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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

続・私が町立小中学校を選択したのは。





トラックバックいただいた、かいちょーさんの 『 私が私立中学校を選択したのは。』 に
トラックバック返しさせていただきます。

     同じく、トラックバックいただいた、エイクマンさん、ひろ子・Kさんに
     お返事したものと前半が重複しますが、ご了承いただければと思います。



まず、先日の私の日記 にて、
公立にも私立にも、色々と校風があり、それぞれに個性溢れる中学校が在るのに、
それを全て、一緒くたにして私立を斬るような、乱暴な日記となり、

それによって、皆さんのお心を傷つけたり、波立たせたことにつきましては、
誠に申し訳なく思っております。


せめて、投げかけただけの意味は、在って欲しい、と
無責任にも祈るような想いではあります。


以下は言い訳です。
私のあの日記で、後付けながら、今はっきりさせておきたいことは、


●当時の私には、二校択一しかなかったこと。

 荒れ果て、自分自身が政治闘争にまで巻き込まれてしまうかも判らない公立中学。
 席まで決められたスクールバス完備の中高一貫教育で、
 歴史は浅いながら、有名難関校合格を目的とする私立中学。
(合格を確実にするため、個別指導が徹底し、殆どの生徒に学習塾入塾を必須とし、
 その塾まで各人によって個別に指定される)。
 ここには『自主・自立』『自由・闊達』とかを謳う私立はなかったのです。


●もうひとつ。私は、10数年、女子社員の採用に従事し、社員教育は20数年担当して来ました。
 私が面接した学生は、千名をゆうに超えます。

 ひとを類型化したり、レッテル貼りをするのは、私の1番嫌いなことですが、
 どうしてもある傾向が、どうしても浮き上がってくる。

 有名私立中高→難関・有名国立大、私大の学生たちに、
【打たれ弱く免疫力のない、ひ弱くも倣岸不遜な怪物】が、如何に多かったことか。

 それに加え、中高と公立に在り、大学は私大であった私自身の体験でも。
 そして、就職し、そこでの体験、実績を重ね、採用と教育という場での体験でも。
 町内やマンションの理事会、PTAで。

 リアルな様々な事件、様々な人間模様。

【打たれ弱く免疫力のない、ひ弱くも倣岸不遜な怪物】が、そのまま社会に在ったとき、
 様々な場面で、如何に無意識に、或いは故意に、
 ひとを傷つけ、踏みにじり、ものごとをややこしくさせてきたか。


 私の少年が選択できる私立は、
 私がめぐり会った幾多の人々、幾多の事件のなかで。

【 異なる環境、異なる考え方をするひとへ寄せるこころを持てず、
  異端視することで安心し、打たれ弱く免疫力のない、ひ弱くも倣岸不遜な怪物 】
 が多く生産されていくように感じられる私立でした。



私は、私の少年が、建前でも、地域に見守られながら、地域を愛し、
中学校の柵のなかで揉まれ、【 皆と共に 】、強く、逞しく、
育って欲しかった、のです。
(何より経済的にも無理でした。 3年後には下の少年も待ってるのですから)。



選挙後、結果に茫然としていたとき、
日本の貧困率、経済格差の増大、教育格差への連動。
これらの数字データを識り、パチン、とハジけてしまいました。

どんな学校へ行こうとも、もちろん、そのお子の力、努力次第です。
どの学校を選ぼうとも、もちろん、そのご家庭ご家庭の自由なのです。

ただそこに。
経済的事由にて、選べない、選びたくても選べないお子もいるのだと。
『ゆとり教育』に名を借りた国策が透けて見える、そこへ
抵抗もできずにハマり込むことを余儀なくされるのだということ。
そのくせ、あと2年で大学全入時代を迎えると言われていること。
このことは、みんなできちんと識っておきたい、伝えたい。
そんなような想いでした。


私は、PTAで内に在り、「NO!」と感じることは「NO!」と言いたかった。
歯を喰いしばって頑張っている先生方をサポートしたかった。


私立中学に学ばれた方、お子が学ばれている方を決して責めた訳ではないのです。
ただ、私と少年たちを取り巻く状況は、このようなものであり、
私の場合はこうだった、ということです。



