は忙しいので。返事は必ず書きますので。
[ 2005/09/12 02:38 ] [ 編集 ]
Re:大学は【サービス】を受けるところなのか。(09/11)
おはようございます。



何だかすごいことになってますね。

次数制限に掛かりそうなので、ウチの日記でちょっと書かせてくださいね。
[ 2005/09/12 08:16 ] [ 編集 ]
Re:大学は【サービス】を受けるところなのか。(09/11)
おはようございます。

いろいろと考えさせられる内容です。



大学はいまや学問をするところではないのですか・・・。

私の大学時代を思い出してみても、がむしゃらに勉強していなかったなぁと思います。

でも日々の生活に追われる今、切実に思います。

時間が自由になったあのころ、もっと勉強しておけばよかったって。

それは大学で種々の「サービス」を受けるのが当然だというのではなくて、もっと違うもの。

自分の生きていく意味や、生かされていくことについて、もっと深く深く考えて見るべきだったという後悔です。

いい会社に入ろうとか、いいお給料をもらおうとか、社会的地位を上げたいとかいう考えではなくて。
[ 2005/09/12 08:49 ] [ 編集 ]
我が子は大学受験生
こんにちは!



我が子は大学受験生・・・で、



オープンキャンパス(私立)に行くとお客様扱いで嫌になるんです。



お土産(?)くれたり、抽選で景品くれたり、おかしいと思うんです。



その景品代だって今までの学費から出てるわけです。



そんな大学行かせたくないなあと思うのです。



私は高卒でしかも、勉強大嫌いで大学の事は何も分かりません。



今後我が子がどういう大学へ行くか、また、大学へは行かないかもしれないし、どういう進路になるかは本人に任せてます。



オープンキャンパスでの、ある教授の言葉

「学校へ入ってからも勉強してくださいね。

推薦で入ってくる生徒は成績悪いんですよ。」



つまり、早くに決まると遊んでしまうらしいのです。



進学も何だかなあ?と思うのです。
[ 2005/09/12 11:28 ] [ 編集 ]
お子ちゃま学生様へ-1
何というか、久々に自分も大学卒だということを思い出しました(笑)。

りうりうさんのおっしゃる通り、私もまた「いまどきの・・・」と言われていました。どちらかと言えば大学生時代の私は、お子ちゃま学生さんに近い感覚だった様にも思います。自分が勉強して得た当然の結果として学生生活を過ごし、教授による講義から就職活動まで「学費の割りにサービスが悪い」などとうそぶいておりました(汗)。20年も前のことです。

そうして卒業して、ある企業に入り、愕然としました。自分の甘さ、傲慢さに。

社会は大学、しかもその中でも優秀といわれる大学の出身者が支えているのではないということに。

日々を真面目に働き、自分の仕事に誇りを持ち、家族のためにと辛いことも乗り越えて働く人々が、この社会を支えているのだと。頭ではなく体で知りました。

[ 2005/09/12 12:26 ] [ 編集 ]
お子ちゃま学生様へ-2
私の周りには、おそらくあなたの先輩であろう人がたくさんいます。官僚であったり、大企業の社員であったり。彼らは自分と同類の人間をすぐに嗅ぎわけるんですよ。初対面の人間に「何回生ですか?」なんて(笑)。

両親も学卒、自分も学生であることが当然であるかのように育ってくると、特に最高といわれるような学校の中にいると、どうしてもそれ以外の世界からの声が聞き取りにくくなってしまいます。

どうぞあーさんままさんの言葉に耳をかたむけてください。

>世代間のギャップが埋められない人間では、生まれてきた場所の違い、性の違い、国籍の違い、思想の違いなど、世界にあまたある様々な「ギャップ」を埋められないような気がして。

そういうの、話し合いで埋めていきたいです。

たとえ、理想主義といわれても。



そして、書物やネットで世界を知っているという落とし穴に嵌らないでいただきたい。現実はそこにはないのです。また、握手をしただけで世の中を見てきたようにも思わないでください。短くともあなたが、あなた自身のこれまで知っていた世界から飛び出してみて下さい。

恵まれた育ち、恵まれた才能を持っているであろうあなた方には、より一層世界を知る義務があると思ってください。何でそんな事を、とうざったく思われるでしょうね。最高学府は受験の才能は保証していますが、人間としての深さや幅を保証するものでもありませんし。

でも、今後、行政や経済の中心に行こうとするならば、大学という枠の中にはない世界があることを知ってください。その努力をしてください。

あなたが、りうりうさんの日記にコメントをされた勇気を、現実の世界でもっと大きく広げられますように祈ります。



[ 2005/09/12 12:27 ] [ 編集 ]
Re:大学は【サービス】を受けるところなのか。(09/11)
お久し振りです。

最初にりうりうさんが就職ツアー云々を書かれ、嘆息混りの賛同が相次いでいた時点で、

ん? と感じておりました。

例えば夕食宅配を利用する家庭の事情は様々。

仕事が忙しい、遊ぶ時間が欲しい、プロの献立で安心、病人食が必要、単に料理が嫌い・・・

それを「愛情」「力量」の秤で一様に量ることはできません。

なぜ多くの学生が就職ツアーのサービスを利用するのか、

面倒くさい、自分でできない、時間がない、安い、「親が」安心・・・恐らく色々でしょう。

その中で「ツインで」というニーズがあっても全然不思議じゃない。

いずれ、ツイン、ダブルなどのサービスが提供され、様々な理由でそれを利用する人が出てくるでしょう。



で、ここで問題になるのが、

道徳的(人間的?常識的?)にどうよ?という点と

それを「大学が」提供するという点、なわけですね。



前者について書こうとすると、一冊の本にもなってしまいそうなのでやめます。ただ、

お子ちゃま学生さんの出現により、「今時の若者」の括りで別のblogで話題になった『NANA』。

私はそう好きではありませんが、

あれを「セックス描写」とは感じませんでしたし、「今時の」とも思いませんでした。

自分の青春時代と完全にオーバーラップさせて読みました。

全然違うと仰る方達(恐らくりうりうさん含め)に伺いたいです。

ではあの頃、大江健三郎や寺山修二を(脈絡なくて申し訳ない、ぱっと思いついたところで)

