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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

▽ 『 愛国心 』 の 義務教育化?

 ▽ 『 愛国心 』 の 義務教育化?  ( 日記リンク先 : 2006/09/09 )




   教育基本法改正愛国心、でググってみると、実に21600件がヒットする。



   1番上にヒットした YAHOO!ニュース のリンク先を読むだけで、
   今現在抱えてる問題が浮き彫りにされている感がある。




   『 サンマ 』に舌鼓を打ってる かいちょーさん が、
   皆さんからのコメントへのメッセージで、

     > 学校で愛国心を教えるより、サンマ+大根おろし+醤油、
     > そしてほかほかご飯の幸せを何度も何度も味わうほうが、
     > よほど「ニッポンを愛するこころ」に目覚めるよなぁ、とか思うのでした。


   と書かれた前夜、我が家でも同じようなことが起きたので、
   深く同意し、トラックバックさせていただく。








   深夜、お風呂上りの下の少年が何気なくTVをつけたとき、
   外つ國々のシェフさんたちが集まり、
   『 日本料理のここが許せない 』というテーマで 勝手に持論を展開していた。



    曰く、「 醤油 」の味が既に許せない。
    曰く、スシネタの卵の甘さが許せない。
    曰く、そもそも、卵焼き、煮豆など、デザート紛いの甘いおかずが許せない。
    曰く、松花堂弁当に象徴される、ちょこまかちょこまかした惣菜類は、
       何がメインか判らない。 またその全てが大して美味しくもないのが許せない、等々。


   和食よりは洋食大好き。
   お寿司や丼物、天麩羅は大好きだが、煮物などには眉を曇らせ、
   侘び・寂びもの?の和食を好まない下の少年が、突然、烈火の如く怒ったので、驚いた。





     、、、どうも、それは、

     母が普段から「 醤油・味噌 」を発明した日本人を褒め称えていること。
     塩分にさえ気をつければ、和食ほど素材を大事にし、そのパワーを取り込み、
     バランスのとれた栄養食となっている食は、他にない、と言っていること。


     それに配慮したか、刷り込まれてたか、の反応であったようではあるのだが。



   自身は 日頃より 「 洋食大好き少年 」 のくせして、
   「 日本食 」を 頭からバカにされ、罵倒されたことに立腹した。
   「 和食 」の良さを識らん奴が、日本に来て、食の産業で飯を食うな、とも言った。
   「 醤油 」を判らん奴の味覚を信じない、とまで言った。


   私は、目を白黒させて彼の怒りを聞いていたのであるが、

   少年の怒りの大半は、外つ國のシェフさんたちからは
   「 互いの良さ、違い 」を認め合いながら、なお、こう思う、
   というような 他国の文化や意見をちっとも尊重していない姿勢に対して
   ぶつけられたもののように 感じながら。












   下の少年も母同様、「 愛国心 」 の強制に、強いアレルギーを持っている。

   だいたい、「 愛国心 」とは何のためのどんなようなもののことを言うのか?

   そんな定義も何もしっかりなされていないような曖昧模糊としたものを、
   いったい、どうやって子どもたちのこころに刷り込み、教育する、というのだ。

   そして、どうやって 【 評価 】 しようとするのか。

   うちの町の小中学校で行われたように、入卒式の日の丸・君が代で、
   姿勢、声の大きさ、などをチェックし、ABCで記載していくのか。

   私たちは、「 愛国のこころ 」を 形で 表明し、 評価され、
   義務として、「 愛国のこころ 」を担い、培わなくてはならないのか。


       誰だって、自分が生まれ、自分が育ったふるさとを愛したい。

       ふるさとの山、川、町並み、自分を育んでくれたひとびとの笑顔――


       余程の辛い想い出がなくば、
       それは 無条件で懐かしく、恋しく、愛しいもの ではなかろうか。


          大事にしたい。 守りたい。

          できれば、それに誇りを持ちたい。


       県大会なら、おらが村、おらが町の学校やチームを自然に応援するだろうし、
       地方大会や全国大会なら、自分の都道府県がやはり身近で、応援するだろうし、
       国際大会なら、自然に日本を応援するひとが殆どである、と思う。

