今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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「 冥福 」 は 祈らない。







        多感な中学時代、遠藤周作氏の 『 沈黙 』と出逢い、
         「 無力なイエス 」 に 大きな衝撃を受け、
        洗礼を受けようと志した私の前に 大きく立ちはだかったのは、
        『 親鸞 』を熱心に勉学し、多数の経文をも諳んじている父であった。


           「 洗礼を受けるなら、
             まず、この父を論破し、父を超えてゆけ 」


        以来、父と格闘し、親鸞と格闘し、挙句に社会学を専攻し、
        浄土真宗本願寺派の 基幹運動 について学生時代の3年間を掛け、
        京都の本山にも学び、あくせくと卒論を仕上げた私なのである。。。



       「 その割には、『 冥福 』 という言の葉をよく使うぢゃないか 」

        、、という痛いご指摘を私書箱にお受けしたので、丸半日考えました。




        おっしゃる通り、

        真宗では、「 ご冥福をお祈り 」するのは禁忌なのである。

        それは、亡くなられた方々は、
        等しく全てお浄土へお還りになる「 佛 」であるから。

        よって「 冥途の旅 」などは存在しないし、
        「 冥界 」での「 幸福 」を祈っていただいては困る訳で。
        寧ろ、無礼に当たる言の葉であったりする。。。。



        しかし私は、信仰者ではなく、
        世の方々全てが 真宗の門徒さんではない訳で。


        ご不幸に遭遇した際に、その方々にこころ寄せ、
        こころから悼み、哀悼の意を表して下さる、その一般的な表現が、
         「 ご冥福をお祈りします 」という言の葉であるなら、

        私は有難くいただくものであるし、
        「 共通語 」として、私自身も使用して来たのだったが。



       【 無礼に想う 】 方々もいらっしゃるなら、
         今後は考えなくてはならないなぁ、と 少々反省(汗)。



?   ?   ?



       、、と、午前中にご指摘をいただいたことから、
      あれこれと想い、反省もし、煮詰まってしまい。

      午後から「 ご冥福 真宗 」でちょっとググってみる。

      この問題に引っ掛かられた方々は、多いようで、
      ずらずらとヒットするなかで、
      とあるお寺さんの、判り易く整理中、でいらっしゃるサイト を発見。


      そこには、


         人の「こころ」は目に見えません。
         言葉の違いをハッキリ区分けされているのが「日本語」なのですから、
         あなたの「 追悼の心 」に添ったふさわしい「 言葉 」や「 文章 」で、
         目に見えない「 こころ 」を「 形(言葉や文章)」にして、
         お伝えさせていただきましょう。 



      とあり、頭を殴られた心地がする。


          、、私のように、識りながら遣っていた、これが一番性質が悪い。

      そんな四角四面に考えるものでもない、と考え、
      そして、佛教やら何やらが混沌としたこの世界を 私は愛してはいても、

      「 温故知新 」 を常に意識し、言の葉をとても大事にしたい、と
      常日頃から精進しようとこころがけているハズの自分が、
      「 ひとが遣ってるから遣う 」 と安易に 「 形 」を踏襲する。
                          。。。。一番性質が悪い。。(-_-)。


      弔意を表すのに、よりふさわしい言の葉とは、以下のようなものであるようだ。


        ● 謹んで哀悼の意を表します
        ● ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します
        ● ご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます
        ● ご生前のご苦労を偲び、謹んで敬弔の意を表します
        ● ○○様のご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます
        ● ○○様のご逝去なされたと聞き、深い悲しみに沈んでおります
        ● ○○様のご逝去、衷心哀悼の極みに存じます
        ● ご遺族さまのご愁嘆いかばかりかと拝察申し上げます
        ● ご逝去の報に驚いております
          さぞかしお力をおとしでございましょう
          申しあげる言葉もございません


      う"~ん。 弔電によくある形ではあっても、
      こうした言の葉なら、あらゆる宗派を超えて、悼むこころをお伝えできる。



        そして、本日、改めて気付いたのは、
        佛教自体が、「 如何に生きるか 」 な、
        或る意味学問のようなものである、ということの再認識と、