どう読んでいたのか、ゴダールやフェリーニをどう観ていたのか。

別世界として?あるいは単に嫌いだった?

それらを芸術として『NANA』と同類としているのではなく、

単に道徳的レベルの問題としてお聞きしたいです。いつか機会があったら。

(つづく)
[ 2005/09/12 13:20 ] [ 編集 ]
Re:大学は【サービス】を受けるところなのか。
(つづき)

で、「大学が」という点。

大学を就職のためのブランドとして利用する人もいる、友達作りの場として利用する人もいる、

職業へのステップ、院へのステップ、純粋な知識欲、暇つぶし、

様々な理由があり、ニーズがあるのは当然です。

対応するサービスのない大学は選ばない。

弁護士になりたい人は法学部のない大学は選ばない、

ブランドを求める人はブランド力のない大学は選ばない。

学校側は思想的な枠、金銭的な枠、その他の枠の中でそのニーズに応えるのか否かを常に模索し、

双方の利益(金銭的にのみではなく)になるのなら可能な限り対応する、

単にそういうことでは?

それは私達の時代でも、そうだったのでは?

そして、ある年代においてある考えである選択をした人が、一生そう考え続ける訳でもない。



お子ちゃま学生さんが、「今時の」学生を代表しているわけではない。

ここに集うみなさんが、40代を代表しているわけでもない。

だからここで起こったことは、世代間の隔離ではない、と思うのです。

[ 2005/09/12 13:21 ] [ 編集 ]
落ち込むなあ
何だか、これって

勝ち組による、勝ち組のための・・・ってことだなあ。

総選挙の結果が、頭から離れません。

日本人は、そういう世界を選んだって事だよね。

全てが自由競争になって、

大学も競争のためにどんどんサービスをするようになる。

生徒は競争して、よりよいサービスの所にはいる。

でも、その競争に最初から全く参加できない人もいる。

それは、その子の責任じゃなく、

今の世界では親が勝ち組であるかどうかが非常に関わってくる。

世代間ギャップよりも、もっと凄いギャップがそこにありますよね。

でも、全然一緒なんだよ。

会って話せば、一緒に何かをすれば、

そこには何のギャップも感じない、

みんなそれぞれ良いやつなのに・・・。

いつの間にか、違う組に入れられている。



異質だから分かり合わなくても良い。

異質な所を認めればいい。

それですませればとってもきれいだよね。

でも、私はそのことでどんなに傷つけられようと、

今は、その中に少しでも入っていって関わり合おうとしています。

子どもたちと関わってくださる先生方もそうです。



それが、このような社会を作ってしまったオトナの責任だと思っているからです。

裏切られるかもしれません。

あまりの価値観の違いに立ちつくしてしまうかもしれません。

それでも違う生き物ではありません。

一人で生きて行くわけではないから。

[ 2005/09/12 16:10 ] [ 編集 ]
世代の違い ではなく 個としての違い なのか。
取り急ぎ。

からすさん、お久しぶりです!(嬉)



おっしゃる通り、最初は『ツインてどうよ?』な私の感想と、

『もっといえば、就職活動ツアーって過保護な気がする』という私の感想からでした。



安易に「いまどきの…」に流してしまったことへの反省は、ちょっとしてます。



だもんで、夕食宅配になぞらえての、

「就職活動ツアーを利用する・しないは、ひとそれぞれ。

 一様に量れないない以上、是非で語れないのではないか」

なご指摘には、同意したいと思います。



しかし、

「ツインで」のニーズは全然不思議でない。

いずれ、ツイン、ダブルが出てくるだろう、様々な理由で利用するひとが出るだろう。



ということには、わたし的には、ごめんなさい、どうしても却下です。

1万円を少しでも節約したい同性同士のツインなら、また話は違ってくるでしょうが、

私の生理的なもの、だと一笑にふされて構いません。



採用担当者にとって、ひとを採用する、ということは、

その学生の一生を左右するものであり、

また、自分の会社の将来を託せるに足るひとを選ぶのだ、という認識のもと、

学生ひとりひとりに真剣勝負で臨んでいます。

んだから、ちょっと、たまらないなぁ。。。。。

[ 2005/09/12 17:08 ] [ 編集 ]
世代の違い ではなく 個としての違い なのか。 2
んで、『NANA』を未読である私には、『NANA』について語る資格はありません。