       それは、強制されたからでもなく、義務だから、でもない。

       単位単位で線引きされれば、
       自然に 自らのこころの奥底から溢れ出てくるもの――
       ひと と 生まれて、抱く、本当に自然な感情だと思う。


    洋食大好き少年が、和食を貶されて怒ったのは、
    彼が、和食を身近なものとして、

    誰に言われなくとも、自分たちの「 食文化 」だと認識・自覚していたからこそ。

    自分の好き嫌いは別にしても、それに何らかの誇りを持っていたからこそ。


    「 愛国心 」 も、そんなひととしての自然な感情のものでありたい。


    そうなっていくためには、
    例えば、自分たちが今、生きて在る土地や國に対して、
    自然な感情であるはずの愛情を抱けないひとも在る、ということ。
    複雑な事情、複雑な想いを抱え、今なお苦しんでいるひとも在る、ということ。


    それを忘れてはいけない、と思うし、
    それは何故か、ということも置き去りしてはならない、と思うし、
    そこを放っぽいたままで、
    「 國 」という大きなものに対する愛、こころである 「 愛国心 」 を
    押し付けたり、強制したりしてはいけない、と思う。

    場面場面で、私たちも子どもたちも興味をもって学び、識り、励み、
    ことさら「( 上から )自分の國を愛そう」などと言われなくても、評価されなくても、
   ( 誰もが )自然にこの國そのものを愛せるような素敵な國にしていくこと。

    それが、私たちの務めである、と思うのだけれど。


       少なくとも、障害者自立支援法、介護保険法、
       長期リハビリ者切り捨て法のありさまだけみても、
       國のあからさまな弱者切り捨て姿勢に、私は、なかなか愛せそうもないが。


    ひとりひとりが、國を愛する、ということはどういうことであり、
    具体的にはどういう行為、言動をいうのか、を、
    しっかりイメージし、考え、想いを交わせるまで成熟していないと、
   『 愛国心教育 』 を義務化する、ということは、非常に危険なような気がする。








    どんな國なら「 自然に 」愛せるか?


    例えば、民草に「選挙」によって選ばれたひとたちが、
    いつもいつのときでも、國を想い、ひとりひとりの民草を想い、
    現場を飛び交い、何の誤魔化しもなく真摯に頑張って頑張って。

    ひとりでも多くの民草が倖せであるように願い、
    より良き方向と思える政策をガラス張りにし、その実現に向けて努力し。

    何故、どうして、そうしようと思うのか、
    ひとりでも多くの民草に理解して貰おうと、丁寧に説明し、
    呼びかけ、最大限努力し、積み上げていく。


    ことある毎に、
    そんな政治家さんたちの努力に胸つかれるような想いができるなら、


    私たちひとりひとり、自然に、意気に感じて
    私たちひとりひとりが、政治家さんを積極的にフォローし、
    きっと私たち同士で互いに助け合う。

    無私のこころでひたすら頑張る、そんな政治家たちが
    引っ張っていこうとするこの國に誇りを持ち、
    胸を張って愛していけるのではないか、と夢見たり、する。



  この夏休み、上の少年に、
     国家公務員になって、文科省に入り、
     潰されないようなエラいひとになって、現場に直結した教委をつくらんか、と
  冗談交じりに言ってみたら、
     文科省よりは外務省に入りたい、そして北朝鮮の実情、現状を識りたい、と抜かした。

  そして憲法を学べば学ぶほど、
  9条云々以前に真の意味での憲法の見直しが絶対に必要である、と感じている、と言った。




  ……あれこれとショックを受けつつ、
  母は母なりに懸命にまた考えるよ > 上の少年。





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タグ : 愛国心 教育基本法 義務教育 教育基本法改正 強制 和食 食育

大学考





とある私大が、東京の就職活動ツアーを企画していることに、
私が異議申し立てをしたところから、
さまざまに話題が錯綜し、現代の大学考に発展??