  ◆ ◆ ◆



もうひとつ。 誤解を恐れずに申し上げます。



先の日記で、私は

    私は、そうでなくても幼い彼らに、
    「最初から選別され」「同じような経済環境の」
    「同じような理念での教育を目指す」「同じような知的好奇心レベルの」
    狭い狭い環境で育って欲しくなかった。

    そんなものは現実社会でもなんでもない。

    その状態を「フツー」と思い込んで育ったら、
    私の少年の「他者の存在様式への想像力」は、どうやって培われるだろう。

 

と書きました。

おそらく1番、皆さんが反発を抱かれたところではなかったでしょうか。

でも、私のここも一緒に読んで下さっていたでしょうか?



    自分がいわゆる「五体満足」であるということを識ること。
    それは、たまたま今そうであるのであり、
    たまたまそうではなかったお子が在る、ということを識り、
    机を同じくし、自分にできること、考えなくてはいけないことを識ること。

    どうあったら、皆にやさしい社会であるか、頭ではなく肌身で感じること。




前の文章は、後の文章に掛かっていたのです。
私は、本当は、これを1番申し上げたかった。


これが、私の、公立学校のよくあるスローガン『 共に学び、共に育つ 』に
大きく心を寄せ、言の葉だけのものにするまいぞ、と
希望の光のよすがにしている所以です。




私の時代は、「障碍」を抱えるお子たちは、『特殊学級』と銘打たれ、
学校の隅っこや裏側の目立たないところで、ひっそりと隔離されている時代でした。

私はそういう学級が自分の学校に在ることも識らず、
何も考えず、何も意識せず、「障碍」と自分とは何もかかわりのない、
ひとごと、遠い物語、悲しい、可愛そうなお話、としてだけ認識して生きて来ました。


学生時代、とある大きな事件をきっかけに、
私は、如何に自分自身が恵まれ、倖せに生きてきたかを思い知りました。

そして、私はたまたま、今、元気で在れるだけであり、
いつ、何処で、私が両親が、弟が、事故や病で心身にダメージを受けるか解らない。
これは、ひとごとではないのだ、と。


これまで「関係ない」で、生きて来れたことこそが、
この社会の抱える問題なのだ、と識りました。


何のことはない、私自身が【 他者の存在様式への想像力 】に欠けていたのであり、
私自身が、最大の敵でした。


これまでの脳天気な自分の在り方を痛烈に振り返り、
目の前の方々に心を寄せ、共に在ろう、と願い、想い、
自分に何ができるかを必死に考える。

それなのに、いざ、心身に「障碍」を持たれている方々に街中で出逢えば、
自然に接することができない自分。
直接こんなことを言ったら。
こんな風にこのひとを見つめたら、こういう風に思ったら。。。
それら全てが、「『障害者差別』になってしまうのでは?」と自問自答で雁字搦め。
考えすぎて動けなくなる。
大事なときに大切なことが言えない。動けない。

私は、常にダメダメな自分自身と対峙し、ずっと苦しんで来た。


しかし、上の少年は、この地の小学校で、
「障碍」をもつお子と机を並べ、常に共に在り、共に学び、
共に育つのが、当たり前として育ってくれました。

運動会、学習発表会等、様々な場面で、様々な事件が起こり、
皆で悩み苦しみ、クラス同士の争いとなったり、
担任を交えた保護者同士の長い話し合いになったり。

あっちへぶつかり、こっちへぶつかりながら、
それでも結局は、皆で素晴らしい結論を出し、皆で共に頑張って来ました。
私たち保護者も、たくさんの大切なことを学びました。


彼らには、心の中で、特別に考えなくても、
どんな街が「皆にやさしいか」。
皆にやさしいためには、どんな建物でなくてはならないか。

彼らには、道路はこうでなくてはならない、階段はこうでなくてはならない。と
改めて考えなくても、誰に教えられなくても、
もう、肌身でそれを識っているのです。

将来、彼らが成長し、社会を担っていく年代になったとき、
この社会は、どんなにやさしい社会になっていくだろう。


歳だけ喰って、ダメダメな私たちに、
そんな希望の光をもたらしてくれたのです。


  ◆ ◆ ◆


かいちょーさんは、最後の方で、こう書かれました。



 > 学友が均質化されていることの弊害は確かにあるでしょう。
 > わたし自身が“打たれ弱く免疫力のない、ひ弱くも傲岸不遜”な
 > 子どもだったかもしれません(そうは思いたくありませんが)。
 > けれどそれこそ、現実社会で揉まれれば否が応でも身につけざるをえない部分じゃないのかな?