        佛教には「 冥途 」は存在しないのであり、
        「 冥福を祈る 」言の葉は、
        真宗のみならず、良くないものである、ということである。

            ぅむむむ。 確かにそうだ。
            これは目からウロコであった。


                私書箱にメール下さった匿名さんに、こころから感謝を。
                とても勉強になりました。
                お教えいただき、有難うございましたm(__)m。



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[ 2008/10/16 00:00 ] メモ メモ ( ..)φ | TB(0) | CM(24)
Re:「 冥福 」 は 祈らない。(10/16)
これは大変勉強になりました、、、しばらく考えてみます、、、
[ 2008/10/17 22:21 ] [ 編集 ]
Re:「 冥福 」 は 祈らない。(10/16)
普通に使っていました・・・



言葉はものすごく難しいです・・・・

すみませんでした・・・・
[ 2008/10/18 06:45 ] [ 編集 ]
有難うございます☆☆
フセン王子さん、有難うございます^^*☆



 > これは大変勉強になりました、、、しばらく考えてみます、、、



私の躓きから、こうして考えていただける機会にしていただけるなんて、

とても有難く存じます^^*☆ 有難うございますm(__)m☆

[ 2008/10/18 06:53 ] [ 編集 ]
とんでもありません(滝汗)。
ひーん(;;)>やじさん上総んさん



 > 言葉はものすごく難しいです・・・・

 > すみませんでした・・・・



どうぞどうぞ、私にはお謝りにならないで下さいませ。

今回、ご指摘を受けるまで、私自身があちらこちらで、

それでもこころ込めて、遣ってきた言の葉です。

「 一般的 」に使用されている言の葉です。



ただ、私の場合は、誤りだと【 識っていて 】常套句として遣っていた。

そこが問題なのです。



私に下さいました皆様方の言の葉を、責めるものでは決してありませんですm(__)m。

[ 2008/10/18 06:58 ] [ 編集 ]
Re:「 冥福 」 は 祈らない。(10/16)
そうだったんですか・・・!

何も知りませんでした。「言葉」って難しいですね。



でも、訃報に接するとき、やはり今までの普通に遣っていた言葉が一番自分の気持ちとしっくりいってしまう。

どうしたらいいんだろ・・・う~ん、難しいっ!
[ 2008/10/18 08:22 ] [ 編集 ]
慣用用語
識っている人は、選んで使う。



もちろん識っていても、使わない場合もあるかもしれない。



仏式神式基督教式・・・・識らないことが多すぎるので。識らなくてもやっていけるので。相手がどの立場であるのかわからないので。自分がどの立場であるかもはっきりしないので。