こちらもどうぞ、皆さまの熱いコメントにご注目を☆





 







              ▽ 『 ○○大学、東京就職活動ツアー 』 ( 2005/09/08 )


              ▽ 『 大学は 【 サービス 】 を 受けるところなのか 』 ( 2005/09/11 )


              ▽  『 大学生は、おとな or こども? 』 ( 2005/09/13 )


              ▽  『 大学考 』  ~何のために 大学 へ 行くのか~  ( 2005/09/14 )


              ▽ 『 大学へ行って良かったこと 』 ( 2007/02/11 )
                              ( 7000人の学生アンケートより )

              ▽  『 私が町立小中学校を選択したのは。 』 ( 2005/09/17 )


              ▽ 『 続 ・ 私が町立小中学校を選択したのは。』 ( 2005/09/22 )



                  ※  『 大学受験に成功すると 【 偉い 】 のか? 』 (2005/02/13 コメントなし)






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タグ : 大学 大学考 就職活動 就活 公立校 私立校 進学

[ 2005/02/01 08:53 ]   ▽ 大学考 | TB(0) | CM(0)

『 冥福 』 は 祈らない。

 

    ▽ 『 冥福 』 は 祈らない。 ( リンク先 : 2008/10/16 )





        多感な中学時代、遠藤周作氏の 『 沈黙 』と出逢い、
         「 無力なイエス 」 に 大きな衝撃を受け、
        洗礼を受けようと志した私の前に 大きく立ちはだかったのは、
        『 親鸞 』を熱心に勉学し、多数の経文をも諳んじている父であった。


           「 洗礼を受けるなら、
             まず、この父を論破し、父を超えてゆけ 」


        以来、父と格闘し、親鸞と格闘し、挙句に社会学を専攻し、
        浄土真宗本願寺派の 基幹運動 について学生時代の3年間を掛け、
        京都の本山にも学び、あくせくと卒論を仕上げた私なのである。。。



       「 その割には、『 冥福 』 という言の葉をよく使うぢゃないか 」

        、、という痛いご指摘を私書箱にお受けしたので、丸半日考えました。




        おっしゃる通り、

        真宗では、「 ご冥福をお祈り 」するのは禁忌なのである。

        それは、亡くなられた方々は、
        等しく全てお浄土へお還りになる「 佛 」であるから。

        よって「 冥途の旅 」などは存在しないし、
        「 冥界 」での「 幸福 」を祈っていただいては困る訳で。
        寧ろ、無礼に当たる言の葉であったりする。。。。



        しかし私は、信仰者ではなく、
        世の方々全てが 真宗の門徒さんではない訳で。


        ご不幸に遭遇した際に、その方々にこころ寄せ、
        こころから悼み、哀悼の意を表して下さる、その一般的な表現が、
         「 ご冥福をお祈りします 」という言の葉であるなら、

        私は有難くいただくものであるし、
        「 共通語 」として、私自身も使用して来たのだったが。



       【 無礼に想う 】 方々もいらっしゃるなら、
         今後は考えなくてはならないなぁ、と 少々反省(汗)。



◆   ◆   ◆




       、、と、午前中にご指摘をいただいたことから、
      あれこれと想い、反省もし、煮詰まってしまい。

      午後から「 ご冥福 真宗 」でちょっとググってみる。

      この問題に引っ掛かられた方々は、多いようで、
      ずらずらとヒットするなかで、
      とあるお寺さんの、判り易く整理中、でいらっしゃるサイト を発見。


      そこには、


         人の「こころ」は目に見えません。
         言葉の違いをハッキリ区分けされているのが「日本語」なのですから、
         あなたの「 追悼の心 」に添ったふさわしい「 言葉 」や「 文章 」で、
         目に見えない「 こころ 」を「 形(言葉や文章)」にして、
         お伝えさせていただきましょう。 



      とあり、頭を殴られた心地がする。


          、、私のように、識りながら遣っていた、これが一番性質が悪い。

      そんな四角四面に考えるものでもない、と考え、
      そして、佛教やら何やらが混沌としたこの世界を 私は愛してはいても、

      「 温故知新 」 を常に意識し、言の葉をとても大事にしたい、と
      常日頃から精進しようとこころがけているハズの自分が、
      「 ひとが遣ってるから遣う 」 と安易に 「 形 」を踏襲する。
                          。。。。一番性質が悪い。。(-_-)。


      弔意を表すのに、よりふさわしい言の葉とは、以下のようなものであるようだ。


        ● 謹んで哀悼の意を表します
        ● ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します
        ● ご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます
        ● ご生前のご苦労を偲び、謹んで敬弔の意を表します
        ● ○○様のご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます
        ● ○○様のご逝去なされたと聞き、深い悲しみに沈んでおります
        ● ○○様のご逝去、衷心哀悼の極みに存じます
        ● ご遺族さまのご愁嘆いかばかりかと拝察申し上げます
        ● ご逝去の報に驚いております
          さぞかしお力をおとしでございましょう
          申しあげる言葉もございません