私は、私の少年たちを大学へ進学させることは考えていなかったのです。

しっかりプチ現実社会で、揉まれ、学び、
本当の現実社会で、もっと厳しいものに揉まれても少々のことではへこたれない、
逞しい、そして手にスキルを持つ、少年たちに皆と共に育って欲しかった。


そして、何より私は、
私の少年が、いわゆる「五体満足」であるということを識ること。

それは、たまたま今そうであるのであり、
たまたまそうではなかったお子が在る、ということを識り、
机を同じくし、自分にできること、考えなくてはいけないことを識ること。

どうあったら、皆にやさしい社会であるか、
頭ではなく肌身で感じて欲しかった。

遠い将来、もし自分の身や自分の子の身に降りかかったら、
頑張ってそれに立ち向かえるような勁いこころを培って欲しかった。


そして、私のこの1番の願いは、成就した、と有難く思っています。


それは、先生方のご努力と、皆の頑張りと、
再三の養護学校への転出要請に負けず、へこたれず、頑張り通して
卒業してくれた「障碍」を持つ友人たちによって。


ペン強風





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Re:続・私が町立小中学校を選択したのは。(09/22)
重く大きなお話で、言葉を選んで何か語ろうとしつつ、

そんな頭もないことを知ったこままです(泣)。

ただ1つだけ。

小学校時代の特殊学級・・私が学んだ学校(大阪でした)は、

とても開かれていました。

教育実習に行った時にも、それは受け継がれており、

共に学ぶ姿に感動した次第です。

幸せなことだったんだ、と、

今東京の学校にいて思います。
[ 2005/09/22 19:10 ] [ 編集 ]
Re:続・私が町立小中学校を選択したのは。(09/22)
波風は、立てた方が皆が改めて考える機会にもなると思います。

りうりう*さんの日記は読者数が多い&コメントも多い事から影響力が大きいのでは?と思うと「懸念」も産まれますが、

むしろ「問題提起」として楽しみにしています(^ ^)

論議が有意義に進んでいくのも、りうりう*さんやご常連さんのお人柄ゆえとも思い、

それも踏まえての「波風立てても大いに良し」ですけど(^ ^ゞ

残念なのは、「今」、中学生~大学生の方々の生の意見はなかなか集まらないところですけど、

カテゴリが「出産・育児」であれば、しかたがない事なのかもしれないですね・・・

今まさに「学生」真っ只中の人達の意見を、もっと聞きたいですね・・・
[ 2005/09/22 21:15 ] [ 編集 ]
Re:続・私が町立小中学校を選択したのは。(09/22)
私の小学校にも生まれつき耳や目が不自由な児童がいましたよ。時々一緒に勉強をして、どうやったらその子が動きやすいだろうとか皆で子どもなりに考えました。

公立にはありとあらゆる子どもが学びます。

母子家庭・父子家庭もあり、経済的な事情がある友人も・・・。

子ども心に”世の中にはいろんな人がいる”ということを身を持って知りました。

高校はいわゆる”お嬢さん学校”に間違えて行ってしまいましたが、そのギャップは何と表現したらよいか・・。その中でもそれなりに厳しく育てられた友人はごく普通の奥さんになっていますが、温室で育ちすぎた友人はちょっと周囲に適応できないようです。詳しくはまたいずれ。
[ 2005/09/22 21:16 ] [ 編集 ]
傲岸不遜な怪物
 りうりうさんのコトバでわたしが一番心乱されたのは「ワタシも“打たれ弱く免疫力のない、ひ弱くも倣岸不遜な怪物”なのか? そのように育てられたか?」という点でした。



 で、んなこたない! ってことを自分の日記にしてみたわけで。



“打たれ弱い”可能性は否定しません。でも、傲岸不遜であったり、他者へのシンパシーを持てないことが、私学という場の中で育てられ、増幅されることはない、というのが自分の心の奥を見つめてみての結論でした。



 そうした属性の持ち主が、比率として私学に集まりやすい可能性は充分にあるでしょう。



 けれど、私学に行ったからそうなる、ことはありません。わたしという存在が反証になっているといいんだけれど……。



 りうりうさんの主題である「他者の存在様式への想像力をどのように育てるか」について。



 それって、異質な他者が近くにいるだけで育つものなのかな? 公立出身でも差別と偏見に満ち満ちた人、たくさんいるんじゃないのかなぁ?