大江健三郎、、、『死者の奢り』、『飼育』。

読書するとき、道徳云々を考えたことはありませんね。

何処まで感情移入できるか、ということだったり、

何処まで対象化できるか、ということだったり、

心に深く残るフレーズだったり。

『個人的体験』あたりは、読むのが辛かった。

心象風景中心に『文学』(!!)として読みました。

私にとっての大江健三郎氏は『ヒロシマ・ノート』であり『沖縄ノート』であり、

『あいまいな日本の私』でした。

今また、『万延元年のフットボール』~『洪水はわが魂に及び』あたりを

再読かけようと思いました。



寺山修司氏、、、申し訳ない、語る資格を持ちません。

ゴダール、フェリーニ、、どれも未見。 語る資格を持ちません。



んで、これらは、おそらく『個』としての違い、ですよね? きっと。



で、「大学が」という点についてですが、

からすさん。



 > 大学を就職のためのブランドとして利用する人もいる、友達作りの場として利用する人もいる、

 > 職業へのステップ、院へのステップ、純粋な知識欲、暇つぶし、

 > 様々な理由があり、ニーズがあるのは当然です。



それは「行こうと思えば、何処だって行ける」。

「選択の自由がある」ひとの論理ですよね。



中学卒業時の100人が100人、等しくそうであるなら、

からすさんやお子ちゃま学生さんのおっしゃることが正しい、でしょう。



ひとそれぞれ。 大学もそれぞれ。

将来、大学もろとも自分の学歴さえ淘汰されるリスクを念頭に置いて、

後は好きに選べばいいじゃーん。と。

できれば、「学生」に寛大であるこの社会に感謝しつつ。

「みんな違って、それがいい」の世界です。



んでも、現実はそうでないでしょう?

[ 2005/09/12 17:10 ] [ 編集 ]
世代の違い ではなく 個としての違い なのか。 3
より『ブランド力』を持つと思われる難関有名国公立、私立大学に

入学できるお子がおられるご家庭は、

幼少時より、そういった教育のできる環境にあり、実績ある塾に通わせ、

或いは通信教育を受けさせ、或いは家庭教師をつけ、、、、、

それらの大学を受けるためだけの勉学に専念できる家庭環境に在る場合が、

殆どではないでしょうか?



大学民営化がもたらすものは、国立大学の設置者として国が負う財政負担の責任を、

「法人」に事実上転嫁することにほかなりません。



効率重視を求められ、『サービス』に掛かる費用は、強大となった学長権限で、

これから幾らでも学費の値上げが可能です。

ますます、経済的ゆとりのあるご家庭のお子しか、

難関国立大学には進学できなくなってしまうでしょう。



例の週5日制にしろ、こうも連動していくと、

国は、それをもハナから狙っているのか、と思ってしまう私がいます。



 > お子ちゃま学生さんが、「今時の」学生を代表しているわけではない。



その通りです。 んだから、彼女が「私たち」と論を展開されたのが嫌でした。



確かにコメント群では、「いまどきの」に流れていきましたが、

最初の私の日記では、事実を記し、それについての「私」の感想を述べただけなのです。



 > だからここで起こったことは、世代間の隔離ではない、と思うのです。



「私たち」ということで、中年と若年に最初に分けたのは、

お子ちゃま学生さんだと感じ、そのように理解してしまいました。

ただ、彼女が2度目のコメントで、世代の違いを認識しろ、異質は異質と認めろ、

と言いながらも、一行「理解して欲しい」と書かれていたことを、見逃してはいません。

でも、そのあとすぐに、「ピーン」と来られてしまうのですが。

[ 2005/09/12 17:23 ] [ 編集 ]
Re:大学は【サービス】を受けるところなのか。(09/11)
はじめまして!

tiaraさんのところからやって参りました!



りうりうさんと同感です。

サービスが無いと、動きが鈍る・・・といった印象を持ってしまいました。大学が就職のためのツアーなど、過保護極まりない・・・と思います。生きることへの執着心、一人歩きをしよう!という意識があまり見えません。



思うところがいろいろあり、字数の関係から、わたしも記事にしてしまいました。トラックバックさせてもらってよろしいですか??
[ 2005/09/12 19:32 ] [ 編集 ]
トラックバックをお待ちしています☆
はじめまして!>tomomama9512さん



ご丁寧なご挨拶を有難うございました。

私のブログは、日記に関連する内容であるなら、

どなたでもコメントいただけ、トラックバックしていただけるようにしています。

たくさんの皆さんの忌憚ないご意見、ご感想が嬉しいからです。



お待ちしております。

どうぞ、よろしくお願い致します☆☆☆

[ 2005/09/12 20:51 ] [ 編集 ]
大学はサービスを提供するところ>それもまた真
昔、大学は学識を提供するものだと思っていました。

回り道してから大学に行って、大学は「学識を与えられる場」ではなく「考え方に出会う場」だと思い直しました。

卒業後、大学で学んだと思っていたことの頼りなさを思い知ると共に、自ら学びとること、考えることをやめないことが、価値のあることだと思うようになりました。大学で私が得たものは【自ら働きかける価値観】との出会いだと思っています(感謝)。



さておき、大学がの本業が【学府】であったとして、本業存続のために、生き残り作戦と称して付加価値のあるサービスを提供する、それは、受益者 つまり 学生と【そのスポンサー=多くの場合、親】が望んでいるものでしょう。

大学が(悲しいかな)有償で「大学卒」というお札を発行する機関となるところへ追いやったのはだれでしょうか。

世代間の意識に溝があるように見えて、実はつながっているんです。



かつて、単位が足りないから、あるいは課題を達成していない学生を留年、卒業不可扱いと決定した大学や教授に対して、多くの保護者がクレームをつけた、そんなニュースにぶっ飛んだことがあります。