      う"~ん。 弔電によくある形ではあっても、
      こうした言の葉なら、あらゆる宗派を超えて、悼むこころをお伝えできる。



        そして、本日、改めて気付いたのは、
        佛教自体が、「 如何に生きるか 」 な、
        或る意味学問のようなものである、ということの再認識と、

        佛教には「 冥途 」は存在しないのであり、
        「 冥福を祈る 」言の葉は、
        真宗のみならず、良くないものである、ということである。

            ぅむむむ。 確かにそうだ。
            これは目からウロコであった。


                私書箱にメール下さった匿名さんに、こころから感謝を。
                とても勉強になりました。
                お教えいただき、有難うございましたm(__)m。



メモメモ

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タグ : 冥福 お悔やみ 言の葉

「 いじめ 」 に対して、私たちのできること。

     「 いじめ 」 に対して、私たちのできること。   ( リンク先 : 2006/10/17 )




        いま、この時代に、我が子を守り、育てていくのに、
        保護者だけでは、どうしようもないことを痛感している。

        放任でなく、過保護でもなく、過干渉でもない、
        見事な適正距離を、どうやって測るというのだろう。

        そして、こと起きたとき、
        どうやってその距離を保ち続けられるというのだろう。


        親が、我が子の置かれた状況を、如何にして正確に、公平に識ることができるのか。

        識ることができたとして、子どもたちの世界の何処まで踏み込めるのか。
        直接踏み込んでいって、それが根本的な解決になるのか。
        子どもたちの間で起きた事件に対する、
        子どもたちの自己解決の力は、どのように培われるのか。


        そして、何より、親は我が子のこころの何処まで寄り添えることができるのか。


           頑張っていつかきっと乗り越えよう。
           死ぬほど辛い学校なんて、行かなくてもいい。
           いつまでも、何処までも、あなたを信じ、あなたを愛してる。
           あなたはあなたのままでいい。
           決して死なないで。


        そんなような想いを言の葉に乗せて、本当に我が子に届くのか。
        自分は、そんな関係性を我が子と築いて来たのか。。。。


        どんなに想い惑い、どんなに自問自答を繰り返しても、
        自分たちの(狭い見識の)なかでぐるぐる舞い踊っているだけ。

        我が子の事情。 ほかのお子たちの事情。 


        お子たちが遭遇する事件も、その背景も、克服しようとする力も、
        お子たちそれぞれに違う、から、本当に難しい。



ふたばふたば




           だから。


           保護者は学校へ足を運ぼう。


           忙しくても。 例え子どもたちが嫌がっても。

           参観日、懇談会、講演会、学習発表会。。。。
           機会逃さず、学校へ足を運ぼう。


           自分の眼でしっかり、我が子を観、我が子の友だちを観、
           先生を観、授業の進め方を観、
           我が子をとりまく空気を肌で識ろう。

           毎回、毎回、全保護者が学校へ足を運び、
           お子たちを学校を先生を観、三者三様の様々な情報を受け取り、
           様々な傾向、様々なシグナルに気付こう。


