今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

25回忌法要。




          8月14日。  実家の父の祥月命日。

          この世で 一番 私の悲しかった日である。
   


          今回、母が父の25回忌法要を営むことにしたのは、
          8年後となる、33回忌法要を営む自信がないから、とのことであった。


              弟も私も、
              何をおバカなことを、と一笑に付し、

              33回忌も きっと 皆 元気で迎えられるし、
              親不孝の極致ではあれど、
              おかあさんが 私たちを看取ってくれそうに思ってるよ!


          そんな風に受け流したのだったが、母の決意は固く、
          この日を迎えることになったのだった。


          内々の法要で、母と弟と私。
          父が妹のように思い、私が姉のように慕っている私の従姉のみ。


          うちの少年たちも来てくれると嬉しいな、と呟く母に
          当たり前ぢゃん、引きずっても連れて行くよ! と
          早くから少年たちに調整をお願いしての この日。



    




          起きられない下の少年 を 叩き起こし、
          お寺さんが お帰りになられたら、すぐ眠っていいから、と
          寝ぼけ顔な彼をそのまま Fitの後部座席に突っ込み、
          そのままそこで寝かせよう、と 上の少年を助手席に乗せて、実家へ向かう。



          いつもなら、Fitのエンジン音で、転がるように 外に飛び出して
          満面の笑顔で 私たちを迎えてくれる母が 出て来ない。

          弟とふたりで、手が離せない程のご馳走をつくってる?

          車庫入れ前に 先に下ろした少年たちが いつもなら いそいそと
          勝手知ったる「 大好きなばぁちゃんち 」へ上がり込むハズなのに、
          玄関の前で固まっている。


            「 ん? なんで入らんのん? 」

            「 だって、誰かおってんぢゃもん。。。たらり 」


          お年頃 の シャイなボーイズは、
          外に漏れ聞こえてる 機関銃のやうな「 おばちゃん 」の話し声に
          畏れている様子。


             、、、あぁ、なるほど。


          毎年、父の祥月命日にお参り下さり、
          定年を迎えられてからは 散歩がてらに 毎月の命日にお参り下さる、
          父の幼馴染であり、職場の同僚でもある「 おじさん 」が、
          夫婦でおいでなのだった。


            父の大親友である 上品で温厚な「 おじさん 」を
            私たちは大好きなのであるが、

            大阪の旧家のご出身でいらっしゃる 「 おばさん 」は、
            広島人となられて60年を越えておられる今も関西弁で、
            息つく暇もなくお喋りになる御方で、悪い御方ではないし、
            私など、とても可愛がっていただいたものではあるが、

            なんでも ずけずけと 歯に衣を着せずおっしゃり、
            殊に私たちの大好きな「 おじさん 」を悪し様におっしゃるので、
            この御方とお別れした後は、暫く座り込んでしまうほど、
            神経をすり減らされ、私たちは、苦手としているのであった。



         このおばさんに 耐性のない少年たちは、
         挨拶もそこそこに、早々と隣の部屋へ逃げ込んだのであったが、
         私はそういう訳には行かず、長い長い時を過ごす。 しょんぼり


         昔話に勝手に大輪の花を咲かせ始めた おばさんは、


            乳児だった私が、「 生さぬ仲 」 である母に、
            今日まで どれ程、慈しんで貰ったか。
            その恩を絶対に忘れてはならない、とか、

            「 生さぬ仲 」 の 母が、慣れぬ育児に
            どれ程、苦労したか、その恩を絶対に忘れてはならない、とか、

            その「 生さぬ仲 」である娘の長男を
            高2高3と難しい時期に、この家に下宿させ、
            育てて貰った恩、京大に合格させて貰った恩、
            どんなに感謝しても 恩返ししても 返し尽くせるものではない、とか、


         少々お歳も取られたために、それらが声高にエンドレスで繰り返され、

         母と私とのことを、まだ少年たちに話していない私は、
         隣室の彼らの耳に届くのではないか、
         こんな形で、彼らが識ることを1番怖れていたのに、と
         はらはら し通しで、すっかり消耗してしまい。

         ぎしぎしと こころが軋み、悲鳴をあげかけたとき、

         ピンポンとチャイムがなり、従姉が来てくれる。


   


         従姉は、少年たちと逢えたことに とても喜んでくれたのだったが、
         下の少年の 酷い肌の状態に息を呑み、


          「 仁ちゃんの方がハンサムだと思ってたけど、これではね… 」


         痛ましそうに、紡がれた言の葉に
         母が顔色を変え、仁を引き寄せて涙をこぼす。



                  何気ない 従姉の言の葉は

                      上の少年のこころを抉り
                      下の少年を 抉り、
                      そして、母のこころをも 抉る。



          その場の空気を緩めたく、ただ 私は へらへらと笑うだけ。



なみだ





         最愛の父の25回忌に。


         1番近しい私たちが集まり、父を偲び 手を合わせ、
         来し方、行く末、と
         遺された互いのこころ を あたためあう日となるはずだった。


