今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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以心伝心幻想


      ~ 以心伝心幻想 ~




         どんなに心を尽くして、言の葉を選び、
         どんなに心を砕いて、意を尽くそうとしても、伝わらない――

         相手との会話に使用する単語の意味合いまで、
         擦り合わせが必要なのではないかと危惧する今日この頃。

         途轍もない徒労感に打ちひしがれる度に想い起こすのは、
         4年前にこの地に来られた女子大バレー部監督のお言葉。






         「 私は、3回、努力します 」


           どんな選手に対しても、私は3回努力します。
          その選手に対して時間をつくり、
          まずは選手の言い分を聴き、それからこちらの意を伝え、
          互いの意志疎通に向けて言葉の限りを尽くして努力する。

          でも私のその努力は3回まで。
          4回目はありません。
          何故なら、私には、他の選手を守る、という義務があるからです。










        この監督は 元全日本女子バレーの選手でもいらっしゃり、
        だから、という訳では 決してないのだけれど。

        その 凛とされた佇まいとともに、非常に非常に感銘を受ける。
        で、これが、私の日常生活の個々の場合、どう応用実践できるか。




       ● まずは会社で。

        【 3回 】 という回数の妥当性。
         彼(彼女)に対する、採用した側の責任。 教育する側の責任。

       ● そして、PTA活動内で。

         PTAという磁場の問題。
         私の立場、相手の立場。
  
         【 任期1年。 さまざまな事情を抱えたお母さんがくじ引きで嫌々選ばれる 】
         【 私はそんなに暇ではない、という常套句の裏にあるもの 】


         ■ PTAは、行事消化型活動でしかないのか?
         ■ PTAが、各自の目指す理想?の家庭教育に関し、
           当事者である保護者が ( 教師と ) 共に語り合い、
           実践していくためのコーディネータ的役割を担うことは不可能なのか?
           学校教育と家庭教育は連動していなければ意味がないのではなかったか。



                                ふぁいと、ふぁいと > ぢぶん!














 
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ジャンル : ライフ
テーマ : 生きることは学ぶこと

タグ : PTA 以心伝心 幻想 共犯幻想 八方塞

PTA ・ PTA ・ PTA



   毎年、春先には、日本全国のPTAで、熾烈な役員決め問題が勃発する。


   PTAは、学校のためではなく、ひとりひとりの子どもたちのため、
   ひいては保護者のために在る、と考えないと、
   何もかもが【 負担 】でしかなく、
   その全てが腹立だしく、辛くてたまらないものになってしまう。


   現在、子どもたちの登下校中にまで、いのちの危険がつきまとい、
   不審者の横行、進む小中学校の統廃合や小中一貫、
   不登校、いじめ、、、学校は、内外に問題を抱えている。


   長く役員をさせていただいてきた私も、
   いざというとき、保護者の誰もが、子どもたちのために駆けつけて来て下さるような、
   そんなイイ関係性が築けている学校であれば、
   PTAなんて、なくて構わない と思う。


   自分の子どもたちだけでなく、周りの子どもたちもしっかり観えており、
   学校の抱えている問題、先生方の直面している問題、クラスの雰囲気、課題、、、、
   それらのことを、ちゃんと把握できており、よりよい子育てに向け、
   誰もが頑張れる体制に常に在るなら、PTAなんて、必要ない、と。


   でも現実は大きく違う。


   今は、我が子に直接かかわりなくとも、
   ありとあらゆることが、いつ、どのように起きるか判らない時代に。

   自分が、一保護者としてどう動き、どう我が子(だけ)を守り抜くのか。
   タイムリーに動けるだけの情報を、自分は持ち合わせているのか。

   子どもたちがどんな表情で授業を受けているか。
   子どもたちが、どんな友だちに囲まれ、どんな笑顔をしているか。
   先生方がどんなにご努力されているか。或いは手抜きをされてるか。