「慣例用語」は「おたがいさま」なところで使われているかもしれませんですね。



でも、せっかくこうして知らせていただいたからには、その言葉についてもっと繊細になろうかと。



[ 2008/10/18 08:46 ] [ 編集 ]
Re:「 冥福 」 は 祈らない。
昨夜はしばし考え込んでしまいました。

知識もなければ、自分の立ち位置も曖昧な中で、

気持ちを伝えるために使っていた言葉。

他にもありそうです。

ちなみに。私自身は佛にもならず、天国にも行かず、星にも風にもならず、ただ塵となって消えていくのみと思っています。

後に残る人が悲しんでくれるなら、ただその気持ちに寄り添ってくれる人がいてくれたらありがたいと。

気づきをありがとうございます。
[ 2008/10/18 09:56 ] [ 編集 ]
「 自分の気持ち 」
とらトクさん、コメントを有難うございます^^*☆



 > でも、訃報に接するとき、やはり今までの普通に遣っていた言葉が

 > 一番自分の気持ちとしっくりいってしまう。



よーく判りますです(;;)。

私も遣って参りました言の葉ですから。



そして、それが1番だ、と思いますです。

自分の気持ちにそぐわなければ、それは「 借りてきた言の葉 」でしかありませんものね。



んでもでも。

きっと、こうした「 悲日常 」に用いる言の葉を、自分が1番に最初に遣ったのは、

それが、何処からか「 聴き覚えた 」言の葉だったり、「 学んだ言の葉 」だったり、

「 借りてきた言の葉 」だったりした、ハズ、なんですよね。



んで、面と向かってお伝えできるのなら、本当に自分のこころからの言の葉であることを、

そのまんまお伝えできるけれど、こうした場所で、「 文字だけ 」となったとき、



、、、やはり、どれほど気を付けても、過ぎることはないんだろうなぁ、、と思いましたです。。



 > どうしたらいいんだろ・・・う~ん、難しいっ!



佛事に参列する場合は、宗派は判る訳ですから、

もし真宗であったなら、「 ご冥福 」なる言の葉は遣わない方が絶対良いようです。。。

( それに、直接語るときに遣う言の葉ではないですよね )

日々、勉強ですね(;;)、私たち。

[ 2008/10/18 16:21 ] [ 編集 ]
Re:慣用用語(10/16)
あそびすとさん



 > 識っている人は、選んで使う。

 > もちろん識っていても、使わない場合もあるかもしれない。



私の場合は識ってるのに、選ばなかったんです(-_-)。

そこがほんとーにダメダメでした(悔)。



 > 仏式神式基督教式・・・・識らないことが多すぎるので。識らなくてもやっていけるので。相手がどの立場であるのかわからないので。自分がどの立場であるかもはっきりしないので。

