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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

なくなった カエルの解剖




昨日の日記 に書いた通り、
うちの少年たちは、カエル、クモ、昆虫類が大の苦手であった。


で、水田に囲まれるこの地は、当然の如くカエル天国である。


啓蟄を過ぎ、田んぼが耕され、水を張る頃になると、
カエルの声で眠れない。

そして夜も更けた頃、遠くの方で、
「んもーぅ、んもーぅ」というウシガエルの声がする。

昔は随分居たらしいが、ここ10年でも、めっきり聞かなくなってしまった。



この地への転居にあたり、心配のひとつはカエルだった。


昨日コメントいただいた、たかなさんのメッセージに、

『 カエルの大合唱のために中古住宅が大幅値下げしないと売れない 』とあった。

情けなくとも、我が子でもそうだった。 そういう時代なのである。




10年を経過し、さすがに少年たちもカエルには慣れ(慣れるしかない)、
先日、小さなアマガエルを手の上に乗せていた下の少年を見て驚いた。


かくも少年を取り巻く環境とは、凄いもの?

放っておいても子は育つ?





  ◆◆◆◆◆◆◆





さて、今春大学生となった上の少年が中学生時代、

彼が最も恐れていた、伝統のカエルの解剖のときを迎える。



うちの中学では、理科の時間に、必ずウシガエルの解剖を行っていた。

毎年、この解剖授業は、保護者をも巻き込んで多大なる悲喜劇を生むのである。



何故なら、子どもたちが解剖するウシガエルは、
解剖の日までに、子どもたちの各班で調達しないとならないからである!


田舎町故、昔は、何処にでも居たらしいのだが、
この地でも休耕田が増え、少しずつ「マチ化」していくにつれ、
さすがに近年は、めっきり数が減っている。


また、この町は、農業区ばかりではなく、
漁業区、商業区、山林区を抱えている。
そうそうウシガエルは入手できない。


夜中にウシガエルの鳴き声を聞き、だいたいのあたりをつけていても、
昼間に運良く遭遇できるかどうかは判らない。


子どもたちは、班でまとまって、
放課後・土日を駆使し、ウシガエル捕獲に駆けずり回る。

とはいえ、放課後・土日のクラブ、塾。
いまどきの子どもたちは忙しく、なかなか全員での行動はできない。


かくて、保護者をも巻き込み、当然の如く苦情も殺到し、
いつの頃からか、ウシガエル相当の大きさがあれば、
トノサマガエルでもOKということになった。



うちの上の少年も同様に、ウシガエル捕獲に毎日悩むこととなった。

最初の日は、班員全員が情報を持ち寄りって、
泥だらけの汗みずくで探し歩いたようだが、
そうそう見つかるはずもなく、翌日からは班長である上の少年ひとり。

半ベソをかきつつ、毎日カエルを探し歩いて2週間。

余りに可愛想で、私も重い腰をあげる。


灯台下暗しで、夫の実家の庭の池に、巨大なトノサマガエルが棲みついており、
最悪な場合は、そのカエルを持って行くことになって一息ついた。




結局、ウシガエルは見つからず、
その巨大トノサマガエルを持って行くこととなり、
3日間ほど、自宅玄関で飼った。

倉庫で埃を被っていた大きな水槽の出番である。

夜中になると、カエルが暴れる。
大きな水槽が動くほど、跳ねて身体をぶつけるのである。

1度、勢いで蓋を外して、出てきたので、
玄関で大騒動しながら捕まえ、また水槽にもどして、
蓋の上に大きな石を置いた。


それでもカエルは、自分の運命を諦めきれないように、
水槽のなかで大暴れをする。


我が家の少年たちは、最初は見るのも嫌がっていた。
が、夜に何度も何度もカエルが水槽に身体をぶつける音を聞き、
その音に身を竦ませながら、段々とカエルが可愛想になり、
逃がしてやりたい、と思うようになったようだった。


しかし、逃がせば、上の少年の2週間の苦労は無に帰し、
班長としての務めも全うできず、解剖学習ができない。


彼らは、相反する感情を持て余しつつ、
網を持ってハエを捕まえて来ては、
おそるおそるカエルに餌としてあげていた。



いよいよ、解剖学習の朝。


学校に持って行くために水槽を持ち上げた上の少年。
それを見上げる下の少年。

2人は声をあげて泣いた。


私まで、目頭が熱くなる。

蒼ざめた少年たちにかけてあげられる言の葉もない。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - --


その日。

帰宅し、ぼんやりした様子の少年に声をかけると、
同じ班の子がめでたくウシガエルを捕まえて来ていた、と。


 「 じゃぁ、うちのトノサマガエルは、助かったん?! 」


思わず、喜んで声をあげた私に、


 「 捕まえられなかった班があったから、その班にあげた 」


世にも暗い声で少年が言う。


 「 …んでも、たっくんがうちのカエルを解剖しなくて済んで良かったね? 」


 「 …ぅん…… 」



カエルたちは、解剖されたあと、お墓に埋められる。
骨は漂白され、黒の厚紙に、きれいに貼り付けられて骨格標本として、
文化祭で展示される。




ウシガエル解剖について、
毎年毎年、夏のPTA地区懇談会で話題にのぼる。


捕獲が大変なこと。
やっとのことで捕獲できたのに、夜に脱走され、
また探さなくてはならなかったこと。
解剖の日までの世話、特に活餌をあげるのが大変なこと。
保護者まで多大な負担である、なんとかならないのか、etc.


しかし、理科の先生の一声で、みんなの顔が笑顔に変わる。


「 子どもたちは、解剖前に自然と手を合わせます 」

「 殆どの子が涙を流します 」


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ---


私の子ども時代は、フナの解剖だった。
小学校のときか中学校のときか、記憶も定かでなく、
理科の実験室に用意されたフナを、ただ気持ち悪い、生臭い、と思いつつ、
嫌々解剖した記憶しかない。



うちの中学の子どもたちは、一生忘れられないだろう、と私は思う。

彼らは、「教材」として予め用意されたものを
機械的に解剖したのではない。

「 いのち 」を学習したのだ、と思う。

ウシガエルを捕獲するための班行動のなかで、
自主的班行動のしんどさを始め、様々なことを学び、
ウシガエルの生息地を掴むために、自分の町を識り、
地域のひとびとに聞いて回り、
ウシガエルを飼い、そして解剖した。

自分たちの手でカエルのいのちを摘み取ったことを、
決して忘れないだろう。
そして、この学習を決して、無為にはすまい、と
幼いこころに誓ったのではないだろうか。


賛否両論あるだろうが、
私は、生きた、いのちの総合学習をさせていただいた、と思う。


- - - - - - - - - - - - - - - - --


その後、理科の先生が異動となり、ウシガエルの解剖はなくなった。

下の少年に訊ねると、

 「 ○○先生は、解剖、嫌いなんだって 」

うちの中学の解剖学習は、ビデオになった。




減りつつあるうちの町のウシガエルにとっては僥倖だろう。


しかし、なんだか、途轍もなく、
大切なものを失ったような気がしてしまったのは、私だけだろうか。




      # この日記を書くきっかけとなった
         あそびすとさん にトラックバックさせていただきます。

ペン潤



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残念やのう^^
ホントニ・・・残念やぁ・・・

そう言えば、自分もカエル解剖したなぁ・・・

だけど、息子どもが解剖した話はきいとらん

残念だわぁ・・・総合学習とは、なにやっとんの?

何がゆとり教育なんじゃろのう???
[ 2005/08/04 18:40 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
私は小学校でフナの解剖はしましたけど、

「解剖」はそれっきりで、

長女の時代にはもう解剖はしなくなってました。

ビデオを見るだけ。

自分達で捕まえてきたカエルを、授業があるまでは自宅で飼い、

そして解剖する・・・

そういう過程があってこそ生きる学習ですね と、

今日の日記を読んで思いました。

そういう学習をしていたら、人に刃を向けるような人もいなくでしょうに・・・
[ 2005/08/04 19:07 ] [ 編集 ]
カエル
本当に生きた教育ですね。

いまだと面倒だから、保護者が文句を言うから・・・で、もうやらないだろうなあ。



解剖どころか実験も減ってきたという話も聞くし、面倒な授業という感じでしょうねえ。ビデオを見せるだけとはえらい違いです。



個人的にはうしがえるには散々お世話になったので半年間生理学実習のたびに1匹ずつ・・・m(__)m

挙句の果てには食べてた人もいるという・・・

えっと、話の趣旨が違いますね。



うしがえる、うちの横の川にもいるようで時々こえがします。でもあまり姿を見ないです。



それにしても先生の好き嫌いで授業は変わるんですねえ。分かっているけど実感。
[ 2005/08/04 20:56 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
つい最近までやっていたってことですよね~?