           そして、保護者同士が顔見知りになろう。
           懇談会やPTA活動に参画し、親しく情報交換ができるようになろう。


           先生の悲鳴を感じたら、動けるような保護者であろう。
           お子たちの悲鳴を感じたら、動けるような保護者であろう。

           それをいち早く感じられるのは、
           日頃からアンテナを張っているものだけだ。


           日頃から、口先でない、

            「 しっかり観てるよ 」
            「 応援してるよ 」
            「 愛してるよ 」

           メッセージを行動で示そう。


           それが子どもたちに伝わるだけで、随分と違うのではないだろうか。





       まだ幼い自我を振り回しているだけのお子たちの絆。
       思春期のこころ揺らぐお子たちのこころもとない絆。

       毎日毎日の日常のなかで育まれるそれ、を
       先生方には、何より大切に見守り、育んで欲しい。


       そのために、保護者は、学校へ足を運ぼう。

       保護者同士に絆を生み育て、先生方とも絆を生み育て、深めていこう。
       お子たちが、伸び伸びと健やかに育つよう。


       そのために、PTAでできること、山ほどある、と思う。
       そのための、PTAだと、私は思う。
       ここにこそ、PTAの意義も意味も在る。


       ひとりでも多くの保護者に足を運んで貰えるよう。
       そんな雰囲気づくりを、学校と共に。


       仕事を持つおかあさん方も、みんなが
       参観日や懇談会、PTA活動に参加できる職場=社会に私たちが変えていく。

       そんな決意や気概を持とう。



ふたばふたば



    
      子どもたちは、幼い自我をぶつけあいながら、社会のルールを学んでいくのであり、
      悪いことをすれば、皆から非難、批判されるだろうし、
      何かにつけて鼻持ちならなければ、皆からバッシングされたりしていくことだろう。

      でも、それは社会に出て行く前に、どういった人間であれば摩擦が起き、或いは受け入れられるか、
      身をもって識っていくひとつのプロセス。

      それを学ぶのが、同じ世代で閉じている学校だと思う。

      けれどそれが、故なき制裁であったり、集団にものを言わせた、
      「いじめ」=リンチになってしまっては絶対にならない。 



           そして何より、私たちは、【評論家】や【傍観者】であってはならない。

            【当事者】意識を持とう。





ふたば





       ● 自分のせいで、クラスメイトが転校したら。。。 ( リンク先 : 2006/12/03 )

       ● アルマイト食器考 ( リンク先 : 2006/12/04 )










ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : いじめ なすべきこと PTA いじめ問題

PTA ・ PTA ・ PTA



   毎年、春先には、日本全国のPTAで、熾烈な役員決め問題が勃発する。


   PTAは、学校のためではなく、ひとりひとりの子どもたちのため、
   ひいては保護者のために在る、と考えないと、
   何もかもが【 負担 】でしかなく、
   その全てが腹立だしく、辛くてたまらないものになってしまう。


   現在、子どもたちの登下校中にまで、いのちの危険がつきまとい、
   不審者の横行、進む小中学校の統廃合や小中一貫、
   不登校、いじめ、、、学校は、内外に問題を抱えている。


   長く役員をさせていただいてきた私も、
   いざというとき、保護者の誰もが、子どもたちのために駆けつけて来て下さるような、
   そんなイイ関係性が築けている学校であれば、
   PTAなんて、なくて構わない と思う。


   自分の子どもたちだけでなく、周りの子どもたちもしっかり観えており、
   学校の抱えている問題、先生方の直面している問題、クラスの雰囲気、課題、、、、
   それらのことを、ちゃんと把握できており、よりよい子育てに向け、
   誰もが頑張れる体制に常に在るなら、PTAなんて、必要ない、と。


   でも現実は大きく違う。


   今は、我が子に直接かかわりなくとも、
   ありとあらゆることが、いつ、どのように起きるか判らない時代に。

   自分が、一保護者としてどう動き、どう我が子(だけ)を守り抜くのか。
   タイムリーに動けるだけの情報を、自分は持ち合わせているのか。

   子どもたちがどんな表情で授業を受けているか。
   子どもたちが、どんな友だちに囲まれ、どんな笑顔をしているか。
   先生方がどんなにご努力されているか。或いは手抜きをされてるか。

   子どもたちの日々の喜び、悲しみは、何処から生じてきているものなのか。


   子どもたちのそんな姿、先生方のそんな姿をしっかり観て、識る、ということは、
   今の時代、決して「 過保護 」とかなんとかいう次元ではなく、
   学校や我が子に対する自分自身の見識を正す、理解を深める大きなチャンスであり、
   現実を観、そのなかで生き抜く力を培おうとしている子どもたちへの応援であり、
   学校や先生方に対する 「 観てるよ 」 という、
   とっても大きなメッセージ( 激励、感謝、けん制 )になる、と思っている。