 > 「慣例用語」は「おたがいさま」なところで使われているかもしれませんですね。



宗教って、、、そのひとそのひとのバックボーンを形成してるものだったりするので、

「 冠婚葬祭 」という 「 形 」がとても重視されるような場面では、

「 共通部分 」を探りあいながら行かなくてはならないことなのかも知れませんですね。。。



お顔の見える間柄では、きっと目くじら立てるようなことではないようなことにも思えます。



けれどそこのところが「 教義 」として絶対的に譲れないものだったりしたら、

同じ宗派の方々同士だと、マズいかも。。。(滝汗)。



 > でも、せっかくこうして知らせていただいたからには、

 > その言葉についてもっと繊細になろうかと。



有難うございますm(__;)m。 精進しなくては!>ぢぶん

[ 2008/10/18 17:04 ] [ 編集 ]
「 ただ塵となって消えていくのみ 」
く~~(汗)。>ゆうやけぐもさん



 > 昨夜はしばし考え込んでしまいました。



お付き合いいただき、有難うございますm(__)m。

私もアップするまで、かなり考えましたですぅ。



 > ちなみに。私自身は佛にもならず、天国にも行かず、星にも風にもならず、

 > ただ塵となって消えていくのみと思っています。

 > 後に残る人が悲しんでくれるなら、ただその気持ちに寄り添ってくれる人がいてくれたら

 > ありがたいと。



私も限りなくゆうやけぐもさんに近いスタンスだと思います。



私は真宗に限らず、神やら佛やら、「 宗教 」やら 「 神話 」やらに

滅茶苦茶興味を持っており、それなりに数多の書物を繙き、学んでいますが、

信仰者ではない、ので。。。



だもんで、「 ただ塵となって消えていくのみ 」と思っていますが、

気持ち的に、できれば大地に還りたい、と思っていたり、

父たちがあちらで待っててくれてる、と思っていたい。

守ってくれてる、と感じて、いたい、です。



んでもって、信仰を持っていらっしゃる方々を、その方々の想いや祈りやらを

余程 反社会的なものでなければ、否定はしない、です。



んだから、今回のご指摘をきちんと受け止めなければならない、と思いましたです。。。



 > 気づきをありがとうございます。



私の方こそ、お付き合いいただき、本当に有難うございました^^*☆

[ 2008/10/18 17:13 ] [ 編集 ]
Re:「 冥福 」 は 祈らない。(10/16)
私も今回この言葉を使ってしまった者の一人です。



当たり前と思って使っていた言葉が実は間違った使い方だったとは・・・と反省すること然りです。

言葉とはきちんと正しく使えてこそ共通のコミュニケーションツールであるのだと思います。



まだまだ勉強することは多いと知らされました。

ありがとうございます。<(_ _)>







[ 2008/10/18 20:46 ] [ 編集 ]
深いですね・・・・・
冥福とは、そういった意味だったのかぁ・・・と今更思うわたしです。



そう、無宗教な私にしてみたら、冥福と言う言葉が恐らく気持ち的にはピッタリ合いますが。それは失礼になってしまったりするんですね。





>それは、亡くなられた方々は、

>等しく全てお浄土へお還りになる「 佛 」である



素朴な疑問が・・・



真宗では

どんなに悪いことをした人でも、「 佛 」になるんですね。地獄はないの?

冥途の旅がないということは、○○回忌というのもないの?

まったく無知な自分を恥ずかしく思いました。





こうかいてからググって来ました。



実は子どもの頃から、母がある宗教に入っていたため、地獄とか、冥土の旅 成仏 などと言う言葉には慣れていたために、この即「仏」と言う感覚がなかったのですが、なるほど、何だかわかってきた気がします。今の時代この真宗が一番受け入れやすいと思いました。ちなみにうちのお墓も真宗でした。(ある意味よかったと思う私です。)



宗派の違いって面白いものですね。

少し勉強してみたくなりました。
[ 2008/10/19 02:37 ] [ 編集 ]
「 言葉とはきちんと正しく使えてこそ 」
わきさん、有難うございます。



 > 私も今回この言葉を使ってしまった者の一人です。



私に対しては、そんな風におっしゃらないで下さいね。

私は、わきさんの言の葉を、とても有難く受け止めておりますm(__)m。



 > 言葉とはきちんと正しく使えてこそ共通のコミュニケーションツールであるのだと思います。



おっしゃる通りですぅ。

私も、今回とてもそれを学ばせていただきました。



そして、何が正しくて何が正しくないのか、は、そのひとそのひと、その場その場で違う、

大事なのは当事者である自分( と相手 )、が、どう感じるか、どう受け止めているか、

ではないのか、と未だに想う(゚゜)\バキ☆ものではあるのですが、



【 正しい 】 とは、第三者的に外から観て、或いは眺めて、どうなのか、ということが、

実はとても大事だったりするのだ、と。



自分の勝手な想い込みや勝手な価値観で、言の葉に勝手な付加価値をつけても、

それは、自分だけのものであり、相手には「 正しく 」伝わらない。



また、その「 正しさ 」も時代によって変遷していくものであるから、

折々にきちんと確認し、定義し直して行かねばならないのだろう、とも。

そのために、辞書というものがちゃんとあったりするのですね。



 > まだまだ勉強することは多いと知らされました。

 > ありがとうございます。<(_ _)>



私の方こそ、です(滝汗)。 有難うございましたm(__)m。

[ 2008/10/19 10:15 ] [ 編集 ]
Re:深いですね・・・・・(10/16)
をを☆>rain27jpさん、有難うございます^^*☆

あれこれと調べていただいたのですね!



 > 実は子どもの頃から、母がある宗教に入っていたため、地獄とか、

 > 冥土の旅 成仏 などと言う言葉には慣れていたために、



今、まさしく私が夫のイエの宗派で、それに直面しています(-_-)。

そうしたものからフリーである真宗のイエから、そうしたもので雁字搦めな宗派へ、と。



何故、浄土宗から、親鸞が師の袂を分かち、真宗を興したか、切実に実感しておりますです(-_-)。



だもんで、



 > 宗派の違いって面白いものですね。



開き直って面白がろうと想うのですが、まさしく苦しめられておりますです(滝汗)。

んでも、「 冥界というのは仏教とは無縁の俗信であり、むしろ道教の、 」などと

義母に言ってみても始まりませんからね。。。。( ┬_┬)。



 > 宗派の違いって面白いものですね。

 > 少し勉強してみたくなりました。



興味深いでしょ^^*☆

是非是非、 щ(゚▽゚щ) かもーん、でございます^^*☆

[ 2008/10/19 10:31 ] [ 編集 ]
へぇ~、へぇ~、へぇ~~。。。
こんばんは。

何やら、難しいことを論じていらっしゃるなぁ。。。

でも、そうなんだ、「浄土真宗」では、「ご冥福」という言葉がないんだね。



私は、仏様がいない家で育ったため、

(父が次男で、母も次女なので、仏様の守りをしたことがない。)

