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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。





かいちょーさんの日記 に コメントしようとしたら、
例によって凄いことになったので、トラックバックさせていただきます。



8月2日、神戸市立の中学校生徒が、柔道部合宿中に熱中症で死亡した。
当時、「熱中症」への認識不足と、随分とニュースになったが、
その後、柔道部内で「体罰」が行われていたことが発覚し、別方面で騒然としている。

かいちょーさんが問題とされたのは、神戸新聞17日の記事、タイトルである。

   ( 神戸新聞 当該記事 )

       ↑ これを読んで、私は、現在、2人の顧問教師と市教委に怒髪天である。

         でも、中学校内の部活動での事件。
         報道側は、他の生徒、保護者の心情を十二分に考慮し、
         記事内容、表現には最大限の配慮が必要ではないだろうか。




実は、私自身は、「 何が何でも体罰反対! 」派 ではない。

           ( …意外? でも私はバリバリの体育系 )
           ( んでも我が子に手をあげたことは、1度もない )




私の小学校時代、廊下を走ると皆が一列に並べられ、熱血先生に
後ろから竹刀で、赤く腫れるくらいの力で脹脛を叩かれていた。

暫く歩けないほど痛かったけれど、でも、みんなこの先生が大好きだった。
いつもこの先生にもぐれついて遊んでた。


この先生は、私たちひとりひとりを愛し、
「なんでじゃ~!」と苦しみながら、
時には涙を流しながら、竹刀を振りかぶってくれていたから。

「もう、この先生を泣かさんとこう」 皆そう思い、ルールを守って行った。


就職後に、街中でばったりこの先生に出遭ったとき、
担任でもなかったこの先生が、
私の名を呼び、駆け寄って下さったときには感動した。

先生と私は、互いの近況を口早に語り合い、
その後、この先生は、
当時、私の隣家であった、彼が担任であった子の近況をお聞きになったのである。


驚くべき記憶力!
如何に、私たちひとりひとりを見つめ、心に留めていらっしゃったのかがよく判る。

この先生は、私たちの小学校には3年しかいらっしゃらなかった。
私の担任でもなかった。
が、私は、今でもこの先生の姓名を空で言えるし、
卒業20周年記念のクラス会でも、皆の話題にのぼった。


ひろ子・Kさんがめぐり逢われた、
素晴らしいバスケット部顧問の先生のイメージが、この先生ととても重なる。

↑(ひろ子・Kさんちの先生が、生徒に手をあげられる、という意味ではない。
  ひとりひとりの生徒への愛情、関わり方、という意味においてである)


時代も時代であったが、子どもたち誰一人、保護者たち誰一人、
この先生から「体罰」を受けてる、なんて思いもしなかった。



  ◆ ◆ ◆



かたや、今、私の下の少年は、
公立高バスケットクラブ顧問の先生からの
毎日の『言葉の暴力』にずたずたで、苦しんでいる。


この先生の真の意味での指導力を疑っていなければ。
この先生が、自分をそれなりに認めたうえで
「伸ばそう」と、「育てよう」と思い、願い、
そのうえで投げつけられる厳しい言の葉であるのなら。


仁は、この先生からどんなことを言われても、
例え手を挙げられても。

退学さえ考えてしまうほど苦しまないと思う。


「 思いついたことを、片っ端から、
  何も考えず 口から流れるに任せておられるようだから、
  技術上のアドバイス以外は、
  何を言われても深く考えず、その場で忘れなさい 」


と毎日、彼には言っている。

こんなことを言わねばならないのが、とても哀しく、情けない。


ペン赤カード

  


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Re:「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。(08/17)
先生の一言で今までの信頼が一気に崩れることもあるくらい、先生の言動って大事ですよね。

昔と今を簡単に比べることはできないですよね。

体罰もしつけと称する虐待も・・

これをすることがこの子のためになるって善なる気持ちでやっているとしたら・・

う~ん、考えてしまいます。

[ 2005/08/18 09:31 ] [ 編集 ]
Re:「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。(08/17)
私ももろに体育会だけど、そして体罰っていうような指導もあったけれど先生は信頼していたしそれほど苦痛でもなかった。



昨日もインターハイレベルの高校バレー部を見学していた。口では向こうの中学生が練習ならこっちはいじめだよね。なんていってたけれどその先生のボールは子供たちを伸ばすのにぎりぎりの厳しさとやさしさに溢れていたように見えた。

だったあの暑い中動き続ける選手達、しかし誰も倒れるでもなく動き続ける。

取れるぎりぎりのボール、走る選手。文句もでず、ただ信頼してただひたすらと言う言葉がとてもふさわしく、やりたいと引き込まれそうな練習だった。



厳しい指導にはその先生の人格が出ると思います。



柔道で中学生相手に落とすというのはやってはいけないこと。まずその時点で変じゃあないのかな?