             なのに それぞれのこころに 思いがけない波風を立てられ、

             あげくに、繰り返された 父の手術の是非、
             葬儀のときのあれこれの是非。

                ―― とうに 母と私の間では 自分たちを納得させ
                      こころ 鎮めて クリアしてきた事柄であったのに。


              どうして こんなことになってしまったか。





         夜、おいで下さった方々を丁重にお見送りし、
         夫の職場へ Fitで夫を迎えに行く。


         母と弟が、腕によりをかけてつくってくれた夕食を
         母と弟と 私たち一家 の 水入らずな雰囲気で 共にいただき、
         その和やかな空気に やっと こころが和み、ほっと一息入れて、

         翌15日も出勤である夫や、
         広島で友人たちと逢う予定の少年たちを残し、私だけ、自宅へ戻る。


                  泊まらない、と 義母に約束をしていたから。



         独り 戻る 車のなかで、


                耐え難い哀しみが襲ってくる。


                結局 私は また 誰も守れなかった。

                母も、少年たちも、 私自身をも。

                そして、そんな非力な私が、実家を後にし、
                独り、この地へ義母を守りに帰ろうとしている、
                この皮肉さ加減に 嗤えて来る。




         ただ 倖せなのは。


            私抜きでも、夫は私の実家に在れる、母と夫の双方のこころ。
            少年たちが 私の母をとても愛し、信頼していること。

            それが 私の宝なのだと。 母が 私の宝なのだと。


                   改めて気付かされ、

                     だから、私は 私の なすべきことを。

                     母の在り方を 胸に、なすべきことを。

                                 ふぁいとふぁいと > ぢぶん





チビSAD

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ




関連記事
スポンサーサイト

ジャンル : 日記
テーマ : 頑張れ自分。

タグ : 25回忌 法要 法事 実家の法事

Re:25回忌法要。(08/15)
「 おばちゃん 」は悪気はないのでしょうが、

りうりうさんを傷つけていることに気がつかない?

いえ、りうさんのおかあさまが傷ついていらっしゃらないかと案じます。



 >泊まらない、と 義母に約束

こういう約束をさせられるのも辛いですね。

法要のときくらい、ご実家で過ごすことを許して欲しい。

そのための「 法要 」でありましょうに。

[ 2010/09/14 17:09 ] [ 編集 ]
「 法要のときくらい 」
おこころ寄せて下さってありがとございます(;;) > サヨコさん



 > 「 おばちゃん 」は悪気はないのでしょうが、



ほんとに。。。

悪意に対してなら、徹底的に立ち向かえるのですが、

そうではないため、こころも 抗しようがなくて(;;)。



第三者な方々からの 「 生さぬ仲 」 なる言の葉に、

「 継母だから 」 「 継子だから 」 という識ったような目線に。

母も私もどれだけ悲しんで来たことか。



父ととても近しいところに在った御方だからこそ、

そこのところに、少しだけでも想像力をめぐらせていただきたかったです、、、が、

それが「 おばさん 」の 生来の持ち味といへば そうなのですから、

笑って受け流せない私が狭量なのだろう、、と 懸命に言い聞かせ、

かくいう私自身が、他者に 無神経な言の葉を紡いでいないか、

もっともっと留意せねば、と自戒するです(-_-)。



 > 法要のときくらい、ご実家で過ごすことを許して欲しい。

 > そのための「 法要 」でありましょうに。



ありがとございます(;;)。

盂蘭盆と重なってしまうから、だと思うのですが、

義母も淋しがりやなので。。。(;;)。

[ 2010/09/15 00:16 ] [ 編集 ]
Re:25回忌法要。(08/15)
切なくて

上手く言葉が見つかりません。

ワタシはわがまま言ってでも 母の傍にいたい。

大切なこの日を過したい。



毎日のようにりうりうさんを独り占めしているお義母様。

大切なこの日ばかりは 快く送り出していただきたかったです。
[ 2010/09/17 12:02 ] [ 編集 ]
「 大切なこの日 」
有難う。。。ありがとございますぅ(T^T)>ゆいぽんちゃん。さん



 > ワタシはわがまま言ってでも 母の傍にいたい。

 > 大切なこの日を過したい。



ほんとにね(;;)。

いつ、何処ででも、手を合わせれば一緒、といいながら、

んでも、母にとっても、別格の原爆の日を除けば、1番悲しい日だったと思うし、

ぐだぐだな1日となってしまったので、ほんとに傍に在りたかったです。。。。



それでも、弟は勿論、少年たちや夫が傍に在ってくれたので…(;;)。



 > 毎日のようにりうりうさんを独り占めしているお義母様。



はぅ。

嫁は常に傍に仕えていて当然、な世界で、それを務め上げて来た御方ですから。。。(;;)。

[ 2010/09/18 08:56 ] [ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。