こういったことは、全然、知らないです。

ただ、実家が東本願寺だということは、知っているんだけど、

りうりうさんとこと一緒なのかなぁ。。。



子どもの時に、子ども会の顧問が、地区のお坊さまだったので、

お経は、少し、諳んじることができます。



そういえば、以前、

浄土真宗では、「清めの塩」は、存在しないというようなことが、

告別式の会場に、縦看板で示してあったことがあるのだけど、

これも関係あるのかなぁ。。。

[ 2008/10/19 20:20 ] [ 編集 ]
Re:へぇ~、へぇ~、へぇ~~。。。(10/16)
関係ありますです☆>OMITAさん



 > 浄土真宗では、「清めの塩」は、存在しないというようなことが、



真宗では、死して佛に還られた訳ですから、死は【 穢れ 】ではないのです。

んだから、【 清め 】は不要なんです。



このことは、【 ご冥福 】云々よりもずっとずっと重要なことで、

これは、真宗十派、全てにおいて、絶対に守られてるハズです。



OMITAさんがご覧になった立て看板は、真宗でのご葬儀に参列された他宗派の方々が、

「 塩 」がないと不安に思われてしまうことに対しての説明のために、

立て看板をされたのだと思います。



 > ただ、実家が東本願寺だということは、知っているんだけど、

 > りうりうさんとこと一緒なのかなぁ。。。



真宗には十派あって、1番多いのが『 浄土真宗本願寺派 』。

ご本山は京都の西本願寺で、通称『 お西 』と呼んでますですね。

名前の通り、やはり西日本が中心です。



OMITAさんのご実家は、う"~ん。。。2つ考えられますです。

『 真宗大谷派( 正式には「真宗本廟」) 』で、ご本山が京都の東本願寺。

通称『 おひがしさん 』。



もしくは、'88年にここから独立された『 浄土真宗東本願寺派 』。

ご本山は、東京本願寺。



「 お東紛争 」 は、とても激しく長きに渡るもので、

当時、ずっと固唾を呑んで、注目しておりましたです。

[ 2008/10/19 20:39 ] [ 編集 ]
うちんとこは
里を離れて長い我が両親、東だっけ?西だっけ?と今もよくわからない模様。



大谷廟へ参ったことがあるというから、お東さんか?

それとも父母は東西別なのか?本人たちにわからないものは私にもわからないぞぉ。



[ 2008/10/19 21:34 ] [ 編集 ]
Re:うちんとこは(10/16)
あひゃひゃ(笑)。>あそびすとさん



 > 里を離れて長い我が両親、東だっけ?西だっけ?と今もよくわからない模様。

 > 大谷廟へ参ったことがあるというから、お東さんか?

 > それとも父母は東西別なのか?本人たちにわからないものは私にもわからないぞぉ。



そゆもん、なのかも知れませんですねー^o^;

京都以東の方々は「 おひがしさん 」が多いようでいらっしゃるのですが。



いつか便の折に、例えばお仏壇のなかの佛具の下に置かれる打敷や、

お盆のときのお墓への灯籠をチェックしてみられたら、【 紋 】が入ってるハズなので、

それで判明するかも^^*☆



あ、でも、紋のない打敷もあるし、

灯籠も、購入した地域で、一斉に押されちゃうから

アテにならないかなぁ。。。

[ 2008/10/19 21:45 ] [ 編集 ]
Re:「 冥福 」 は 祈らない。(10/16)
皆さんと同じ大変勉強になりました。



「沈黙」ワタシは高校生のときに読み、なぜか数年おきに読みたくなる本です。
[ 2008/10/20 13:38 ] [ 編集 ]
Re:「 冥福 」 は 祈らない。(10/16)
奥が深い問題です。。。