先生を信頼できないって言うのは悲しいことです。

[ 2005/08/18 09:54 ] [ 編集 ]
雑感
 父親会で話をしていると、たいていのお父さん「我が子が悪いことしたら、遠慮なくぶん殴ってくださ」と言います。



 お母さんたちに話を聞くと、ほとんど「やっぱり暴力はダメ! 言えばわかります」って言います。



「お父さんにいくら『かまいません』と言われても、体罰なんて考えることもできません。もしやれば、本人の親でなく、それを見ていた子の親からジャンジャン苦情来ますしね」と先生が言います。



 わたしは、娘を一度だけ叩いたことがあります。冷静でした。とても嫌な気持ちがしました。



 熱中症による部活中の指導者管理下での死亡事故は、減らすことができると思います。熱中症についての知識を持つこと、室温を調べること、自由・強制給水をしっかり行うことなどが表面的な(けれど大切な)ことで、もっとも大事なのは個々の生徒の体調をしっかり把握することでしょう。



 でも、事故はゼロにはならないでしょう。子どもたちを見つめていない指導者はゼロじゃないから。そのとき、給水記録とか、室温のメモとか、研修を実施したこととかが、『アリバイ』に使われるでしょう。



 ……難しいです。

[ 2005/08/18 10:04 ] [ 編集 ]
Re:「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。(08/17)
マスコミはとかく事実とは異なる報道をすることが多いです。

もちろんすべてがそうではありませんが。

この亡くなられた生徒さんが、身体の不調を訴えていたということですが、それに実際はどのような対応をされたのか? もう少し早くに気がつかなかったのか? 疑問は生まれるわけですが。

やはり、事実関係を明らかにして欲しいですね。

でもそれは、また在校、在部の生徒さんたちをとても苦しめることになるでしょうから、注意深く進めて欲しいです。

私は「文科系」なので、どうもスポーツは観るだけに留まり。

中のことはよくわからないのですが、暴力はイヤですね。

ただ、りうりうさんが書かれているように、生徒を思うあまりに手が出てしまったというのは、そこに相互の信頼関係と愛情があるなら、それはありかなと思います。



http://www.geocities.jp/chiaki_konishiki/
[ 2005/08/18 10:09 ] [ 編集 ]
絞め技について>★のん★きっずさん
 いまの柔道というスポーツにおいて、絞め技は勝つための有効な戦術として認められています。特に、全国レベルの柔道部では、絞め技をマスターすること(防御法を知ることも)は必要不可欠です。

 絞め技による重大事故はゼロではありませんが、投げ技による重大事故(下半身不随など)よりもかなり少ないはずです(データ探しましたが見つかりませんでした)。



 絞め技が認められていることを「危険なので禁止すべき」という論はもちろんあるでしょう。ただ、現状で『柔道で中学生相手に落とすというのはやってはいけないこと』と言うのは、違うような気がします。



・絞め技については、相手が「参った」の合図(相手の体もしくは畳を審判に分かるように2~3回たたく)をすれば「一本」勝ちになる。

・「参った」をするかどうかは、完全に本人の自由である。

・絞め技で失神した場合は、「一本」となる。

・地方レベル、中学生以下の大会の場合、絞め技が完全に極まっていれば、安全のため、選手が「参った」をしなくても「一本」になることがある。これを「見込み一本」という。

・中学生以下は安全のため関節技・三角絞め禁止。

・小学生以下は安全のため絞め技禁止。

[ 2005/08/18 10:44 ] [ 編集 ]
Re:絞め技について>★のん★きっずさん(08/17)
かいちょー0011さん

ごめんなさい。

ただ締め技が駄目っていうことではなく・・・あ~なにを書いてもいいわけだ。

う~ん、見事にマスコミの文章にはまってしまったかな?