私自身やっていないのに!!

それというのも、カエルの解剖や鳥の孵化など一つ上の学年で卒倒する生徒が続出したために、幸か不幸かやったことがないのです。



昔、鶏などを家畜として飼育していた頃は、子供心に命の大切さというものを学んだと親世代からは聞いています。その頃って食べ物を粗末にすることも、思いもよらなかったような時代ですよね。



そういうことを考えると、私の世代も含めて、命の尊さを学ぶ機会は少ないといえますね。
[ 2005/08/04 21:07 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
なんだか胸がいっぱいに・・。



以前テレビで議論されていました。

自分たちで育てた鶏をつぶしていただく授業は是か非か・・。

一緒に見ていた息子は即座に「非!」と。

子どもの判断で参加か否か。

私としては、涙を流してでも、参加して欲しいけど・・。

同じく虫を触れない息子としては当然の判断か。
[ 2005/08/04 22:35 ] [ 編集 ]
Re:残念やのう^^(08/04)
ぅん>弥々さん



この解剖学習は、特別「総合学習」ではなかったんですよ。

フツーの理科の授業だった。

それでも、先生のポリシーや支える学校の姿勢があればここまでできてたんですね。



 > 残念だわぁ・・・総合学習とは、なにやっとんの?

 > 何がゆとり教育なんじゃろのう???



土日が休みになって、解剖学習はビデオです。

なんだかなぁって思っちゃっても、いいよね。。。

[ 2005/08/04 22:37 ] [ 編集 ]
今でもリアルに目に浮かぶ・・・
りうりう***さん、トラックバックありがとうございます(トラックバック初体験で、どうなっているのか興味津々でした)。



私自身が子どもの頃時分には、虫眼鏡を片手に蟻を追いかけたり(観察のためではなく、集光のためです)、わざわざ蜉蝣の幼虫の巣穴(端的に言えば、アリジゴクです)に蟻を追い込んだり、蟋蟀を捕まえては蟷螂の・・・(これ以上はやめておきます。今夜の夢にでてきそうです)。

子どもの残酷さであったと言ってしまえばそれまでですが、今考えるとなんという無体なことをしていたのだろうと、己のしてきたことを懼れています。

だから、自身の子どもたちが同じ事をすれば、つい「命を大事にしなさい」と注意したい自分がいます。

しかし、言い訳になるのかもしれないけれど、こんな経験を経てきているから、ようやく声なきものの声に心が痛む思いをする想像力を得ることが出来たのかもしれません。

だから、子どもたちの残虐行為を安易に「禁止事項」にすることに躊躇いを感じます。

「ダメ!」というルールから子どもが習得できることというのは限られていると感じるからです。



本題。

誰かが用意してくれた実験台を解剖することと、自分たちが自然界から預かった命を、自分たちの手で絶つことには大きな違いがありますね。



前者は、かいちょーさんの言葉をお借りすれば「消費」です。ビデオ学習となれば、それはもう消費以前。授業でそれっぽっちの知識を与えることが目的なら、解剖を取り扱う必要なんてありません。魚の捌き方を調理実習で学習する方がよっぽど意味があります。



命をお預かりする。そうした経験を積む機会が、遊びの中でも、教育の中でも失われつつあることは、本当に憂うべき事であると思います。

こうした経験が出来た息子さん達、本当に貴重な体験をされましたね。
[ 2005/08/04 22:51 ] [ 編集 ]
どんな授業でも>_AZ_さん
_AZ_さん、コメントを有難うございました☆



ビデオ学習であっても、どんな授業でも。

学ぶ子は学ぶだろうし、その気のない子には何も残らない、のだろうとは思うのです。



んでも、今の子どもたちの皆が皆、

それだけの知的好奇心や想像力に長けている、とは私にはとても思えない。



となると、やはり、額に汗して、自らの手で何かをすることって、

文字だけ、映像だけの授業とは絶対違う、と思えてならないのですよね。

きっとこころに残るし、「何か」を学んでくれるに違いない、と思ってしまうのです。



 > そういう学習をしていたら、人に刃を向けるような人もいなくでしょうに・・・



子どもたちを導き、育もう、共に歩こう、と願う私たちは、

そういった機会をどれだけ数多く、子どもたちに示してあげられるだろう、、、と思うとき、

日々、学校で創意工夫し、頑張ってくださってる先生方には、

無条件で全力をあげて(保護者同士、声を掛け合って)サポートしたい!と思っちゃいます。



先生方も、折々に、そんな情報発信をしていただきたいですよね。

学校と家庭(と地域)が噛み合って、健全な子どもたちが育つ、というのは、

こういう毎日のことではないのかなぁ。

[ 2005/08/04 22:59 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
たっくん、貴重な体験をなさったのですね。