大学を卒業するってなんだろう・・・?ああ、大学が社会に対して保証できるのは「学生が所定の年月ちゃんと金を払っていました」っていうことであって「この卒業生は○○大学が保証できるだけの理性と知識を有しています」ではないんだなぁ。それを社会と学生とその親が認め、望んでいるんだなぁ、と感慨深かったことを思い出します。



だから、「いまどきの」という言いっぱなしの無責任さは、本当は許されるものではない。



しかし、ブログに寄せられている多くのコメントを見ても、「いまどきの」といいながら、それは切り捨てることではなく「どうしてこうなったんだろう?自分たちには何が出来るだろう」という自問自答が渦巻いているのかように、私には思われます。
[ 2005/09/12 22:56 ] [ 編集 ]
お子ちゃま学生さんに伝えたい。
大学や親や社会の思惑とは別に、(在籍大学にかかわらず)真摯で有意義な時代をすごされる学生も多いでしょう。



私は、あなたがどんな経緯を経て今の位置にいるのか知りません。私には想像のつかない苦労もされてきているのかもしれません。だから、あなたが今の位置にいるのが、恵まれた環境のおかげであるとも、挫折を知らないんじゃないの?ともいえません。



でも、敢えて伝えたい。せっかくあなたがこうして声を上げてくれたのだから。



「大学卒」の肩書きに価値があるのではなく、どんな大学であっても「自分がその大学を卒業したことを誇れる」ことを価値としていってほしい。大学卒業を単なる社会への(有償の)パスポートと思わずに、貴重な大学時代を「自らに誇れる」ようになってほしい。あなたに許された環境と時間を、有意義に過ごしてほしい。



そして、学生が社会から庇護され、所謂奉仕を受ける立場であるとするなら、いずれ社会に奉仕する立場になったとき、「異質なものは分かり合えないもの。その両者をなぐことは無駄なこと」とは思わないでほしい。異質なものが同居するのであればなおのこと、お互いに話しをし、相手の立場を理解しようとする努力が必要だとおもうから。



べつに、大学に限った事じゃありませんけれどね。



りうりうさま>長くなってスミマセン。自分のブログで、とも思ったのですが、トラバの自信がなくて、間借りします。

[ 2005/09/12 23:08 ] [ 編集 ]
Re:お子ちゃま学生さんに伝えたい。(09/11)
こんなとこで、誤植発見。



「異質なものは分かり合えないもの。その両者をなぐことは無駄なこと」



両者をなぐこと 。。。つなぐことです。

大事なところで躓きました。
[ 2005/09/12 23:23 ] [ 編集 ]
Re:世代の違い ではなく 個としての違い なのか。(09/11)
今晩は、りうりうさん。お返事ありがとう。

ひろこ・Kさんの言われたこと、りうりうさんの言われたこと、分かりました。

頭では分かっていたし、かつて何度も分かったって思ったのに、また、今分かったって思いました。

私やっぱり、今ある環境、育った環境でしか考えてない、のですね。

もう一度良く考えてみます。



言いたかったのは、私は例えば、

建物や施設(実験設備、安価な学食・・・)、教師の能力、カリキュラム、授業自体、下宿やアルバイトの斡旋、

そういった学校が提供する全ては、ニーズに応じて有償でサービスされるもの、と捉えていたので、

就職ツアーとて同様ではないの? ということでした。

私達とて無償で大学へ行ったわけではありません。

そこで提供されたものの中で、例えばあそびすとさんの仰るように

「学識を得る」のか、「考え方に出会う」のか「自ら働きかける価値観と出会う」のか、あるいは

「“大学卒”というお札を得るだけ」なのか、それは個々の問題ではないの? と思うわけです。

下の息子が私立学校へ行っていますが、ある時ある先生が生徒達に

「君達のご両親はこの1時間に××円支払っておられる。

教師はその気持ちに応えるべく努力している。

その1時間から、100得るのか、10得るのか、0・・・寝て過ごすのかは君達が決めることだ」

と仰ったことがあるそうです。(息子談)

金銭的なバランスを問題にしていると感じる人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。

有償であることを認めた上で、どうかそれを無駄にしないで、と真摯に願っておられる。

息子にはそれをきちんと受止めて欲しいと思いました。



しかしそれも、それを受けられる環境にあることが大前提。

そうではない多くの人達にとって、この議論は無意味、ということですね。

[ 2005/09/13 00:25 ] [ 編集 ]
Re:世代の違い ではなく 個としての違い なのか。 3(09/11)
>例の週5日制にしろ、こうも連動していくと、