熱中症での死亡事故も問題だけどマスコミによる意見誘導も問題だものね。



私も指導しているのが格闘技系なので先生や先輩からの無理な指導での事故は何度も見たり聞いたりしている。あるいはそれほどでもなかったのになぜという事故も経験している。(死亡事故はまだないけれど)



本当に難しいことで指導者はどんなに警戒してもしすぎることはないと思う。一方で案外強いって言うこともあったりする。だから鍛えるためにどこまでできるのか見極めは大切だし、その教訓も真剣に先入観なしに確認して経験としなければいけないですね。



ということでまず真実と問題点、もっとはっきりさせたい。それと関係者への配慮も。



すいませんでした。
[ 2005/08/18 12:21 ] [ 編集 ]
Re:「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。(08/17)
久しぶりにトラックバックさせていただきました。

へへへへ。手えでますよ。ウチの顧問。

前の中学は荒れてたんで、もっとばしばし行ってたみたいですが。



でも、凄くしめつけ、きつくて・・・。

特にお上品なウチの中学は

何か言うとすぐ教育委員会って保護者も多く。

特に、クラブ以外の所では我慢されてます。



でも、この間、例のキャプテン君が兄貴にやられたときは

ごっついいきおいで、壁にぐりぐり・・・だったようですわ。

やるときゃやらんとね。

その気合いが子どもたちにも通じるのでしょう。



でも、誰でも何でもたたいて良いと言うことではないですよ。

おわかりだとは思いますが。
[ 2005/08/18 15:58 ] [ 編集 ]
発し手 と 受け手 の 信頼関係
bamukero3さん、先生の一言ってホント大きいですよね。

私が教師になることから逃げたのは、それが怖かったから、と言っても過言ではないです。。。



昔と今を簡単に比べることはできないけれど、

先生と子どもたちの間の信頼関係のなかみって、

そんなに変質したとは思えない(思いたくない)私がおります。



 > 体罰もしつけと称する虐待も・・

 > これをすることがこの子のためになるって善なる気持ちでやっているとしたら・・

 > う~ん、考えてしまいます。



幾ら、発し手の大人が溢れんばかりの愛を注いでも、

受け手の子どもたちに伝わらなければ、

それは子どもたちにとっては虐待やいじめにしかならない訳で、

まずは、大人が、真意を伝えるように努力しないといけないよなぁ、、と思ったことでした。



「先生」というだけで、無条件に慕って貰えるような世の中ではないですもんね。

[ 2005/08/18 16:21 ] [ 編集 ]
体育会系クラブの体罰、いじめ、シゴキの違い
これって、区別するの難しいですよね>★のん★きっずさん



試合に負けたから、明日は練習前にグランド20周、とかいうのは、普通にあるし。



私が「体罰」で連想しちゃうのは、生徒の身体にトレーニングの形でない、

直接なんらかの形で痛みを与えるもの。という感じ。



私の中学のときのバレー部は、遅刻したら、2時間正座

だったりした。

↑ これは、体罰に等しい、と私は思ってる。

んで、うちのクラス担任は熱心な先生で、帰りのHRがやたら長かったから、毎日遅刻。

お蔭で、怖い2年生にすっかり目をつけられ、

クラブ前のネット張りとかボールの用意ができないので、同級生からも非難され、悲しかったなぁ。



ともあれ、見惚れるようなハイレベルのバレーの練習。

見てて気持ちがいいでしょ?



そのなかで、

 > その先生のボールは子供たちを伸ばすのにぎりぎりの厳しさとやさしさに溢れていたように見えた。



いいなぁ。

私はこの地のママさんバレーボールのチームに所属して、

初めてそういうコーチ、監督にめぐり逢いました。



そうすると、涙が出るような厳しい練習も、吐きそうになるような苦しい練習も頑張れるし、

みんなとボールを繋げていくことが楽しいし、

結果、強いし、チーム内の人間関係もとても良好で、

良い方へ良い方へと有機的に繋がって行くんですよね。



個人競技と団体競技とではまた違う、とは思うのですが、

基本的に、私は、シゴキのためのシゴキは却下したい。

技術面であれ精神面であれ、

やはり「この子を伸ばそう」「育てよう」という想いが、根幹に常に在って欲しい、と願います。

そして指導者のその想いが、折に触れて子どもたちに伝わる努力をして欲しいと。

[ 2005/08/18 17:31 ] [ 編集 ]
Re:雑感(08/17)
確かに>かいちょーさん

PTAの懇談会、懇親会などで、おとうさん方が必ずおっしゃるのは、



 > 「我が子が悪いことしたら、遠慮なくぶん殴ってください」



おかあさん方は、「先生、(私が言うても聞かんけん)