娘は現在、医療系の仕事に就く勉強をしていますが、数ヶ月前に人体解剖の授業がありました。

解剖対象の内1人は二十歳の男の子だったそうです。献体は二十歳からでないと出来ませんよね。

娘も色々と感じる所があったようです。



私の通っていた高校は、(すごい昔ですが^^;)

毎年恒例「1人1匹マウス解剖実験」というのがありました。危険を察知して暴れまわるマウスを薬で眠らせて解剖しました。中にはきちんと薬が効かず、暴れまわるマウスもおりまして…

なかなか壮絶でしたが、よい経験だったと思っています。

先生イワク 「男子生徒で気分が悪くなる人は毎年数人いますが、女子生徒ではほとんどおりまん!」

あぁぁぁー―-  ナルホド…

[ 2005/08/04 23:21 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
胸が熱くなりました。子ども時代に体で覚えた感情は一生忘れないでしょうね。幸せな生徒達ですね。

私も小学校か中学でカエルとコイの解剖をやりましたが、用意されたものでした。それでもこんなに切っても切っても心臓が動いていることに驚いた記憶があります。

息子には小学生になったら魚を釣ってさばいてもらおうかな。命を食べていることを知って欲しいです。

[ 2005/08/04 23:24 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
「子どもたちは、解剖前に自然と手を合わせます」



「殆どの子が涙を流します」



胸に迫る言葉です。

確かに賛否両論ある解剖実習でしょうが、この理科の先生の言葉は真実を表現しています。

私もこんな先生に教わりたかったです。

(解剖したかったっていうわけはないけど…←根性無し)