……なんて、空しい抵抗はやめておきます。うん、いろんな人と自然に触れあうことができる環境のほうが、そうでないよりいいに決まってる。将来官僚になりたけりゃ、公立に行くべきだ、とも思う。



 だから、りうりうさんの選択は正しい。わたしの選択は正しくない、という側面もあるでしょう(だからこそ、わたしにも葛藤があったわけで)。



 でもとりあえず、わたしは、わたしの息子に、「他者の存在様式への想像力を持つよう」教えてきたし、教え込むつもり。そんな息子が、いつか官僚となって日本の教育の在り方を変える、なんて可能性もゼロじゃないよね。

 公立でも私立でも、傲岸不遜な怪物を育てあげたんじゃわたしの子育ては失敗だろうし、結果良ければ、でいきたいなぁ……(すでに結果が見えつつあるりうりう姐、さすが! だよね)。

[ 2005/09/23 01:00 ] [ 編集 ]
Re:続・私が町立小中学校を選択したのは。(09/22)
りうりうさんが町立校を選ばれた過程、良く分かります。

でも敢えて、何度でも言います。

私立もいろいろ、公立もいろいろ、選ぶ家庭もいろいろ、

公立だから、私立だからという、ひとつの公式にはあてはめて欲しくないです。

私立校にも、様々な「障碍」を持つ子供がいます。

四肢の不自由なお子さんは勿論、

ユニークフェイスのお子さん、

アスペルガーのお子さんは学年に一人か二人。

公立で苦しまれ、悩んだ挙句の受験と。

結果選んだ私立校が天国だったかといえばそうではないかも。

学力試験もクリアせねばならないし、経済的な条件もある。

でも、お上の意向を伺わずに済む分、私立はフットワークが軽い。

積極的にそういうお子達を受け入れる私立校はかなり多いのです。

一方、公立で。

先日友人の子が修学旅行直前に足を骨折し、松葉杖での歩行を余儀なくされました。

担任の先生は、大丈夫、助け合って連れて行きます、と仰いましたが、

その後、校長から「待った」がかかり、曰く、

養護の先生は君一人のためにいるのではない、

みんなが山登りをしている間、一人で部屋で待つ覚悟はあるのか、云々、云々。

要は「連れて行けない」と。

それこそ私立ならともかく、公立でこれってあり?

それとも公立だから? ものすごく不思議でした。



決して決して、私立擁護、公立批判ではなく、

公立だから、私立だからと、ひとつの公式にあてはめないで、と。



りうりうさんが、だからこそ、公立を良くしていかねばと語られるのには全面的に賛成です。

が、

>自分がいわゆる「五体満足」であるということを識ること。



これが公立でなければできない、という論点にはどうしても賛同できません。

[ 2005/09/23 01:38 ] [ 編集 ]
最初に書き込んで下さって有難う☆>こままさん
こままさん、口火を切られるのには、勇気が要られたことでしょう。