   子どもたちの日々の喜び、悲しみは、何処から生じてきているものなのか。


   子どもたちのそんな姿、先生方のそんな姿をしっかり観て、識る、ということは、
   今の時代、決して「 過保護 」とかなんとかいう次元ではなく、
   学校や我が子に対する自分自身の見識を正す、理解を深める大きなチャンスであり、
   現実を観、そのなかで生き抜く力を培おうとしている子どもたちへの応援であり、
   学校や先生方に対する 「 観てるよ 」 という、
   とっても大きなメッセージ( 激励、感謝、けん制 )になる、と思っている。




   誰もが生きていくのに忙しい。
   誰もがそれぞれの事情を抱えている。

   その貴重な時間を費やすのだから、PTA活動はそれだけのものが在る、と
   そう 実感できるものでありたい。


   意味深く、意義深く、できれば楽しいものでありたい。


   そして、役員さんが流される涙は、目標に向かって頑張った、
   その達成感での感動の涙だけであって欲しい。

   役員じゃない方々が、「有難う」と役員さんを支え、助け合っていく。
   子どもたちには、そんな保護者同士の姿を見て欲しいな、と、強く願う。


   そして、そんなPTAにしていく、変えていくのは、
   私たちひとりひとりの力だと、思う。




ふたばふたば





PTA関係で、皆さんからいただいた熱いメッセージ。


ヘコんだときに、いつでもすぐ、
この熱いメッセージを読めるよう、過去の日記にリンクしました。

どんなにこころ励まされて来たことか。

今、私が ここにこうして在れるのは、こうしたページのお蔭。




どうぞ、下記のリンク先の私の日記本文より、皆さんからのコメントを是非!


たくさんのコメントをいただき、
皆さんとお話することで、随分助けていただきました。

ともすれば、孤独感でいっぱいになってしまうなか、
全国には、こんなにたくさん。
同じ想いで、頑張っておられる方々がいらっしゃるということ!(感謝)

闘ってる のは 私ひとりではないこと に
いつも こころ励まされています。





ふたばふたば




             ● PTAは本当に必要か


             ● PTA活動は賃金でクリアできるか

             ● PTA懇親会の効用?

             ● PTA活動をすることで、大切な子ども、子どもたちとの時間が置き去りにされること。


             ● 朝の旗振り当番(挨拶運動)考

             ●  新 『こども110番の家』 の旗とステッカー


             ● 幼・小・中・高それぞれのPTAへ、望ましい保護者のスタンスとは。



             ● PTA広報誌考

             ●  PTA新聞での「個人情報」の扱いについて

             ● 頑張って頑張って頑張った広報委員長さんの悲劇を 悲劇で終わらせないために。

             ● 元・文化部長さんとの邂逅

             ● 広報部長を(3年)連投する、ということ

             ● PTA広報誌考 再び



             ●  PTAバザーで役員が先に物品をゲットすることについて


             ●  『おやじの会』の意義やら意味やら考



             ● 副会長考

             ● 副会長考 再び

             ● できるひと が できる形で

             ● 続・できるひと が できる形 で

             ● PTA総会考

             ● 打ち上げ考





ふたばふたば






ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : PTA PTAの意義 PTAの是非 PTA役員 PTA執行部 PTA本部役員

「 いじめ 」 に対して、私たちのできること。

     「 いじめ 」 に対して、私たちのできること。   ( リンク先 : 2006/10/17 )




        いま、この時代に、我が子を守り、育てていくのに、
        保護者だけでは、どうしようもないことを痛感している。

        放任でなく、過保護でもなく、過干渉でもない、
        見事な適正距離を、どうやって測るというのだろう。

        そして、こと起きたとき、
        どうやってその距離を保ち続けられるというのだろう。


        親が、我が子の置かれた状況を、如何にして正確に、公平に識ることができるのか。

        識ることができたとして、子どもたちの世界の何処まで踏み込めるのか。
        直接踏み込んでいって、それが根本的な解決になるのか。
        子どもたちの間で起きた事件に対する、
        子どもたちの自己解決の力は、どのように培われるのか。