もっと厳しゅう怒って下さいやぁ」とおっしゃいます。



んで、私はそれを横で聞きつつ、つい、お子たちの顔を思い浮かべ、

『まず、自分んちでそれをヤれよぉ』と思ってしまうのでした。



先生方は、おとうさん方には

「手を出す、となると、いまどきは『体罰教師』ということになってしまいますから」

おかあさん方には、

「気付いたときにすぐ叱るようにはしているのですが、

なかなか難しいんですよ。

 至りませんで申し訳ありません」。



子どもたちに「手を出す」ということは、

自分の職を投げ打ってでも、この子と向き合おう!という

不退転の覚悟が必要とされるもののように感じています。

我が子にもなかなか出来ないことですもんね。



> もっとも大事なのは個々の生徒の体調をしっかり把握することでしょう。



結局、ここから始まり、ここに尽きる、ような気がしています。

熱中症、その他、部活動に関連してくる不慮の事故防止のための学習、備えは勿論ですが。



個々の生徒の体調をきちんと把握するためには、数字だけでなく、

その子その子の顔色、表情も観ることが必要でしょう。



以前の「褒めるか、叱るか」の議論にもリンクしていくと思うのですが、

個々の子どもたちをしっかり【観て】、

褒めて育てる、あるいは叱って育てる。

【観ている】ということを折に触れて伝える。



まずは、信頼関係を築く努力。

小中学校での先生による指導の根底には、必ずこれがあって欲しい、と願います。



こうした先生方のご努力は、決して無駄にはならないと。

必ず、意気に感じて喰らいついてくる子どもたちは絶対多いはずだと信じています。

[ 2005/08/18 18:12 ] [ 編集 ]
「新聞」の公共性を問いたい。。。
マスコミの代表的なものは>千愛さん

新聞・ラジオ・テレビ・雑誌・映画といったところでしょうか。

なかでも新聞(スポーツ新聞等は除く)の果たす役割って、

今もって、とても大きいものだよなぁと私は思っています。



TVやラジオのニュースのように(録画録音していれば別ですが)

流れた端から消えていくものでなく、活字となって後々まで残り、

後から上書きなどで修正はきかず、

図書館を利用すれば、誰でもすぐに参照できるものであるからです。

同じ活字でも、半ば「ゴジップ」であったりすることを承知で買い求める雑誌とは

意を異にするものでなくてはなりません。



それなのに、千愛さんが書かれたように、



 > マスコミはとかく事実とは異なる報道をすることが多いです。



ということを前提にしなくてはならないなんて、情けないことですよね。

勿論、よりセンセーショナルな見出しの方が注目され、

売れる訳ですから、マスコミばかりを責めることもできないのでしょうけれど。



だからこそ、今回のようなことが起きたとき、

私たちは鵜呑みにせず、煽られず、冷静に対処していかなければならないよなぁ、と。



かいちょーさんがおっしゃっておられましたが、私も



 > 真実を追究し、再発を防止するための報道を望みます。



です。

神戸新聞に質問メールしてみようかしらんんん。

[ 2005/08/18 19:16 ] [ 編集 ]
Re:「指導」か「体罰」かは、そこに「信頼関係・生徒への愛」があるか否か。(08/17)
 私は高校1年生の時、「音楽部(オーケストラ)」でしたが、2ndオーボエの低音のソロがうまく吹けず、指揮台の所に呼ばれ「ケツバット」を受けました。

 思い起こせばあれは体罰と言うものだったのでしょうが、別にどうも思いませんでした。指導者の先生を信頼していたし、逆に「お前なら出来るはずだ。」と言う励ましと考えたように思います。



 信頼関係。これに終始すると思います。先生の人となり、ですね。
[ 2005/08/18 19:58 ] [ 編集 ]
「やるときゃやらんとね」
ひろこ・Kさん、トラックバックを有難うございました☆☆

勝手にお名前を出してしまいましたから、驚かれたことでしょう。 失礼致しました!