ちなみに、うちの方もカブトムシが網戸にぶつかってくるお土地柄です。雑木林なんて入れ食いですよ。



[ 2005/08/04 23:42 ] [ 編集 ]
先生の好き嫌い
凄い教育をしていただいたと思っています>★のん★きっずさん



> いまだと面倒だから、保護者が文句を言うから・・・で、もうやらないだろうなあ。



その先生は上の少年の中2のときの担任でした。

保護者の毎年の苦情を跳ね返すだけのパワーをお持ちでしたね。

地域の「障碍」を持つ子どもたちのサークルにも精力的に参加され、

子どもたちにも人気のある情熱先生でした。



 > それにしても先生の好き嫌いで授業は変わるんですねえ。分かっているけど実感。



先生の「個性」が活かされる、んでも「手抜き」でない、

創意工夫溢れる授業にしていただきたいですよね。



特に「理科」なんて、実験や実習の楽しさなくして、どうやって「生きた学習」をするのか、

と思ってしまいます。

理科の先生方は、ご自分がその進路を選ばれた理由に、

実験や実習を通じて学んだ学習の喜びってのが、絶対あるはずだと思うのだけどなぁ。。。

[ 2005/08/05 00:08 ] [ 編集 ]
少なくとも3年前までは。
解剖経験なしですか?>♪がらがらどんさん



う"~ん。。。

「卒倒」する生徒が続出すれば、それはやっぱり見直され、なくなっていくものなのかなぁ。



うちの中学では、この理科の先生が異動されるまでだから、

3年前までは、毎年、夏休み明けから解剖シーズン?でした。

捕獲期間が2週間。

この時期なら、ウシガエルの産卵も済んでいたことでしょう。



食事の前後に、何故手を合わせるか。

食物連鎖の最上位に位置する人間が、考えなくてはならないこと。



そんなようなことを、今、私たち自身がよく考え、

家庭でしっかり伝えていかねばなりませんよね。

[ 2005/08/05 00:41 ] [ 編集 ]
鶏の場合。
う"~ん、、、鶏ですか>こまま1023さん



近郊の小さな島に嫁いだ母方の姉の婚家では、鶏をたくさん飼っていました。

1年に1度、何羽かいただき、庭で父がつぶして。

首をはね、逆さにつるして血を抜き、

大きな金タライのなかに湯を張って、羽をむしっていく。。。。



見るともなく、見ていたから、

今、サバイバル状況下にあったとして、

どうしてもヤらねばならなくなったら、私でもできるでしょう。

でも、うちの少年たちにはできるハズもない。

知識も知恵もおそらく持っていない。

家庭でそこまで教えられる日常でも、ない。



それを思うと、文科省の言う、

「生きていく力」を培うことは、やはり大切だと思う。

実際にそれが行われているかどうかは別にして。



小1のとき。

小学校の校門の前で売られていた可愛いひよこが欲しくて欲しくて。

「弱いから」「世話をしきれないよ」

「すぐに死んじゃうよ」と首を縦に振らない両親に、

泣いてねだって、ついに買って貰いました。



両親は鳥かごに電球を入れ、毛布で包んで温めてくれ、

ひよこは鶏冠が出るまでに育ちました。



庭で放し飼いにして、「ピーちゃん」と呼ぶと喜んで駆け寄って来て、可愛かった。



この「ピーちゃん」を解剖は、、、、できないなぁ(涙)。



「ピーちゃん」は、或る日、ネコにヤられて亡くなりました。

ほぼ同時期に、二羽の十姉妹から十二羽に増えた十姉妹も全滅。

以来、私はネコをみると吐き気に悩まされ、蕁麻疹が出るようになり、

未だにアレルギー症状は抜けません。



だもんでブログにネコの写真を掲載されている方々のところには、

行けないでいます。。。。

ネコを愛している多くの方々、ごめんなさい(平伏)。

[ 2005/08/05 01:02 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖
 小学校のときにフナを、中学でカエルを解剖しました。いつまでも動いている心臓、電気を流すと痙攣する筋肉などに魅入られ、やがて動かなくなった心臓に確実に“何か”を学んだような気がします。



 生きることって? “残酷”って? 人間性って?



 思春期の頃、そうしたことを毎日考えていた幼い自分がいて、今の自分がいる。



 若者よ、悩み、苦しみ、善きことも悪しきことも知り、自分の中の良い心も悪い心も見つめて、大人になっていってほしい。答えはでないかもしれないけれど。



 知識をただ増やすだけなんて、つまんないじゃん。



 なーんてことを思いましたです。



[ 2005/08/05 01:28 ] [ 編集 ]
Re:鶏の場合。(08/04)
自己レス>りうりう*さん



広島時代。

近隣の大きな神社のお祭りで、やはりうちの少年たちがひよこを欲しがった。



普段、外でおねだりをして困らせる少年たちではなかったから、

余程惹かれたのだと思う。



私の脳裏には、「ピーちゃん」のことが走馬灯。

マンション生活であることが幸いし、少年たちは納得した。

私は、私の両親に深く感謝をした。



いま、この地にあって、マンションの縛りが消え、

どんな生き物でも飼いたい放題であり、

少年たちは当然の如く、犬を飼いたがった。



「世話をしきれないから」と私は首を縦に振らない。



実家で4度、犬を飼った。

たくさんの倖せを貰った。

でも、少年たちにその倖せをあげられていない。

だもんで、今の私にはペット談義はできない。。。。

[ 2005/08/05 01:30 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
>しかし、理科の先生の一声で、みんなの顔が笑顔に変わる。

「 子どもたちは、解剖前に自然と手を合わせます 」

「 殆どの子が涙を流します 」



なんか胸にぐっと来ますね。

いつも、部下にも言うんだけど「体験しろ」って。

体験は誰にも取られる事のない「財産」なんですよね。



そんな体験をさせてくれる先生。

素晴らしい先生ですね。



なんか、胸が詰まる思いだなぁ。



[ 2005/08/05 03:34 ] [ 編集 ]
魚を捌けるようになるのは、絶対必要だと思います。
あそびすとさん、いきなりのトラックバック、ご無礼致しました。