        そして、何より、親は我が子のこころの何処まで寄り添えることができるのか。


           頑張っていつかきっと乗り越えよう。
           死ぬほど辛い学校なんて、行かなくてもいい。
           いつまでも、何処までも、あなたを信じ、あなたを愛してる。
           あなたはあなたのままでいい。
           決して死なないで。


        そんなような想いを言の葉に乗せて、本当に我が子に届くのか。
        自分は、そんな関係性を我が子と築いて来たのか。。。。


        どんなに想い惑い、どんなに自問自答を繰り返しても、
        自分たちの(狭い見識の)なかでぐるぐる舞い踊っているだけ。

        我が子の事情。 ほかのお子たちの事情。 


        お子たちが遭遇する事件も、その背景も、克服しようとする力も、
        お子たちそれぞれに違う、から、本当に難しい。



ふたばふたば




           だから。


           保護者は学校へ足を運ぼう。


           忙しくても。 例え子どもたちが嫌がっても。

           参観日、懇談会、講演会、学習発表会。。。。
           機会逃さず、学校へ足を運ぼう。


           自分の眼でしっかり、我が子を観、我が子の友だちを観、
           先生を観、授業の進め方を観、
           我が子をとりまく空気を肌で識ろう。

           毎回、毎回、全保護者が学校へ足を運び、
           お子たちを学校を先生を観、三者三様の様々な情報を受け取り、
           様々な傾向、様々なシグナルに気付こう。


           そして、保護者同士が顔見知りになろう。
           懇談会やPTA活動に参画し、親しく情報交換ができるようになろう。


           先生の悲鳴を感じたら、動けるような保護者であろう。
           お子たちの悲鳴を感じたら、動けるような保護者であろう。

           それをいち早く感じられるのは、
           日頃からアンテナを張っているものだけだ。


           日頃から、口先でない、

            「 しっかり観てるよ 」
            「 応援してるよ 」
            「 愛してるよ 」

           メッセージを行動で示そう。


           それが子どもたちに伝わるだけで、随分と違うのではないだろうか。





       まだ幼い自我を振り回しているだけのお子たちの絆。
       思春期のこころ揺らぐお子たちのこころもとない絆。

       毎日毎日の日常のなかで育まれるそれ、を
       先生方には、何より大切に見守り、育んで欲しい。


       そのために、保護者は、学校へ足を運ぼう。

       保護者同士に絆を生み育て、先生方とも絆を生み育て、深めていこう。
       お子たちが、伸び伸びと健やかに育つよう。


       そのために、PTAでできること、山ほどある、と思う。
       そのための、PTAだと、私は思う。
       ここにこそ、PTAの意義も意味も在る。


       ひとりでも多くの保護者に足を運んで貰えるよう。
       そんな雰囲気づくりを、学校と共に。


       仕事を持つおかあさん方も、みんなが
       参観日や懇談会、PTA活動に参加できる職場=社会に私たちが変えていく。

       そんな決意や気概を持とう。



ふたばふたば



    
      子どもたちは、幼い自我をぶつけあいながら、社会のルールを学んでいくのであり、
      悪いことをすれば、皆から非難、批判されるだろうし、
      何かにつけて鼻持ちならなければ、皆からバッシングされたりしていくことだろう。

      でも、それは社会に出て行く前に、どういった人間であれば摩擦が起き、或いは受け入れられるか、
      身をもって識っていくひとつのプロセス。

      それを学ぶのが、同じ世代で閉じている学校だと思う。

      けれどそれが、故なき制裁であったり、集団にものを言わせた、
      「いじめ」=リンチになってしまっては絶対にならない。 



           そして何より、私たちは、【評論家】や【傍観者】であってはならない。

            【当事者】意識を持とう。





ふたば





       ● 自分のせいで、クラスメイトが転校したら。。。 ( リンク先 : 2006/12/03 )

       ● アルマイト食器考 ( リンク先 : 2006/12/04 )










ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : いじめ なすべきこと PTA いじめ問題



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