大阪時代を思い起こして下さり、有難うございました。



大阪でできて、何故、東京でできないか。

色々と考えさせられますよね。



「特殊」という言の葉で表される意味などにも思いを馳せます。

ずっとずっと考えていかなくちゃ、と私自身に「ふぁいとぉ!」です。

[ 2005/09/23 07:47 ] [ 編集 ]
学生まっただなか。
_AZ_さん、いつも有難うございます。

_AZ_さんの抱かれる「懸念」が、「懸念」で終わりますよう、

少しでもいい方向へ向かいますよう、私も祈る想いですし、努力していきます。

投げかけた以上の「責任」は、いつまでも何処までも抱えていくつもりです。



 > 残念なのは、「今」、中学生~大学生の方々の生の意見はなかなか集まらないところですけど、



ん。

まっただなかの特に中学生の意見は、おそらく多岐にわたることと思います。



小学生時では、小さな小学校区で、幼いときから一緒に在り、

「○○ちゃんが、笑ってくれたよ!」な段階から、

「障碍」を持つお子たちのそれぞれの歩みを、共に喜び、共に育ってこれましたが、

中学校にもなると、子どもたちも自分のことで精一杯。



特に、違う校区から来たお子たちは、

「障碍」を持つお子たちのそれぞれの「違い」になかなか馴染めず、

「最初の一歩」がなかなか踏み出せません。

「生理的嫌悪感」なるものに大きく邪魔をされたり、

「障碍」を持つお子たちも、子どもたちの「拒否」感を敏感に察知し、荒れたりします。

日々の授業、運動会、合唱祭。

「障碍」を持つお子に「好意」を持たれたお子が、学校に行きたくなくなったり。

どう在ればいいのか、皆が悩み、傷つき、涙を流します。



それでもそのなかで、皆がそれぞれに考え、

より皆が笑顔で過ごせる方法を捻り出し、なんとかかんとか乗り越えようとしていきます。



これらのことは、例え「まっただなか」では辛く、嫌でたまらず、

同じクラスになったことを「不運」だと嘆き、逃げ出したいことであったとしても。

私は、いずれは、きっときっと。

熱い想いで振り返ることができるものである、と信じたい。

[ 2005/09/23 07:49 ] [ 編集 ]
学生まっただなか。 2
_AZ_さん。



圧倒的に厳しい現実のなかで、

いつも「少なくとも」と考えたい私があります。



「共に学び、共に育つ」なかで、

少なくとも、

「健常者」が圧倒的に多い世の中だから、何もかもが「健常者」仕様になっている、

そのことに、「あれ?」と気付く感覚は、肌身に染み付いているはずですし、

こころで声をあげて泣きながらも、いつもにっこりと、

皆に笑顔で「いつも有難う」と頭を下げる、「障碍」を持つお子のおかあさんの

勁い姿が、子どもたちのこころのなかに焼きついているであろう、と思うのです。



小学生、中学生の頃に、こういう体験、想いをした子どもたちは、

きっと、その後も頑張っていってくれる。



例え、最後まで馴染めず、「共に学び、共に育つ」ことに疑問を覚え続けたとしても、

ずっとそのことにこだわり、もっといい形、もっと素敵な形に向かって、

考え続けてくれることでしょう。

それは、少なくとも、「無関心」「自分とは関係ない」な形ではない。



「自分だったかも知れない」と思うこと。

「将来の自分かも知れない」と考えてみること。 

子どもたちにとって、保護者にとって、大きな最初の一歩だったと。

[ 2005/09/23 07:56 ] [ 編集 ]
ありとあらゆる子どもたち。
♪がらがらどんさん、メッセージを有難う。



 > 公立にはありとあらゆる子どもが学びます。

 > 母子家庭・父子家庭もあり、経済的な事情がある友人も・・・。

 > 子ども心に”世の中にはいろんな人がいる”ということを身を持って知りました。

「身をもって識る」というのがポイントだよなぁ、と

身をもって識るのが大学に入ってからだった私は、切実に思っています。

それも、大きな事件や、恩師の導きや、友人たちの助けがあってこそでした。



それまでも、それなりの事情を抱え、それなりの経験をし、

それなりに他者に心寄せ、それなりに世の中のことを解っているつもりでした。



それが、現実に目の前に問題が起こったとき、

多くのひとがどう反応し、争いとなり、どのような悲劇を再生産していくか。

思ってもみなかった自分は、ただ立ち竦むだけでした。

