FC2ブログ

今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

続・東京杉並区の教科書採択問題について



昨日の私の日記 から多くのご意見をいただき、
私もあれやこれやとごしゃごしゃと抱え込みました。


ゆうやけぐもさんに、まとめていただいたような心地が致しましたため、
私自身の整理にもなるか、と、こちらにゆうやけぐもさんの書かれたこと。
それに対する、現在の私の状況、想いを書いてみました。


  ●が、ゆうやけぐもさんの抱かれた疑問。
  ▽が、私の現在感じていること。


【教科書のなかみと自分との関わりについて】

 ●教科書に書いてあることだけが真実ではなく、いろいろな見方がある・・・と
  いうことを教えられる親や教師はどのくらいいるのか?

   ▽私は、私を含めて残念ながら余り期待できない、と感じており、悲観的です。
    で、実は私は、中学校と高校の社会科教諭免許を持っています。

 ●教科書をたたき台にして自分の思想を伝える授業は今の学校の中で許されるのか?

   ▽うちの町では、是正指導以降は、絶対に許されませんでした。
    市制になっても期待薄。(市に異動となった教師からの話による)

 ●子どもの親が伝えて、それを教室で子どもが表明した時、
  教師を含めて回りが「そんな考えもあるよね」と思ってくれるのか?

   ▽授業中に、子どもたちが保護者の考えや想いを表明できるという、
    そんな時間を取ってくれるのか、そういう授業形態を取るゆとりが
    あるのかが既に疑問であると感じています。

【戦争について】

 ●太平洋戦争を省みて、
  日本がある時点を境に「間違った方向に行った」と仮定した場合、
  今、現在、私たちが在る状況は、その時点と似てはいないか?
   (ゆうやけぐもさんは『治安維持法』制定時点ではないか、と推測)

   ▽私自身がキナ臭い、と感じ始めたのはかなり前からですが、
    はっきりと危機感を覚えたのは、98年の文部省の広島県への是正指導から。

【NOと声をあげたい時】

 ●反対の意見を持つ人たちが一つにまとまった運動を起こせないのは何故か?

   ▽反対意見を述べるだけでも、他者からヘンに思われないか、と不安なのに、
    反対「運動」を起こす、となると、一種の「過激派」扱いされそうで
    不安であったり、非日常生活へと突入していくのではないかという不安。
    或いは何らかの立場を失うのでは、という不安からであろう、と推測します。

 ●どうしていつも「右左」の論争になってレッテルを貼られてしまうのか?

   ▽往々にして「上からの」お達しに「NO」ということそのものや、
   「運動」や行動様式に、実際に極左と呼ばれる存在が入りこんでたり
    指導していたりする場合がある(多い)。
    また、これまで、言われるままに従って来た(諦めて来た)ひとたちのなかには、
    自分の価値観を揺すぶられることが怖くて、反対意見のひとに
   「あのひとは左(だから特別なのよ)」とレッテルを貼って
    自分の価値観、自分の位置に安心したいから、だと推測します。


とりあえず、整理して考えさせていただいたように思います。
今回の杉並区の教科書採択問題には、
少なくともこれだけの論点が入り混じっていますね。
ゆうやけぐもさん、有難うございました。



ペンメモ



本日は、終戦記念日。
この戦争で亡くなられた多くの方々の犠牲のうえに
今の私たちが在ること。 決して忘れず、次代に伝えていきます。






関連記事
スポンサーサイト



自己レス
皆さんとやり取りさせていただきながら。

かいちょーさんみたいに考えると随分気持ちが楽になるなぁと。



● 教科書はひとつの道具に過ぎず、それ以上でもなくそれ以下でもない。

● 歴史教科書については、今現在の日本の政府が「正史」として位置付けたものでしかない。



それを教師も保護者もきちんと子どもたちに伝えたい。



大切なのは、時代時代の流れを見据えた、

子どもたちなりの歴史を観る目を培うための動機付けを忘れないこと。

誤った動機付けとならないよう、最大限の配慮を行うこと。



まずは、うろたえることなく、私自身がしっかり考え、踏ん張ること。

右か左か、ばかりのなかで、

『なんで、まんなかはないんだ!!』と心で叫びつつ。

[ 2005/08/16 09:31 ] [ 編集 ]
Re:続・東京杉並区の教科書採択問題について(08/15)
先日の日記へのみなさんのカキコと今日の日記を拝読させていただいたうえで。



りうりうさんの「要は、大切なのは、教科書じゃない。

教科書はひとつの道具に過ぎず、それ以上でもなくそれ以下でもない。

大切なのは、時代時代の流れを見据えた、

子どもたちなりの歴史を観る目を培うための動機付けを忘れない。 誤らない。ってことだよね。」という言葉を受けて、なんだか自分のなかでもやもやしていたものが、少し楽になったような気がします。

学ぶほうが、その学び方によって、歴史の事実と法則性と今後の展開を見誤らない力を各人が持つこと。

こういう力を育て養うのが教師や親の役割かも知れません。

ただ、まだ子どもたちが自分たちだけで、このことを習得するには無理があるから、導き手の能力というか、真価が問われるとも思います。

つまりは、教師や親の問題は大きいということです。

そして、でもだからといって、扶桑社の「新しい歴史教科書」や「新しい公民教科書」を認めるということには当然ならないわけですが。



http://www.geocities.jp/chiaki_konishiki/



[ 2005/08/16 12:31 ] [ 編集 ]
小難しい問題ですよね。
 教師をしている同級生がいますが、どこの自治体でも、「思想」を授業に反映すると、どうのこうのと難癖が付くようですね。特に社会科。