かいちょーさんとのやり取りを読ませていただき、どうしても書きたくなってしまって。

昨日の「カマキリ」は、実はこの前振りだったのです。



私たちの子ども時代より近代化され、日々の生活が豊かになるにつれ、

八百万の神々の存在感も薄れ、毎晩お灯明を掲げて仏さまの前で手を合わせる家庭も減り、

日常的に畏れ、とか懼れ、という感情を持つことが希薄になって来ましたですよね。



私たち自身がそうであるのだから、

今の子どもたちが「声なきものの声」に心を寄せる。

他者の存在様式へ想像力を働かせる、といったようなことは、

こちら側からそのように導いてあげない限り、

もはや困難なのではないか、という気がしてなりません。



>「ダメ!」というルールから子どもが習得できることというのは限られていると感じるからです。



難しいですよね。

信じ難い悲惨な事件が多々起こるのを観ますと、

今の時代、何処かで何らかの歯止めは必要な訳ですから。



ビデオ学習なら消費以前、とおっしゃるあそびすとさんのご指摘。

とても同意したい自分がいます。

少なくとも、そのビデオの前に、子どもたちに伝えて欲しいことがありますよね。



 > 授業でそれっぽっちの知識を与えることが目的なら、解剖を取り扱う必要なんてありません。魚の捌き方を調理実習で学習する方がよっぽど意味があります。



話がズレますが、魚の捌き方。

以前から、これは立派な総合学習になるじゃん、と思っていました。

少なくとも、自分たちが口にしているものが、

何処でどんな風にして収穫、捕獲されているか。

その仕事に従事されている方々のご苦労はどういったものか。

それらがどのように処理され、料理されて食卓にのぼっているのか。

もっともっと子どもたちの心に残るよう、私たち大人がしっかり伝えて行きたいですよね。

[ 2005/08/05 04:39 ] [ 編集 ]
農業体験など>りうりう*さん
都市辺縁部の学校なので、そこそこ周囲に畑があるけれど、所謂一次産業が身近である子は少ないです。畑の傍らの無人スタンドで、いつものおっちゃんが育てた野菜が買えるっていう幸せな環境ではありますが。



なもんで、こどもたちは学校農園で収穫体験です。といっても苗を植えて、収穫にいくという程度の(つまり、この間は、農家の方が面倒を見てくださる)。



以前は、米は工場で出来る!と断言した子もいたらしく、それを聞いた地区青少年対策委員が、バケツ稲の苗を配るのを恒例活動にしました(5年生の授業でもやってますが)。

バケツ稲で、水やりを怠って枯れる、やりすぎて腐る、害虫にやられる、ボウフラがわく、そんな経験を経ながら一夏すぎて、収穫できる米の貴重さと、少なさに子どもたちは驚きます。



でも、この配付時機に、「うちにはバケツがない」とか「ベランダだからダメ」とか「土がない」と堪える子どもがどんどん増えてます。つっこんで聞くと、結局、お母さんがダメだししたってことなんです。

枯れたっていいじゃん、失敗したっていいじゃん、また挑戦してごらん、今度はきっと大丈夫だから。

ね、お母さん、子どもたちと一緒に失敗して成功する経験、沢山積みましょうよ。



で、実は魚が捌けません・・・・。
[ 2005/08/05 06:43 ] [ 編集 ]
Re:農業体験など>誤字発見
「土がない」と堪える子ども → 応える子どもです。

朝から寝ぼけていてスミマセン。
[ 2005/08/05 08:33 ] [ 編集 ]
献体。
お久しぶりです☆☆>こうべのよこさん



お嬢さんは、医学部か薬学部で学んでおられるのでしょうか。

人体解剖は避けて通れない道ですよね。



私は自分の臓器は是非有効活用していただきたいと思っているけれど、

献体は(考えたことはあるのです)できないなぁ。。

やっぱりどうしても抵抗あります。。。

20歳の男の子とそのご家族の崇高なるお志し。

それはお嬢さんも想いを馳せられたことでしょうね。



よこさんの高校では、「1人1匹マウス解剖実験」ですと??

全生徒履修の「生物I」ででしょうか??

ぅぅぅ。す、凄いっ!

(で、つい、これがマウス各自調達だったら、絶対無理だよな、と不謹慎なことを連想した私)

[ 2005/08/05 09:15 ] [ 編集 ]
いのちを食べている、ということ。
ゆうやけぐもさん、メッセージ、有難うございます☆



私も本当に倖せな子どもたちだと思います。

この先生は異動後3年間(自分が接した子どもたちが居なくなるまで)、

運動会や文化祭に来て下さいました。

女子のバレー部の顧問でしたが、未だに当時の子たちは先生をお呼びして集まるそうです。



 > 息子には小学生になったら魚を釣ってさばいてもらおうかな。命を食べていることを知って欲しいです。



大賛成です^^☆

食物連鎖の最上位に位置している、ということをきちんと識って欲しいのもありますが、

パック入りの切り身魚しか知らない若者が増えているそうで、

これって、ホントにダメダメじゃん、って思います。



うちの上の少年は、高校生になってからですが、クラブの皆と魚釣りに行き、

私の母が皆に手ほどきをして、みんな達人になったそうです。

(私の母、というところがなんとも、、、orz...)