>国は、それをもハナから狙っているのか、と思ってしまう私がいます。



これはもう、確かにそうです。ハナから狙っているでしょう。

国が造りたい「国民」像があり、それには「教育」をコントロールするのが近道。

で、着実に成果を上げつつあるから、「自民圧勝」があるわけで。



>本当に為政者にとっては都合の良い、辛抱強い国民だなぁと思う。



これです。



>「私たち」ということで、中年と若年に最初に分けたのは、

>お子ちゃま学生さんだと感じ、そのように理解してしまいました。



確かにそうでした。ちょっと言いたい事がこんがらかってしまいました。

お許し下さい。
[ 2005/09/13 00:35 ] [ 編集 ]
よく判りました>からすさん
からすさん、早速お返事を有難うございます☆☆



からすさんのおっしゃりたかった論点、しっかり了解致しました。



いわば、「ひとそれぞれ。 大学もそれぞれ」。



各人が、大学に何を求めるのも自由だし、

各大学がそれぞれに所有しているハード面ソフト面を比較検討し、

どんな大学を選ぼうが、それは自己責任であり、個々の問題である、と。



就職ツアーだって、各大学が持っているソフト面での付加価値のひとつで、

だからその大学を選ぶ、というのもアリだし、

その大学へ進学したとて、就職ツアーを利用しないのも当然アリ。



ですよね。



 > しかしそれも、それを受けられる環境にあることが大前提。

 > そうではない多くの人達にとって、この議論は無意味、ということですね。



はい。 んでも、議論が無意味、というのではなくて、

まず、その前に押さえておかなくてはならないことがあるよね?と

私は思った、ということなのです。



からすさんが書いて下さったように、

(私にとっては?)何より押さえておかねばならなかった「大前提」の部分が、

お子ちゃま学生さんの論や、今回のからすさんの論では、

ごっぽりずっぽり抜け落ちておられる、と。



「私たちは、よりいい会社に就職するために進学する。

 そのためのサービスを提供してくれない大学なんて、行く意味が無い」

と、まるで一般論のように語った瞬間に、意味のないもの、価値のないもの、として、

眩暈がするほど多くのものや多くのひとたちが切り捨てられてしまった。



大前提を確認しとこう、その大前提に立ったうえで、話はそれから。と感じたのです。

[ 2005/09/13 03:47 ] [ 編集 ]
選挙の結果が意味するもの。
からすさん。



 > 国が造りたい「国民」像があり、それには「教育」をコントロールするのが近道。

 > で、着実に成果を上げつつあるから、「自民圧勝」があるわけで。



ですよねぇ?

私は昨夜から、あの結果とあの投票率に、実は1日思考停止状態でした。



本当にこれでいいのか。

これが皆が目指し、望んでいる社会なのか。



類は友を呼ぶ、からなのかも知れませんが、

私の周りのひとは、みーーんな選挙に行き、

みーーんな昨夜のような形、数字は思いもしなかった。



で、楽天に絞っていえば、PTAに何らかの形で携わってる方々が殆ど。

…ってことは、「子どもたちの教育」を、保護者として、とかPTAとして、とか

地域に在るものとして、本気でとことん考えたら、昨夜の方向では絶対ない、と

それぞれに感じてるってことで。



なのになのに、蓋を開けてみたらこうだったんですから、はぁぁぁ。。。



もう何を言う気もヤル気もなくしてましたが、

そろそろ元気を出さねば!と想いはじめているところです。



からすさん、いつも向き合って下さって、本当に有難う。

[ 2005/09/13 03:54 ] [ 編集 ]
Re:大学は【サービス】を受けるところなのか。(09/11)
今回の記事とコメントをみて思ったのですが

今年東京大学が はじめて 学生募集のパンプを発行した ってニュースになりましたよね。

天下の東大がです。

東大を目指して小学生の頃から厳しい塾に通い

有名私立といわれる中学に入学し大学をめざして猛勉強。

有名私立といわれる中学も我々の時代よりはるかにレベルは上がっており 受験問題もびっくりするほど難しくなっている。

それを突破して入る子供たちばかり。

東大の学生も昔に比べると『頭はいい』はず。

なのに。。。って思っていたのですが

今回の記事&コメント見ていて

今 大学が求めているものって

もしかして 『質』?

って思っちゃいました。

各大学がどんな『サービス』をしてもかまわないと思いますが それを受ける人間の質ですよね

アタリマエとして受け入れるのと 感謝の気持ちで受け入れるのとでは その先に人間としての質の違いが出てくるのでは?

『やってもらってあたりまえ』の気持ちでは 人間として向上は望めないと思いますね ワタシは。

そういう人間って何かにつけ『人のせい』にしてしまいます。 大学を卒業してからの人生の方がはるかに長い。その人生を 恨 ばかりで過ごすことになりませんかね。。。



ん~ ちょっと ハナシそれてます?

ふっと そんなことを思ったのでした。
[ 2005/09/13 10:20 ] [ 編集 ]
大学の求めるもの
tiara_pittさん、京都大学も、中学生対象のオープンスクールをすることになりました。

【大学民営化】が、「何か」を確実に揺さぶっていることは間違いありませんね。



大学が何を求めているか。

大学にも寄るのでしょうが、私は、まずもって【学問の府】に戻ることを目指して欲しい、と

切に願います。



2007年。

あとたった2年で、数値的には大学を選びさえしなければ、

希望者全員が入学できるようになるのですね。



学部で専門性あるものを学べない。(学ばない)

本当に学問をしたかったら、修士課程から?

。。。私はこの国は、本当におかしい、と思う。



そんなに皆裕福になってしまったのか?

そんななかで、ドロップアウトしたり、経済的事由等で進学できなかった子どもたちは

一体どうなっていくのでしょう。



高卒生全員が大学へ行く。

(中卒生全員が高校へ行き、3割以上の退学生を出していなかったか?)