 私はそう言った思想とは全く別に、生活の中での、「感謝」とか「倹約」とか、そんな考えを子供たちに教育する事を重要案件と考えます。
[ 2005/08/16 15:49 ] [ 編集 ]
私事ですが・・・
私のごちゃごちゃした疑問を整理していただいて(笑)。



私の父は社会科の教師でした。しかも「平和運動家」。

なので、教科書や学校で教えられること(近現代史はたいていすっ飛ばされますが)やニュースで流れることと、親の考えのギャップにずいぶん悩まされました。

父の思想はともかく「運動」にはものすごく疑問も抱いていました(今も)。

で、教科書のこと。息子が歴史を学校で学ぶ年のなったら、私と父の間に起きたことを繰り返さないか・・・と個人的なことですが恐れています。

それまでに、伝えたいことは伝え、自分で考える力と習慣を身につけてくれれば、後は私の考えと違っていても、教科書に疑問を抱いていても、乗り越えて自分なりに生きていくかなぁと、こんな希望を持っています。
[ 2005/08/16 21:30 ] [ 編集 ]
Re:続・東京杉並区の教科書採択問題について(08/15)
少し遅めのレスですが・・・。

私は、扶桑社版の教科書がそんなに悪いモノだとは思っていません。

むしろ、読み応えがあり、報道されるほど戦争賛美に偏っているわけでもないと思っています。

少なくとも、日本という国を愛している人たちが作った教科書であるのは事実です。

(愛し方に偏りのあることは認めますが)



ただ、今の中学生が読むには、少し難しいかも。



南京大虐殺の事も

決して否定しているわけでなく、

死んだと言われる数などに、

色々疑問の余地があると書かれているだけだったと思います。

確かに広島では死んだと言われる方々の名前その他、ほとんど明らかになっているのに比べ、

南京大虐殺にはそのような具体的な情報が

ないのは確かだからです。



第2次世界大戦は

殆ど日本が悪くて起こったと言っているような

社会科教科書で学び、

小学高学年から朝日新聞を熟読していた

(一時期は赤旗まで読んでいた)

左翼少女だったワタクシも

オトナになってからの情報の入れ方次第では

このように変化するわけですから、

特にこのような情報化社会の今、

いかなる情報を取り入れ、選択していくかが、

一番重要なことになっていくと思っています。

先生や、教科書の言うことを無条件に信じていた

時代は、良きにつけ悪きにつけ終わっているんでしょうねえ。
[ 2005/08/17 09:03 ] [ 編集 ]
ふるさと を 愛するこころ
ふひぃ。。>ひろこ・Kさん



 > 少なくとも、日本という国を愛している人たちが作った教科書であるのは事実です。

 >(愛し方に偏りのあることは認めますが)



ぅん。。。 そこがひっかかってる私。

愛する余りに、、、という方向が怖い。(私は、ね)



誰だって、自分が生まれ、育ったふるさとを愛したい。

大事にしたい。 守りたい。

できれば誇りを持ちたい。



それは、ひととして、本当に自然な感情だと思う。



県大会なら、おらが村、おらが町の学校やチームを自然に応援するだろうし、

地方大会や全国大会なら、自分の都道府県がやはり身近で、応援するだろうし、

国際大会なら、自然に日本を応援するひとが殆どである、と思う。



んだけど、自分が今、在る土地や国に対して、

自然な感情で応援できないひとも在る、ということ。

複雑な事情、複雑な想いを抱え、今なお苦しんでいるひとも在る、ということ。



それは忘れてはいけない、と思うし、

それは何故か、ということも置き去りしてはならない、と思うし、

そこを放っぽいたままで、「国」という大きなものに対する愛、

愛国心を押し付けたり、強制したりしてはいけない、と思う。



場面場面で、私たちも子どもたちも興味をもって学び、識り、励み、

ことさら「(上から)自分の国を愛そう」などと言われなくても、

(誰もが)自然にこの国そのものを愛せるような素敵な国にしていくこと。



が、私の願いなんだけど、無理なんかなぁ。。。。



例えば、何の誤魔化しもなく真摯に頑張って頑張って。

ガラス張りの政策、それに向けての努力、実績。

丁寧な説明、呼びかけ。

ことある毎にその努力に胸つかれ、自然に頭の下がるような政治家さんたちばかりなら、

みんな意気に感じて積極的にフォローしたり、気運高まって、

自然にこの国に誇りを持てたりするんじゃないかなぁ。。。。

[ 2005/08/19 08:39 ] [ 編集 ]
申し訳ありませんが、削除させていただきました。
August 19, 2005 21:58:46 に書き込みいただいた、

タイトル 「してしてー。」の マルクス1号(*.ocn.ne.jp)さん。



内容が意味不明のうえ、ご意見でもご感想でもご批判でもないようでしたので、

勝手ながら削除させていただきました。

ご了承ください。

[ 2005/08/19 23:00 ] [ 編集 ]
トラックバックを削除しました。3
(August 23, 2005 18:12:14)に、

【別冊ネットアイドル】さんのお名前(***.bbtec.net)で、

「ネットアイドルの性態」がトラックバックされました。

あまりに情けないので、削除致しました。 ご了承ください。



それにしても、判りやすい(笑)。次は串を刺しますか?



『つくる会』の教科書について何か書くと、これだから(笑)。

あ?「石原」派? それは失礼。



暇で可愛想なあなたのために、削除致します。

[ 2005/08/23 18:58 ] [ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する