なつくさや
つわものどもが
ゆめのあと
夏草や 兵どもが 夢の跡( 松尾芭蕉 )
ここ数日来、窓の外を観る度、感じる無常の風――。
うちの休耕田の西南隣の田んぼは、
田植えと稲刈りには お子さまたちが帰って来て手伝われるも、
日々の水や雑草の管理に手が回らなくなられ、
5年前には、稲と稲の間から、稲より背の高い雑草が生い茂り、
私は勿論、この地のひとびとも目にしたことがないような状態になる。
お気の毒、、というより、「 この地の恥 」的非難が蔭でなされ、
翌年から、この田んぼは、畑作を希望されるお宅へ貸し出されたのだった。
休耕田を畑としてお借りになった御方は、
農作業をこよなく愛され、朝5時から夕方6時まで。
毎日通って見事な畑とされる。
広い田んぼの隅々まで有効活用され、畦道の横にまで豆が植わる。
土を休ませることもなく、
春夏秋冬、様々な野菜、根菜を次々に栽培されていたが、
昨年より一角に蓮根畑までつくられて、仰天していた。
元々田んぼの土なので、蓮の好む泥田には適していることだろう。
早朝、目線の上に蓮の葉の波が続き、
ぽかり、ぽかりと白い蓮の花が咲いている様は、
何かしら 彼岸の彼方にこころ誘われ、
自分に還る良き時間をいただく心地がする――。
( あのトンでも、だった田んぼが、、 )なんと熱心な、なんと見事な。
この御方に、この地のひとびとは惜しみない称賛を送っていた。
ところが、この御方のつくられた無農薬、有機栽培の見事な野菜は、
通な方々に高値で取引されるような人気となり、
隣市にまで売られて行くようになる。
励みとなられたか、ますます野菜作りに没頭されるご様子に、
段々と周囲の空気が変わっていく。
曰く、金のために あそこまでせんでも。
曰く、子なしのくせに、そこまで金儲けをせんでも。
曰く、野菜しか相手にして貰えん偏屈ものぢゃけん、できること。
私は、そんな周囲の偏見、悪意がたまらず、
同様なことを口走った義母と喧嘩してしまったりの日々であったが。
半年前、晩酌後に畑をチェックに来られたその御方の軽トラが脱輪。
たまたま夫の定休日であり、義母宅へ出かけようとしていた夫が目撃し、
近隣の方々と力を合わせてお助けしたが、悪しくも外は雨。
ずぶ濡れになりながら、服もドロドロになりながら、
2時間近くかけて、ようやく軽トラを引き出したものの、外は既に夜の闇。
照れもあってか、挨拶もそうそうにその御方は帰宅された由にて、
「 飲酒運転はいかん! 」
夫は少々おかんむりであった。
以後、夫に道でばったり出逢っても、ひとこともなく、
余りに失礼じゃないか、と愚痴る夫に、
酔ってらしたし、暗かったから、
助けて下さった方々のお顔も覚えておられないのでは??と
宥めつつも、これまで好印象しか抱いていなかった御方に対し、
段々、私もおもしろくなくなって行く――。
でも、相変わらず蓮の花は綺麗で、
毎日毎日、早朝から炎天の下、畑作業に勤しまれるお姿や
2階から見える見事な野菜たちには、いつも感嘆する想いだった。
この4年。
目にしない日はなかったこの御方のお姿を見かけなくなり、
不思議に思っていたら、自宅にていきなり倒れられたのだ、と
義母からの情報が入る。
驚くまもなく訃報が入り、畑はそのまま打ち捨てられ、
奥さまと二人暮らしだと聞いていたが、
1,2度、奥さまらしき御方が、収穫に来られたものの、あとはそのまま。
あれだけ見事な野菜たちが権勢を誇り、
隅々までありとあらゆる野菜でびっちりであった肥沃な畑が、
たった2週間で、みるみる夏草が畑を覆い尽くし、
今は、雑草の合間から、蓮の花が見えるだけ、となる――。
芭蕉の句がしみじみ胸を過ぎり、
あれだけ丹精を込めて耕されていたここもまた、
「 耕作放棄地 」になっていくのか、と物悲しい。

収穫前のたくさんの夏野菜たち、
これだけの畑を置いて、急逝されたご無念を悼み、
ご冥福をお祈り申し上げます。
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