[ 2005/08/05 10:09 ] [ 編集 ]
うちの『ピーちゃん』
うちにもいました ぴーちゃん

三人兄弟なので三匹買ってもらいましたが、一匹は弟が可愛いあまり力を入れすぎて抱き圧死させてしまっい 一匹はすぐ死んで 一匹残ったのが気性の荒いオス。

母と祖母以外が近づくと威嚇してました。

あまり凶暴なので母の田舎に連れていきそこで飼ってもらいました。

『動物のお医者さん』にでてくる気の強い鶏の ヒヨちゃんを見て『おぉ~!』と懐かしくなりました。
[ 2005/08/05 11:26 ] [ 編集 ]
Re:なくなった カエルの解剖(08/04)
私もフナでした~。

かえるは上等な素材というイメージがあり、

高等な学校’(医学部とか、生物系の学部)でなければやらせてもらえないような、

崇高なものをかんじていたな~。



自分たちでつかまえたかえるを解剖する・・・

いろいろな意味で厳しいことですよね。

つかまえるも、命を絶つも・・・

でも、このかえるの命に涙した子どもたちは、

絶対にその先命を大切にする子になるんだろう・・・

子どもが大きくなっていくためには、いろいろと犠牲にしていくものがあるんだな~。

とつくづくかんじました。



よいお話を読ませていただきました。



うちのボーイスカウトの団では、鶏をつぶすというプログラムがあったのですが、

最近は、そういう目的の鶏を手にいれることができず、

やっていないかもしれません。

[ 2005/08/05 12:39 ] [ 編集 ]
自然に手を合わせる、ということ
あ~さんままさん。



>「子どもたちは、解剖前に自然と手を合わせます」

>「殆どの子が涙を流します」



先生がこの二言で全てを『良し』と思われ、押し通し続けて来られたこと。



そして、ヤマほどの愚痴や苦情を言われていた保護者が、この先生の二言で納得され、

笑顔を見せられたこと。



毎年、私はそこにも感動をして来ました。



先生もさることながら、夏休みに入ってすぐの夜。

地区懇談会に来て下さる保護者の方々は、やはり学校に対し、PTAに対し、

そして子どもたちに対して積極的で、何某かを求め、何某かを言いたい、と

集まって来られた方々です。



先生の二言がまっすぐ届く。

にっこり笑顔になる保護者。



胸が熱く、なります。



まだまだまだ。 私たちは頑張れる。

私たちは、先生と共に歩める。 子どもたちと共に学んでいける。

そんなような気がして。



だもんで、先生の異動とともに、

カエルの解剖学習が、まるでこれまでなかったかのように、

跡形もなく消えてしまったことに、私のこころが納得しないのでした。

それも「好き・嫌い」のレベルでの消滅とは。

[ 2005/08/05 17:05 ] [ 編集 ]
みんな悩んで大きくなった。
山本直純さん、、チョコレートの宣伝だったっけ>かいちょーさん



 何にも優る、豊かなこころ。

 広く、深いこころ。



情操教育の大切さを昔から説きながら、「ゆとり教育」のもたらしたもの。



「戦後教育」が全ての悪者にされちゃって、腹立だしくもあるけど、

「戦後教育」の行き着いた果てが、この「ゆとり教育」なのなら、ちょっと哀しすぎる。



な~~んて、ちょっと後ろ向きになっちゃいました。



大学制度が変わらない限り、小中高をどういじくったって、ダメでしょう、と。



二極分化が進んでいくばかり。

[ 2005/08/05 17:56 ] [ 編集 ]
素敵な先生でした。
エイクマンさん、コメントを有難うございます☆



 > 体験は誰にも取られる事のない「財産」なんですよね。



体験、によって何を学ぶかは、ひとそれぞれでしょうけれども、

体験してる のと してない のとでは大違いですよね。



強烈な何か、が自分のこころに残っていれば、

後からだって、「あぁ、これはこういうことだったんだ」と気付けたり、

整理できたり、理解したり、納得できたり、する。



どんな苦情をも、どんな批判をも、受け止め、跳ね返す。

その覚悟で解剖学習を貫き通されたこと。

必ずや子どもたちと保護者のこころに強烈な何かを残されたことと思っています。



 > そんな体験をさせてくれる先生。

 > 素晴らしい先生ですね。



こういう先生が、潰れてしまわれないよう。

こういう先生たちでいっぱいになって、