実は、アップした後、

「あ、これでは、ひろ子・Kさんちの先生が【手を出す】先生だ、ということになる!」

と、慌てて、注釈を付け加えて再度訂正アップしたのですが。



 > へへへへ。手えでますよ。ウチの顧問。



注釈が要らなかっただなんて、、、(笑)。



ホント、難しいですよね。

中学ともなれば、小学校時代に比べてクラス担任としての結びつきは、

両者の努力がなければ、薄いままに過ぎていきます。



クラブ等で、子どもたちと常に共になければ、

なかなか「手ぇ出ます」は、容認されないことでしょう。



ひとりひとりの子どもたちと熱く濃い関わりを持って来られた先生だからこそ、

子どもたちに、先生の「気合い」が通じるのだと思います。



先生の熱いメッセージの受け手となる個々の子どもたちも、

「愛の拳固」でなければ、伝わらない状況にある子もいれば、

「愛の叱言」だけで十二分に伝わる子もいて。



 > でも、誰でも何でもたたいて良いと言うことではないですよ。



「やるときゃやらんとね」、というのがそれだと思います。



例えば、キャプテンのおにいさんには、そうしなければ伝わらなかった。

キャプテンを守るために、先生が、皆が、どんな想いでいるか、

おにいさんにどうあって欲しいのか、を、ストレートに伝えられたのだと思います。

[ 2005/08/18 22:57 ] [ 編集 ]
「やるときゃやらんとね」 2
長くなってしまいました(珍しくないか)>ひろこ・Kさん





 > 何か言うとすぐ教育委員会って保護者も多く。



担任と子どもたちとの間柄でさえ、両者が求めない限り、薄いまま。

まして、先生と保護者の関係は、PTAの役にでもついていなければ、

家庭訪問と成績表を貰うときだけで、終わってしまうことでしょう。

授業参観や懇親会なども欠席される保護者が殆どですから、

保護者にとって、先生の情報は、連絡文書と子どもたちとの会話でしか得られない。



それで先生を識ったり、我が子がどんな雰囲気のクラスで、どんな表情で

どんな毎日を送っているか、識ることは不可能ですよね。



少なくとも、子どもたちがまだ幼い小中学生である間は、

子どもたちと先生との信頼関係に、保護者は無関係でありたくないなぁ、と思います。



何かことが起こったとき、(起こる前ならもっと素敵)

先生と保護者が、子どもたちを育むという、ある意味同じ立場に在るものとして。

共にしっかり本質を見極め、より良い方向へ向かって、互いに語り合える間柄でいたい。



せっかく在る各校の「PTA」が、死に組織とならないよう、

その意味やら意義やらがより達成できるよう、

それぞれにもっともっと良い形で、みんなで手を繋いで行けたらなぁ、と思います。

[ 2005/08/18 22:59 ] [ 編集 ]
さきさんはオーボエ☆
をを☆>さきさん0208さん

高校時代、「音楽部(オーケストラ)」でいらしたんですね☆



高1の女子生徒が、指揮台で「ケツバット」!

今だったら、本当に先生との信頼関係がないと、

「セクハラ」とも絡めて問題とされたかも知れませんね。



 > 逆に「お前なら出来るはずだ。」と言う励ましと考えたように思います。



指導者である先生とクラブの皆が培って来られた信頼関係って、少々のことでは壊れない。

それを持っているか否かで、学校生活への踏ん張りは全然違うものになると思います。



この信頼関係を培うことって、子どもたちが実社会へ出たときに、

踏ん張りがきく人間となるための、1つの学習課程のような気もしています。



限りない未来への可能性を持っている子どもたち。

伸ばすも潰してしまうも、大人の言動にかかっている、とすれば、

大人の責任、ってとてもとても大きいですよね。

[ 2005/08/19 06:09 ] [ 編集 ]
トラックバックを削除しました。5
(August 23, 2005 18:12:17)に、

【別冊ネットアイドル】さんのお名前(***.bbtec.net)で、

「ネットアイドルの性態」がトラックバックされました。

あまりに情けないので、削除致しました。 ご了承ください。



まるで組織的犯行ように判りやすいですね(笑)。

次は串を刺されたらどうですか?

あ、もう刺しておられますね。



『つくる会』の教科書について何か書くと、これだから(笑)。

あ?「石原」派? それは失礼。



暇で可愛想なあなたのために、削除致します。

[ 2005/08/23 19:03 ] [ 編集 ]
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