「解っているつもりだった」他ならぬ私自身が、

【打たれ弱く、免疫力のない、ひ弱くも傲岸不遜な怪物】だったのです。



様々な事情を抱え、様々な状況下にある、ありとあらゆる子どもたち。



自分もそのなかのひとりである、ことを頭でなく、肌身で識ることが、

私は、私自身について「遅かった」なぁと。



ひとは学ぶことができる。 ひとは変わることができる。

まずは、自分自身から。

ふぁいとぉ>ぢぶん。

[ 2005/09/23 08:31 ] [ 編集 ]
公立であろうが、私立であろうが。
ん>かいちょーさん。



結局は、場面場面でのそのお子、そのお子の違いやものごとを考える力の違い、

そのご家庭の在り方、育て方の問題である、ことは重々承知です。



二校択一の場で、私は「町立」を選択した。

私にとっての選択肢はそれしかあり得なかった。



かいちょーさんには、いろんな選択肢が在られた。

んで、かいちょーさんのご家庭で、

【打たれ弱く免疫力のない、ひ弱くも倣岸不遜な怪物】をつくらない育て方に

場面場面で心砕き、務めていかれる。

その視点がいつもいつのときでも在り続けていらっしゃるなら、



「それでいーじゃん」。(←かいちょーさんの決り文句)



私が怖い、と思うのは、広島時代の私の周りであった、

一部の凄い超お金持ちさんや凄い「家柄」方々が、

当然の如く「名門」とされる私学に学ばれ、

お子たちも、ご家族も、それをもってステータスとされ、

町内会やら子ども会でも「別格扱い」を暗に要求される。



そんな方々が、代々官僚となられ、あるいは議員となられ、

行政側となられていく姿。



出てきた法案は、今回のような『障害者自立支援法案』だったりすること、です。

[ 2005/09/23 09:26 ] [ 編集 ]
Re:学生まっただなか。(09/22)
うちの長女がまさに「同じクラスに」で「好かれて」「迷惑をこうむった」立場です(^ ^;

実家ははも障害を持ったし、妹である次女は自閉症傾向で、

本人は「不運」「なんで私ばっかり」と嘆いております(^_^;

でも、それも自然な事で、そういう現実を 障害を持った子も親も避けられない事で。

これが隣の県だったら、出会う機会すらなかった。

都内であっても、私立ならやはり出会えなかった。

出会えた事でお互いに受ける悪影響も含め、出会える環境にあるのと無いのと、

この違いは将来に大きく影響するような気はします。



時間があったら日記で書く事にしようかな・・・

障害児を持った親御さんにしてみれば、ショッキングな内容になるとも思うので迷うんですけど・・・
[ 2005/09/23 10:14 ] [ 編集 ]
からすさん、有難う☆☆
そう、からすさん、何度でもおっしゃって下さい。

からすさんが、私立に在って学ばれたこと、体験をおっしゃって下さる度に、

私は学ばせていただけるし、「希望」も持てますから。



【お上の意向を伺わずに済む分、私立はフットワークが軽い】という面、

そこを大きな利点として痛烈に感ずるところが多々あります。

やさしいトイレへの改装、スローブ設置、

現在、何処でも心配されている「アスベスト」の件についても、

即座に対処が可能であることでしょう。



ただそこに、保護者が何処まで意見を言えるのか、要望は出せても、

NOと言う場面で、NOと言え、皆の問題として語り合っていけるのか、

という危惧は、やはり感じています。



積極的に受け入れ体制にある私立が多い、というお話は

とても嬉しく読ませていただきました。

残念ながら、広島市とこの地での、私の周りでは、

「障碍」、特に「知的障碍」を持つお子を受け入れる私立はなかったからです。

男女共学の私立ができたのも、つい近年になってからです。

(↑男女共学でない。 これも、私が不自然だと感じていたところでした)



私立に在って、やはり問題となるのは金銭的な面ですよね。

「障碍」を持つお子のご家庭では、殆ど例外なく、将来への不安から、

お子を小中高と私学に通わせる金銭的ゆとりをお持ちではない。

選択の余地がない、に等しい。

そこがなんとも悩ましいことです。

[ 2005/09/23 10:15 ] [ 編集 ]
修学旅行
松葉杖での修学旅行の件について。

からすさんのおっしゃる通り、



 > それこそ私立ならともかく、公立でこれってあり?