大学は、ブランドであり、飾りであり、ファッションであり。

とりあえず、プーでなく、ニートでない。

大学生という名の肩書きで4年間、親のお金で当然の如くモラトリアムに遊ぶ。

で、サービスのいい大学で就職を決める。



これでは、入学当時、合格偏差値をクリアしていても、大学の「質」はあがりませんよね。



採用担当者は、学生の大学に価値を置いて観るのではなく、

「職業」の欄にその大学の「学生」と書いていた4年間で、

何を学び、どんなこころの財産、宝物を自分のなかに培っているか。

これまでの努力、問題解決に向けての筋道の立て方、判断力、総合力としての国語力。

それらを我が社で、如何に発揮してくれ、我が社を引っ張って行ってくれる人材になるか、を

第一義に観るのだけれどなぁ。。。



こんな社会にしたのは、私たちでもあるのですよね。

もうヘコみまくりです。

[ 2005/09/13 19:17 ] [ 編集 ]
同じ人間ですよ
>あ~さんままさん



高学歴の人にはそうでない人の云々、というのはそうでもないですよ

...と言おうと思ったのですが、実はそうなのかもしれません。

というか、みんな自分とは違う立場の人の痛みを本当はわかっていない

のかもしれないと思うんです。



たとえば、「前の彼氏さん」だってその方なりの悩み・痛みがあったと

思うです。私にも悩みや痛みはあります。他の方もそれぞれの立場で

悩み・痛みを持っていらっしゃると思います。だから、



>どん底の不幸とか、酸っぱい思いを味わってないのね



そうでもないんです。
[ 2005/09/14 19:41 ] [ 編集 ]
経験の差、ではなく違いとして見て頂けませんか
レイソル2.8さん



経験の年数が皆さんに較べて短いのは認めます。

でもだからと言って、そのように断じられる程では無いと思っています。





皆さんが私の経験していない事を経験していらっしゃるように

私も皆さんが経験していない事を経験している(だろう)という事を

認めていただきたいです。
[ 2005/09/14 19:47 ] [ 編集 ]
これを言わないとダメなのか...
ゆうやけぐもさん



私は、東大だけを経験して物申している訳ではございません。

東大、地方大、そして米国の短大とバックグラウンドも様々な大学を

複数経験してきて、その経験を踏まえて発言をしています。



東大という名が出た瞬間、「特別なフィルター」をかけられてしまうと

それこそ話し合いでも埋められないモノが生じてしまう様です。

ましてや「人としての幅」などと人間性にまで言及されてしまうと...



私は私の経験が、皆さんに優劣を付けられるようなものとは思っていませんし

それを踏まえた私見もそうだと考えています。

それに、「行政や経済の中心」を担うとかはごく一部の人で、

東大生の大半は意外とフツーの学生なんですよ。
[ 2005/09/14 20:15 ] [ 編集 ]
そんなに学生は悪くなってないと思いますよ
からすさん



私は、今の大学生も昔の大学生も

『そんな酷く言われるほど変わらないんじゃないか』

と思っています。



昔の人が持ってた悩みとかとは質は違うかもしれませんが

今どきの学生も、それぞれに悩んだり考えたりしてると感じています。
[ 2005/09/14 20:20 ] [ 編集 ]
私も落ち込んでしまいます
ひろこ・Kさん

>裏切られるかもしれません。



裏切られるって、子ども世代にですか?

そのような言い方をされると、私はすごく心が痛いんですよね。

世の中がどんどん悪くなって、まるで不良品が生まれた、みたいに

聞こえてしまうのです。



「そこまで悪くも無いんじゃないですか?」と言いたくなってしまいます。
[ 2005/09/14 20:31 ] [ 編集 ]
人ではなく、大学を切り捨てたのです
りうりう*さん

> そのためのサービスを提供してくれない大学なんて、行く意味が無い」

>と、まるで一般論のように語った瞬間に、意味のないもの、価値のないもの、として、

>眩暈がするほど多くのものや多くのひとたちが切り捨てられてしまった。



これに関しては、言い方が極端すぎたかもしれませんが、うーん

やはり...そう思うのです。



私は地方の中堅レベルと評価される大学で学び、東大へも来てみました。

そしてその歴然たる『差』を感じたのです。



初めて挫折をしたからとか、そういう事で言ってるわけではありません。

入学時の学力差は勿論ありますが、その後の4年間の大学生活で、

その差はもうどうにもならない程に開くのだと感じました。

大学で習ったはずの知識や思考の深さに、次元の違い感じ、思ったのです。



『大学によって、提供しているモノにここまで差があるんだ...』



大学にお金を払って通っていて、そのお金を貴重だと思うなら

やっぱり『より良いもの』を提供してくれる大学に行くべきだと思います。

魅力的な学習環境を提供できないなら、それを補う別のサービスを

提供すべきだと思います。

対価に見合わない環境しか提供しない大学は、やはり淘汰されるべきだと

そう思います。



[ 2005/09/14 21:09 ] [ 編集 ]
私も、あそびすとさんに伝えたいのです
あそびすとさん



私は卒業した大学について、誇りに思っていますよ。

地方の、限りなくのんびりした環境で大学生活を送れたことを

幸せな経験だったと思っています。





>「大学卒」の肩書きに価値があるのではなく~



おっしゃる事はわかりますし、そう在るべきだと思います。

ただ、「大学卒」という肩書きにも価値があるのも事実です。

高卒と大卒では明確な生涯年収格差があるからです。



金銭は幸せを保証してはくれませんが、かなりの部分の不幸を

回避してくれます。だからこそ親は

「どこでもいいから、とにかく大学には行きなさい」

と子どもに言うのだと思います。



私も「大学には行かずに働く」と言った時にそう言われました。

(だからって私の親をけなさないでね)