   誰もが生きていくのに忙しい。
   誰もがそれぞれの事情を抱えている。

   その貴重な時間を費やすのだから、PTA活動はそれだけのものが在る、と
   そう 実感できるものでありたい。


   意味深く、意義深く、できれば楽しいものでありたい。


   そして、役員さんが流される涙は、目標に向かって頑張った、
   その達成感での感動の涙だけであって欲しい。

   役員じゃない方々が、「有難う」と役員さんを支え、助け合っていく。
   子どもたちには、そんな保護者同士の姿を見て欲しいな、と、強く願う。


   そして、そんなPTAにしていく、変えていくのは、
   私たちひとりひとりの力だと、思う。




ふたばふたば





PTA関係で、皆さんからいただいた熱いメッセージ。


ヘコんだときに、いつでもすぐ、
この熱いメッセージを読めるよう、過去の日記にリンクしました。

どんなにこころ励まされて来たことか。

今、私が ここにこうして在れるのは、こうしたページのお蔭。




どうぞ、下記のリンク先の私の日記本文より、皆さんからのコメントを是非!


たくさんのコメントをいただき、
皆さんとお話することで、随分助けていただきました。

ともすれば、孤独感でいっぱいになってしまうなか、
全国には、こんなにたくさん。
同じ想いで、頑張っておられる方々がいらっしゃるということ!(感謝)

闘ってる のは 私ひとりではないこと に
いつも こころ励まされています。





ふたばふたば




             ● PTAは本当に必要か


             ● PTA活動は賃金でクリアできるか

             ● PTA懇親会の効用?

             ● PTA活動をすることで、大切な子ども、子どもたちとの時間が置き去りにされること。


             ● 朝の旗振り当番(挨拶運動)考

             ●  新 『こども110番の家』 の旗とステッカー


             ● 幼・小・中・高それぞれのPTAへ、望ましい保護者のスタンスとは。



             ● PTA広報誌考

             ●  PTA新聞での「個人情報」の扱いについて

             ● 頑張って頑張って頑張った広報委員長さんの悲劇を 悲劇で終わらせないために。

             ● 元・文化部長さんとの邂逅

             ● 広報部長を(3年)連投する、ということ

             ● PTA広報誌考 再び



             ●  PTAバザーで役員が先に物品をゲットすることについて


             ●  『おやじの会』の意義やら意味やら考



             ● 副会長考

             ● 副会長考 再び

             ● できるひと が できる形で

             ● 続・できるひと が できる形 で

             ● PTA総会考

             ● 打ち上げ考





ふたばふたば






ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

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以心伝心幻想


      ~ 以心伝心幻想 ~




         どんなに心を尽くして、言の葉を選び、
         どんなに心を砕いて、意を尽くそうとしても、伝わらない――

         相手との会話に使用する単語の意味合いまで、
         擦り合わせが必要なのではないかと危惧する今日この頃。

         途轍もない徒労感に打ちひしがれる度に想い起こすのは、
         4年前にこの地に来られた女子大バレー部監督のお言葉。






         「 私は、3回、努力します 」


           どんな選手に対しても、私は3回努力します。
          その選手に対して時間をつくり、
          まずは選手の言い分を聴き、それからこちらの意を伝え、
          互いの意志疎通に向けて言葉の限りを尽くして努力する。

          でも私のその努力は3回まで。
          4回目はありません。
          何故なら、私には、他の選手を守る、という義務があるからです。










        この監督は 元全日本女子バレーの選手でもいらっしゃり、
        だから、という訳では 決してないのだけれど。

        その 凛とされた佇まいとともに、非常に非常に感銘を受ける。
        で、これが、私の日常生活の個々の場合、どう応用実践できるか。




       ● まずは会社で。

        【 3回 】 という回数の妥当性。
         彼(彼女)に対する、採用した側の責任。 教育する側の責任。

       ● そして、PTA活動内で。

         PTAという磁場の問題。
         私の立場、相手の立場。
  
         【 任期1年。 さまざまな事情を抱えたお母さんがくじ引きで嫌々選ばれる 】
         【 私はそんなに暇ではない、という常套句の裏にあるもの 】


         ■ PTAは、行事消化型活動でしかないのか?
         ■ PTAが、各自の目指す理想?の家庭教育に関し、
           当事者である保護者が ( 教師と ) 共に語り合い、
           実践していくためのコーディネータ的役割を担うことは不可能なのか?
           学校教育と家庭教育は連動していなければ意味がないのではなかったか。



                                ふぁいと、ふぁいと > ぢぶん!














 

ジャンル : ライフ
テーマ : 生きることは学ぶこと

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