 > それとも公立だから? ものすごく不思議でした。



と私は感じます。

で、公立の場合は、これに対して「NO」と言える。

公的にPTAが動ける、と私は思うのです。

直接の保護者さんは、なかなか言えません。

「皆に迷惑を掛けて、、、」の部分で既に萎縮されているからです。

「我が子さえ諦めれば、、」と考えておられたりするからです。



ここで、「これまで皆で一緒に学んで来たのに!」と頑張れるのは、

共に机を同じくしてきた子どもたちと、その子どもたちの保護者、先生たちである

PTAだよなぁ、と思います。



うちの小学校でも、中学校でも、修学旅行では必ず意見が飛び交います。



学校側は、曰く、船に乗る、落ちたらどうする。

山登りがある、その間、どうする。etc.etc.



小学校では、皆が「○○ちゃんは皆で守るから」

「いつだって一緒にいるから」

「山? ゆっくり登ったらいいじゃん」などと意見が出ますが、

中学校では、様々、様々に意見が出ます。

それもまた、皆の悩み、皆の歩み。

[ 2005/09/23 10:19 ] [ 編集 ]
公立だから、私立だから。
からすさん。



 > 公立だから、私立だからと、ひとつの公式にあてはめないで、と。



あてはめません。 あてはめたくはないのです!



私自身が、新たな偏見や差別観をつくってどーする、と思っています。



敢えて、「私は町立を選んだ!」と叫ぶのは、

大学全入時代を目前にし、

そう叫びたい現実が目の前に大きく横たわっているのを感じるからです。



んだから、どうぞ突き崩して行って欲しい、とこころから願います。

「私立だってこうなんだ!」と、

突き崩されるのが、私の本当の願いかも知れません。



そして、からすさんなら気付いて下さっておられるでしょう。

今回の日記で、私がお伝えしたいのは、、



 >> 『 共に学び、共に育つ 』に大きく心を寄せ、

 >> 言の葉だけのものにするまいぞ、と希望の光のよすがにしている



【 言の葉だけのものにするまいぞ 】です。



『共に学び、共に育つ』ことを公立学校がスローガンに掲げるなら、

学校は、教委は、文科省は、

言うだけのことはしようよ、努力しようよ、真摯に向き合おうよ、と

私は思い、感じ、

PTAのなかに在り、できる限りのことに関わり、行動し続けて。



今春から顧問となりました。 おそらく来春は離れます。

今度は学外から。

そして地域のなかで、私はどう在るのか。

私自身が私自身に問われて行くのだ、と思っています。

[ 2005/09/23 10:21 ] [ 編集 ]
Re:続・私が町立小中学校を選択したのは。(09/22)
 今はもう小学二年生になってしまいましたが、町内に重度の身体障害を持った子が居ました。保育所は地域の保育所へ通いました。同級生は、彼の状態がどうか、彼の思いがどうか、顔を見れば判る状況にありました。

 同級生たちは、これからの小学校6年間、中学3年間を引き続き机を並べて学ぶ気持ちでいたにも拘らず、彼は小学校への入学を認められませんでした。設備と人材が受け入れ合格ラインに達していなかったからです。

 その答えが出されたのは入学半年前。半年あれば、どうにかする気持ちがあればどうにでもなったのではないかと考えますが、教育委員会は首を縦には振りませんでした。人事を司っているのも、教育委員会です。ならば、障害児教育の免許を持った人材を他から配置すればよい事なのに。



 これは大げさな言い方かもしれませんが、一種のエリート教育と言わざるを得ないと感じます。りうりうさんのおっしゃる異なるものを排除する教育です。異なるものを排除すれば、学習の能率は確かに上がるでしょうが、その代わりまた改めて障害者施設への訪問を行ったり、交流を持ったりと、逆に時間をとることにもなります。そして、そういった「特別」の「行事」の中で触れる「異なるもの」は、どこまで行っても「異なるもの」に他ならず、自分を取り巻く環境の一部にある「異なるもの」ほど、自分を育ててくれるものはないということを知らない人が励行する教育のように感じるところです。



 学力を底上げする事と、障害者への理解を深める事は、同時進行できないものなのでしょうか。そんなことは決してないはずです。全く別の事だと思いますがどうでしょうか。
[ 2005/09/23 22:02 ] [ 編集 ]
長女さんの体験
_AZ_さん、「まっただなかのひとの意見を聞きたい」とおっしゃられたので、

