今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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「 法要 」 の 意義考。




         仏教において、ご法要の意義とは
         各宗派でそれぞれに異なってはいるものの、
          ( それはもう、恐ろしく異なる! )


            私自身は、( いつ ) 何処で手を合わせても同じ。
            問題は 己が手を合わせる そこに、
            己の真が在るか否か だと 思っている。

               それでも ひとつの「 区切り 」として
               わざわざ 故人の忌日に「 法要 」を営む意義は
               以下のようなところのものではないか、と。









         現代を生きる私たちで、
         本気で 神や佛の存在を信じ、日々敬虔な「 信仰 」生活を送っているひとは、
         数少ないのではないか、と思う。

         そんな私たちでも、これまで生きて来たなかで
         近しいひとびとの逝去に遭い、結果、法要に招かれたり、営んだりしている。

         前提のやうに「 確固たる信仰を持たない 」私たちが、ご法事に臨むにあたり、

         まずは、故人の忌日に、故人と縁在ったもの、として集まるのだから、
         改めて この日に故人を偲ぶこと、だったり、

         故人によって結び付けられている、参集したひとびとと自分とのご縁を想ったり、

         さらには 日常に追われ、日々流されている自分を見つめ直したり、
         様々なご縁で「 生かされて在る 」ことを再認識したり。

         たくさんのいのちの繋がりのうえに 生かされて在ることに感謝のこころを持ち、
         己のこれからの日々の在り方を想い、
         「 精進すること 」を それぞれにこころに誓うこと――。



           。。。そんなようなことが、
           各宗派を超えて 言えることなのではないか、と愚考する。



               加えて、法要に お子たちが出席することは、
               そのことで 「 仏縁 」 というものやら、
               冠婚葬祭でしか出逢わない親族 というものとの
               「 繋がり 」やら、今日までの縁 ( えにし ) を肌で識る、
               よい機会なのではなかろうか、、、とも思ったり。



           参集したひとびとが、それぞれ故人に縁( ゆかり )あるものとして、
           共に食事をし、互いの近況を伝え合うことも、また
           改めて故人を偲ぶ縁( よすが ) になるのだ、とも思う。




         なんにせよ、60代になっても未だに分家の義叔母から、
         熨斗袋の中身まで指導される面倒さ には、共感するものの、

         法要に招待されて 「 迷惑 」 とか
         包んだ金額に見合わぬフィードバックなら 「 損 」 であるとか、


             んな身も蓋もないことは、
             お願いだから、思ってても口には出さないでいて欲しい。。。 なみだ











         ご法事に 御佛前や御供として供えられた熨斗袋を お帰りの際に、

          「 お気持ちだけいただきました 」 と

         茶の子と共に 丁重にそのままお返しする風習は、
         広島市中央部だけなのだろうか。 ショック


         、、とはいへ、広島市でも、
         内々の法事だったり、本当に「 略式 」の場合だけ、である。

         それは、いただいた額の 【 半返し 】 という風習があるため、
         ご法事で いただく熨斗袋の中身に合わせ
         それぞれ異なる茶の子を手配し、後日送付や持参しなくてはならず、
         その手間を厭ったことから 始まったのではないかと思うのだが。。。

         だもんで、わざわざこの日に参集していただいたことだけで有難い、と、
         熨斗袋の中身は頂戴せずにお返しし、
         一緒に、その日にお渡ししてしまう茶の子は 一律同額のものである。



               お料理代、茶の子代 ( 会場代 )と 多人数になればなるほど
               施主側は大変であるが、現代的で合理的。
               善哉、善哉、だと 私などは感じて来た。


               けれど、ここ数年来、ご葬儀のときに、
               もう 『 満中陰の茶の子 』 を渡されるようになって来たのは
                 正直、ヤり過ぎだと思うし、ついて行けないものを感じている―― たらり











         今回の事件で、改めて。


         日頃より、「 想いを形に 」 と思っている私であるけれど、

         「 こころ 」 を 物品 という具体的な形として包むことは
         なんて難しいことなのだろう、と思ったことである。



             モノやお金で ひとのこころは はかれない。


             けれど、佛事など、
             モノやお金で 己のこころを包まなくてはいけなくなった場合、

               何処に 自分自身の判断基準を置くか。

               そこに、己の立場、とか 世間体 とかが 反映されてはいないか。

               己は、世間相場、というものから、全く 自由であれるのか。 等々。



                迷惑至極に思えた、今回の義母の爆発、憤懣から端を発し、
                     いろいろいろいろ 考えさせられたことである――。





強風

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タグ : 法事 法要 ジョーシキとヒジョーシキ 慣習 判断基準 御仏前 御供え

[ 2010/07/27 00:00 ] 徒然草 | TB(0) | CM(4)
Re:「 法要 」 の 意義考。(07/27)
お葬式の際はお返しがあるけど法要の際は出さないし頂かないですねぇ・・・

多分お返しがあるからそういうお気持ちだけ・・・っていう風習ができたんでしょうね



[ 2010/08/28 07:24 ] [ 編集 ]
「 出さないし 頂かない 」
まぢですか@@?? > やじさん上総んさん



 > お葬式の際はお返しがあるけど法要の際は出さないし頂かないですねぇ・・・



それは、直系のご家族だけで、というご法事ぢゃなくても??

ならば最も「 進んだ 」ご法事スタイルかも知れませんですね。。。



 > 多分お返しがあるからそういうお気持ちだけ・・・っていう風習ができたんでしょうね



、、と私は思ってるです。

実家でも、以前、父の法事に来られた方々がお仏壇の前に熨斗袋を山積みされたのですが、

母は「 本当に申し訳ございませんが、、お気持ちだけいただきます。 勝手を致しましてお許し下さい 」

と 平身低頭して おひとりおひとりにお返ししてたです。。。

[ 2010/08/28 18:12 ] [ 編集 ]
Re:「 法要 」 の 意義考。(07/27)
私の実家でも母方の実家でも、

亡き伯父や祖父母の法事の際は、熨斗袋を用意してお渡ししていますが、

帰るときに、茶の子と一緒にお返ししていますよ(婚家は不明)。



先だっての伯父の三回忌のときもそうでした。

父の代理でお参りして父の名前の熨斗袋を従兄弟に渡しましたが、

「気持ちだけ・・・」と言いつつ、丁重にお返しされていました。

結局、私の実家のお仏壇に茶の子と一緒に御供えして帰りましたが。。。

[ 2010/08/30 06:28 ] [ 編集 ]
「 お返し 」
良かったぁあ^o^;☆ > yuinekoさん



 > 私の実家でも母方の実家でも、

 > 茶の子と一緒にお返ししていますよ(婚家は不明)。



広島市の私の実家や、この地だけぢゃなくて(滝汗)。

ただ、この地では、ほんの数年前からなんですー。

現在のyuinekoさんのお住まい辺りはどうなんでしょ。



ぅちの町は、小さな町の集まりなので、

「 しきたり 」が、同じ町内でも驚くほど違ってたりするですよね^o^;。

[ 2010/08/30 10:44 ] [ 編集 ]
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