なので「大学卒」という肩書きにも価値は在ると考えています。



ちなみに、「東大卒」という肩書きにも価値があるようです。

私が経験した限り、「地方大の~です」と名乗るのと

「東大生の~です」と名乗るのとでは、社会人の方々の反応は

全く別のものになります。



この場においても、東大と出ただけで(あまり好ましくないモノ

でしたが)特別なイメージを持たれた方が多数でした。

良くも悪くも、東大と名乗れば(実情とは異なる)イメージを

与えることが出来る。使い方によって物凄い価値があると

感じています。
[ 2005/09/14 22:12 ] [ 編集 ]
荒らし的に長くなってきましたが><。。。
あそびすとさん(への続き)



>「異質なものは分かり合えないもの。



異質なものの同居という点で、私はL.A.に二年ほど住んでいた

経験から、このような考えを持ちました。L.A.は多種多様な

バックグラウンドを持った人々が、入り乱れて生きています。

宗教の違い、国籍の違い、人種の違い、貧富の差...何でもありです。



例えば一つ、宗教について言うなら、イスラム教徒キリスト教は

同じ一神教であり本来相容れないはずのモノです。でも彼らは

L.A.で共存できている。同じ大学、同じ家でも生活できます。

(中東ではイスラム教VSキリスト教的な戦争も起こっていますが)



異質なものを異質なものと認めているからです。その上で

どちらが正しいとか、善悪とか、そういう事ではなく

対等にお互いを尊重(しようと)しているからです。



日本は米国とは違うけれど、これからは多様性を受け入れられなければ

軋轢が生じる一方だと思います。

[ 2005/09/14 22:14 ] [ 編集 ]
人間性はおいといて
tiara_pittさん



私は、東大でも他の大学でも、今は人材を最も重要視しているの

だと思います。それは「人間性」ではなく「能力(学力)」の質です。



ペパーテストで選考をしている以上、そこで人間性の判定はできません。

私が思うに、大学側はこう考えているのではないでしょうか。

「能力の優劣に関わらず、人間性に一定のばらつきがあるのは仕方ない

ならば、人間性に関わらずできるだけ優秀な学生を取りたい」



...というか、人間性なんてあんまり考えていないんだと思いますよ。

人間性をテストで、面接で、人が判定するのなんてばかげていると

思います。もしそれが出来るんなら、落とされた人間はどうなるの、と。



昔の学生と較べて・・・というのはどうか解りませんが

他国の大学生と較べると、昔よりも学力が“相対的に”落ちていると

言われています。



学力低下が問題視される中で、大学は競争力を上げるために

少しでも『学力の高い』学生を求めてるのだと思います。



>『やってもらってあたりまえ』の気持ちでは~



それでも例えば、同じ金額の学費を払っているのに

大学で学習環境に

差があったら、「もっといいものを提供してよ!」

と言いたくはなりませんか?私はなります。



例えば同じ国立大学で、努力ではどうにもならないほどの差がつくのは、

「そんな!><。。。」って思いませんか?私は思っちゃったんです。
[ 2005/09/14 22:40 ] [ 編集 ]
お子ちゃま学生さんへ
それぞれが自分の母校と、自分の得てきたものを誇りに思っている。それで十分です。

---

私は、社会的・経済的格差は厳然として存在しても、人の内面において格差を生み出す社会的要因はないと思っています(と、信じたい)。

高卒も、大卒も、短大卒も東大卒も、社会に貢献できる内容は異なるけれど、その価値に貴賤はないと(格好つけすぎ?)



給与・報酬は社会からの評価です。学歴のおかげで望んだポジションを得られない事実も現実です。けれど、弁護士や医師が、肩書きを持たない農家の方々やコンビニで働く学生達より偉い!とはいえません。また、卒業資格「そのもの」がたとえばリタイヤ後の幸せを約束してくれるものでもありません。



確かに、富(社会的財)には偏りがある。持っている方が持っていないより幸せかもしれない。選択における自由度はあがるででしょう、けれど本当に幸せ(豊か)であるかどうかの根拠が「富に偏在している」のではないと思っています。



- - - - - - - - ---

>異質なものを異質なものと認めているからです。



人間の価値観は多様で当然。違いはあって当たり前(違いを許さない社会というものもありますが、それもまた社会のあり方の一つでしょうね)。

それを一つに出来ると思うのは幻想。

違っていることが許せないのであれば、衝突しかありませんが、違って当たり前なら、前に進めることもある。共存の可能性も、変化の可能性もある。異文化だけでなく、市井の人と人の間でも同じ事がいえますね。



だから、私は、あなたの参加に感謝しています。あなたのおかげで、自分の視野をちょっと巡らせてみることが出来ました。

ありがとう。
[ 2005/09/14 22:59 ] [ 編集 ]
Re:人ではなく、大学を切り捨てたのです(09/11)
1番先にそれを伺いたかったです。。。>お子ちゃま学生さん