学校がはちきれんばかりのパワーでもって子どもたちを育んで下さるよう、

保護者にできることは何か、PTAでできることは何か、と考えたり致します。

[ 2005/08/05 18:04 ] [ 編集 ]
農業体験
一次産業で学ぶことは、きっとたくさんありますですね>あそびすとさん



かく言う私は結婚して、初めて稲作に従事したのですが、

(といっても農繁期だけの助っ人)あぁもう、農家の御方を無条件で尊敬しまくりました。

母方の実家は牡蠣師だったのですが、漁業の御方を無条件で尊敬しまくり。



自分で体験し、自分の胸で感じることって、やはり強烈です。



私たちが「当たり前」としている日常の蔭で、

どのような自然との闘いがあり、どのような形で「日常」を日常たらしめてくれているのか。



小学校の社会科で、自分の町探検、などを通じて、まず最初に学ぶことだとは思うのですが、

体験して初めて、自分が生かされて在る、ということ。

感謝をする、ということ。



ことさら、誰が何を言わなくても、

子どもたちがそれぞれに、自然にこころで学んでくれるような気が致しますですね。



 > で、実は魚が捌けません・・・・。



……!! (びっくり)(んでも、この場でおっしゃりにくいことでしょうに、有難うございます)

[ 2005/08/05 18:37 ] [ 編集 ]
Re:うちの『ピーちゃん』(08/04)
まぁ☆>うさとら119さん



ヒヨコの性別は鑑定士でないと判らないらしいですが、

あぁいった出店で売られているヒヨコは、まず雄だそうです。

(雌は卵を産むから、まず売りに出されない)



『動物のお医者さん』、全巻揃えておりますですよ^^☆

「ひよちゃん」、強烈でしたよね。

ドラマ化されたとき、実写化は無理でしょうに、と思いながら初回を観たら、

なかなか良くできていました(笑)。

漆原教授は誰にも演じられまい、と思っていたのに、余りにぴったりで、毎回爆笑。



うちのピーちゃんも、ひよちゃん位になってたらなぁ。

鶏冠がもうちょっとで見事になる、というところだったのです。



当時、『動物のお医者さん』が出てたら、

うさとらさんちのピーちゃん、改名されてたかな?(笑)。

[ 2005/08/05 18:44 ] [ 編集 ]
ボーイスカウト
をを>りれこさん

私はジュニア・リーダーの活動はしていましたが、

身近にはボーイスカウトがなかったので、イメージしかありません。



それは、茶色のシャツをきちんと入れてベルトをしめたキュロット丈のズボン。

帽子、バンダナといった服装に始まり、

アウト・ドアのセミプロ、団体行動のリーダーといったイメージです。



「鶏をつぶすプログラム」というのも、ふむふむ、と納得できますです。

でも今は、そういう目的で、鶏が入手できないのですね? びっくりです。



 > でも、このかえるの命に涙した子どもたちは、

 > 絶対にその先命を大切にする子になるんだろう・・・



捕獲時の班行動を共にしなかった、できなかった子どもたちは、温度差を感じることとは思います。

うちの少年があれほど泣いたのも、自分ひとりが駆けずり回ったのもあり、

3日間ではあっても自宅で飼った、からこその哀しさはあったことでしょう。



それでも、殆どの子が涙を流す。手を合わせる。



班員間で哀しみが共有できる、こころ寄せることができる、ということは

やはり大きなことであるように思えます。



うちの中学のあの先生の解剖授業は、素晴らしかった、と私は思っています。

[ 2005/08/05 18:56 ] [ 編集 ]
トラックバックを削除しました。4
(August 23, 2005 18:12:14)に、

【別冊ネットアイドル】さんのお名前(***.bbtec.net)で、

「ネットアイドルの性態」がトラックバックされました。

あまりに情けないので、削除致しました。 ご了承ください。



それにしても、挑発にすぐ乗ってくるんですね。

非常に判りやすいです(笑)。次は串を刺しますか?



『つくる会』の教科書について何か書くと、これだから(笑)。

あ?「石原」派? それは失礼。



暇で可愛想なあなたのために、削除致します。

[ 2005/08/23 19:01 ] [ 編集 ]
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