おそらく、そういう経験がおありなのだろう、と予感していました。



でもでも、そのなかで、



 > 出会えた事でお互いに受ける悪影響も含め、出会える環境にあるのと無いのと、

 > この違いは将来に大きく影響するような気はします。



このようにお書き下さり、思わず涙しました。

やはり、希望のよすがにしていいのだ、と。



小学生までは、あちらこちらにぶつかりながら、なんとか皆で頑張れるんです。

んでも中学生になると、本当に本当に きれいごと では済まない。

みんな自分のことだけで精一杯だし、殆どのお子が第二次成長期をも迎え、混乱のさなか。



 > 時間があったら日記で書く事にしようかな・・・

 > 障害児を持った親御さんにしてみれば、ショッキングな内容になるとも思うので迷うんですけど・・・



_AZ_さんの視点が、あくまでも最初に書かれたものに基づくなら、

頑張られた長女さんの想いや_AZ_さんの想いは、

そのさなかに在るお子たちや、保護者にとって、

より良い方向に向け、頑張れる指標になれる、と信じます。



皆で当たり前のこととして受け入れ、皆で考え、

また、皆の方も障碍を持つお子に受け入れられなければ、

とても笑顔だけで乗り越えていけるものではありませんものね。

[ 2005/09/24 09:53 ] [ 編集 ]
受け入れ合格ライン
さきさん、熱いメッセージを有難うございます!

特に、後半部分、私の頭は激しく上下に動きっぱなしです。



「設備と人材が受け入れ合格ラインに達していなかった」とは、

誰の何のためのラインか、と思いますですね。

所轄教委に「その気がなかったから」でしかない。



うちの小中学校でも、様々な理由で、「介助員」が1人また1人と減らされて行きました。

そのため、空き教室で、複数の「障碍」を持つお子たちが介助員と遊ぶ時間が多くなっています。



うちの小中学校の介助員さんの仕事は、あくまで「介助」であって、

そのお子そのお子を指導、育成する資格がないために、

この遊びの時間を何かそのお子のために有効に使いたく思っても、何も、できません。

学校側に介助員の立場から、提言したくても、その場もなかなかありません。



 > ならば、障害児教育の免許を持った人材を他から配置すればよい事なのに。



心から、そう思います。

さきさんのメッセージ、もう一度ここで取り上げさせて下さいませ。



 > りうりうさんのおっしゃる異なるものを排除する教育です。

 > 異なるものを排除すれば、学習の能率は確かに上がるでしょうが、

 > その代わりまた改めて障害者施設への訪問を行ったり、交流を持ったりと、

 > 逆に時間をとることにもなります。

 > そして、そういった「特別」の「行事」の中で触れる「異なるもの」は、

 > どこまで行っても「異なるもの」に他ならず、

 > 自分を取り巻く環境の一部にある「異なるもの」ほど、自分を育ててくれるものはない

 > ということを知らない人が励行する教育のように感じるところです。

 >

 > 学力を底上げする事と、障害者への理解を深める事は、同時進行できないものなのでしょうか。

[ 2005/09/24 11:53 ] [ 編集 ]
Re:続・私が町立小中学校を選択したのは。(09/22)
たまに巡回しては拝読いたしておりました。

きちんと考えていらっしゃる姿勢にひどく自分が情けなく思いました。基本的にはりうりう*さんに一票です。ただ自分にはそれだけ結論を出すだけの人との交流が無かったし、学歴を気にしない生き方をしていましたので。

自分のブログにて、まとまらないながら、書いてみようと考えました。
[ 2005/09/24 22:28 ] [ 編集 ]
メッセージを有難うございます☆>豆の湯さん
お久しぶりです>豆の湯さん

書き込んで下さり、有難うございました。



私はたまたまいろんな事件に遭遇したお蔭で、

いろんな方々に学ぶことができ、ラッキーだっただけなんです。

まだまだ、まだまだ、発展途上です。

これからも、皆さんにいろいろとご教授いただくつもりでいますので、よろしくお願い致します!



 > 自分のブログにて、まとまらないながら、書いてみようと考えました。



早速に有難うございました。

また、後ほどお邪魔にあがります。 どうぞよろしくお願い致します^^☆

[ 2005/09/25 05:28 ] [ 編集 ]
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