お子ちゃま学生さん、

私は、最初、就職活動ツアー【限定で】話をしていました。

だもんで、お子ちゃま学生さんの言われる【サービス】を狭義に解してました。



これが、学習環境といったハード面から、

なくてはならない、各教授陣による講義レベル、ゼミレベル、

学生ひとりひとりの学問体系を樹立、確立させていくところまでの指導力レベルまでもを

【サービス】とおっしゃっておられるのなら、私は、深く賛同します。



私は、学問探究レベルにおいて大学と呼ぶに値しないような、

ぬるま湯大学は淘汰されてしかるべき、と考えているからです。



大学も大学なら、教授陣も教授陣であり、学生も学生。

黄ばんだ講義ノート片手に、何年も同じ講義を平気でし、ジョークまで一緒、

論文など年に1本も書かない。

そんなひとが「教授」としてのさばり、若いひとたちの芽を平気で摘んでいく。

学生は、教授陣に何も期待しておらず、

教授陣も学生たちに何も望みも持ってはいない。

新設私大なら、新進気鋭であるはずなのに、既に空気は澱み腐った巨塔もどき。

学生には横を向かれないよう、あの手この手の【サービス】をする。

そんな大学の存在を許してはならない。

需要と供給とは言いながら、余りに情けない。。。。感じているからです。



賢く在りたい。

大卒というお札に振り回されないひとに。 企業に。 社会に。

できれば、みんなで、しっかり観て、見抜こう。

ふぁいと、ふぁいと!

私は、心の底からそう願って来ました。



戻って来て下さって、本当に有難う。
[ 2005/09/14 23:25 ] [ 編集 ]
しまった!!>お子ちゃま学生さん
大事なことを書き忘れていました>お子ちゃま学生さん



先の【サービス】の需要と供給の関係は、大学と学生とのギブ&テイクの関係です。

学生が納得?して大学を選び、対価を支払う。

それで両者間は「つっぺ」かも知れない。



しかし、学生と社会との関係はどうか? と考えてしまいます。



職業の欄に「無職」ではなく「学生」と書く「職業的身分」であることを。

勤労学生を除いて、「学生」は如何にこの社会から優遇されていることか。



学生、というだけで飯が喰えている自分。

自分は、高卒で市井に出た同級生たちの、

4年間分の生産対価額に見合う「学問」をしているか?

中卒で市井に出た同級生たちの

7年間分の生産対価額に見合う「学問」をしているか?



百歩譲って、学生である間は無理だったとしても、

卒業後、社会へのその【借り】を十二分に返して行っているか?



そこを私は忘れたくない。 忘れてはいけない、と思っています。



「大卒」という肩書きは、その実その肩書きにふさわしい中身を自身で持たねば、

有難いお札でもなんでもなく、実は恥ずかしいものであり、

ことあるごとに「大卒の癖に」と誰に言われても、

申し開きの効かないものではないか、と。



だから、頑張る。

行かせてくれた両親に恥ずかしい想いはさせられない。

容認してくれた社会に、押しつぶされないよう。

何より、自分自身のために。



院への勧め、自分の願いも確かにありました。

んでも、私はこのまま進んではならない。

自分の想いがほんものであることを確かめるためにも、

一度社会に出てから、自力でまた戻って行こう、と思いました。

そんな私の4年間でした。

[ 2005/09/15 07:43 ] [ 編集 ]
お子ちゃま学生さんへ 謝罪と感謝
まず、きちんとお返事をくださってありがとうございます。もう一つ、私の発言が多分に自分の身近にいる人間のイメージで語っていたことをお詫びします。

その上で、なお。充分お分かりのことだと思いますが、「大学卒」その中でも「東大卒」という肩書きはこの先長いこと付きまとうでしょう。それだけのイメージがそこに確立されていますし、何がしかの期待もあるわけです。その中では「意外と普通の学生」であってもです。

大学というのはやはり特別に学問を修める場所であって欲しいと思います。大学側の提供する講義や実験などの設備をサービスと解するならば、精一杯のサービスをするべきでしょう。そして、学生側は提供されたものを主体的に学び取っていって欲しい。だからこその「あの人は○○大卒なんだ」という世間の感想であるわけです。

問題は、そうではないのかもしれない・・・と思われるようになってきつつあると感じられるところにあるのではないでしょうか?だからこそ、「大学とは?」という疑問が出てき、これだけ多くの人がそこに反応しているのだと思います。在学生ならではの意見が、既に大人と呼ばれるようになった私たちに、また大学側にきちんと伝わって、互いにより良い方向へ進んでいけることを望みます。
[ 2005/09/15 10:24 ] [ 編集 ]
Re:私も落ち込んでしまいます(09/11)
お子ちゃま学生さん、ひろこ・Kさんがおっしゃりたかったことは、

違う生き物なんだと背を向けるのではなく、

異質なら異質でもいいから、理解し合いたい。

そのために、一生懸命頑張る、ってことだと私は感じています。

そのなかで、



 > 裏切られるかもしれません。



と言われたのは、ひろ子・Kさんの決意表明でいらしたんです。



その表現に、お子ちゃま学生さんは傷つかれたのですが、

ごめんなさいね、ひろ子・Kさんは、まさに今、深手を負っていらっしゃるんです。

事情あって、ご自身の息子さんの1級上の先輩を里親として引き取られ、

2ヶ月共に暮らし、先般、そのお子がおかあさんのもとに帰られたばかり。

色々と大変な想いをしておられるなか、それでも覚悟のほどをおっしゃいました。



よろしければ、ひろ子・Kさんが私の掲示板の方で、メッセージを残されてますので、

お読みになって下さいね。

決して、



 > まるで不良品が生まれた、みたいに



とは思っておられません。



んでも、それはひろ子・Kさんが抱えておられる問題なので、

覚悟の程を示した表現で、お子ちゃま学生さんが心を痛められた、ということについては、

驚かれ、反省されてると思いますし、私も大きな勉強になりました。

書いて下さり、有難う。

[ 2005/09/15 23:47 ] [ 編集 ]
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