実家も嫁ぎ先も同じ宗派なので、良い面もありますが、

個人的には・・・・(爆。

[ 2008/10/20 20:27 ] [ 編集 ]
『 沈黙 』
をを☆>パクチのねぃさん



 > 皆さんと同じ大変勉強になりました。



有難うございますm(__)m☆

ほんとに、とても有難く存じますです。。。



 > 「沈黙」ワタシは高校生のときに読み、なぜか数年おきに読みたくなる本です。



をををををを!!!

私が、生まれて初めて、読了後にほうけてしまった本です。

足が震えた というか、こころが震えた、というか。

なかなか正気に戻れませんでした。



だもんで、四半世紀後の『 深い河 』を何ともいえない気持ちで読みました。



高橋和巳の『 邪宗門 』も凄かったです。

芹沢 光治良の『 人間の運命 』も凄かったです。



が、私が最初に出逢ったのは、『 沈黙 』だったんでした。。。

[ 2008/10/20 23:46 ] [ 編集 ]
「 奥が深い 」
yuinekoさん



 > 奥が深い問題です。。。



奥が深い、というか、根が深い、というか。。。



 > 実家も嫁ぎ先も同じ宗派なので、良い面もありますが、

 > 個人的には・・・・(爆。



ぃゃぃゃ、ここで「 (爆 」 を遣っちゃダメダメですぅ。



イエの宗教、そして個の信じるもの。 信じないもの。

四角四面に考えれば、本当に難しい問題だと思うです。



最近、とみに 場の「 空気を読む 」 ことが重要視されて来てますが、

この「 空気を読む 」こと = 場に同調し、「 波風を立てない 」 ことが

「 善 」とされる世界、価値観のなかに、どっぷりと私たちは在るのですよね。。。



皆で仲良く和気藹々、ということと、

個の尊重、個性の尊重、正しく理解しあう、ということとが「 = 」で結ばれる社会が、

本当の意味で成熟した社会なのだろうなぁ、、などと最近よく思っています^o^;。

[ 2008/10/21 00:00 ] [ 編集 ]
あぁ・・・なるほど。
だから「謹んで哀悼の意を表します。」という文句になるわけなんですね。

政治家の方々やTVのアナウンサーなどなど。

どの宗教にも宗派にも使える言葉。



死後は「無」と思っている私も、使ってはいけない言葉かなぁ・・・

郷に入っては郷に従うというつもりで使ってましたけど(;^_^A

だって、ご遺族が冥土では幸せにと願っているなら、ご遺族の願うようになりますようにって思うんですよね・・・

死んだら無と思っているのは私で、何が本当かは誰も知らないんだし。・・・って、

「ご自分で納得できるようにすれば良い」ですよね(^_^; (;^_^A
[ 2008/10/21 23:40 ] [ 編集 ]
Re:あぁ・・・なるほど。(10/16)
_AZ_さん



> 死後は「無」と思っている私も、使ってはいけない言葉かなぁ・・・



「 無 」と思ってらっしゃるなら、尚更のこと「 冥途の幸福 」を祈るのはヘンかも^o^;。



 > 郷に入っては郷に従うというつもりで使ってましたけど(;^_^A



私もそれに近いつもりで遣ってましたから、

「 それは違うだろ 」というご指摘が痛かったです。 ショーゲキだったです。



「 良かれ 」と勝手に想い、ぢつは、とんでもない誤ちを犯し続けてた訳で(-_-)。



 > 「ご自分で納得できるようにすれば良い」ですよね(^_^; (;^_^A



というところが、改めての結論だと思います。

「 ご冥福 」を遣う、遣わない。

おひとりおひとりが、ぃへ、私自身が、それを改めて確認できれば、

それだけの意義が在った、ってことで。

[ 2008/10/22 18:26 ] [ 編集 ]
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