今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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『 TINY DROPS 』






   6日。


   クラブバレーの友人より電話。

   1番の長であるチームメイトの お嬢さんが亡くなられたと――。


     元気いっぱいの 絵に描いたようなバリバリの
     美貌の キャリア・ハンサム・ウーマンで、
     風邪ひとつ ひかない、お医者さん識らずなお嬢さんであったのに、
     突然発病され、まさかに 悲報を耳にすることになろうとは。


      しかも、この日は、お嬢さんの誕生日。


     駆け付けた お通夜会場の帳場の前に
     闘病中のお嬢さんを励ますため、この日に合わせ、
     「 お誕生日おめでとう! 」 の大きな文字、
     誕生から 節目節目に 撮られて来た 写真たち、
     近しい方々の寄せ書き が、何枚もの模造紙いっぱいに躍っており、

     たまらず 号泣してしまったところに
     会場から 流れて来たのは、お嬢さんの大好きだった B’z


       B’zは、うちの少年たちも 中高時代にハマり、
       お蔭で 私も、すっかり 稲葉氏のルックスに ヤられてしまったものだったが、

       人生の旅を終え、生まれた場所に還る大切なひとに送る、
       こんな哀しい、こんな優しい曲を 不覚にも識らなかった――



     
   『 TINY DROPS 』   作詞 稲葉浩志







        大切なひとに、ありがとう と 伝え
        いつか 僕も、 いつか 皆も、 そこに 往くから。

          その日までの、さよなら
          ほんのつかの間の、さよなら と。


               なにものにも代え難い、
               愛しい我が子を見送らねばならない貴女に
               かける言の葉は 到底見つからず。

               ただ手を取り ただ傍に寄り添うことしかできないけれど。

               BGMに この曲を選び、ずっと聴き続ける貴女に想う。


               今は 胸に刺さる この 曲が

                  また 逢える。
                     きっと 逢える。
                  その日までの束の間のさようならであり、
                  永遠の別れではないのだ、と。
        
                  その日まで 歯を食い縛って頑張れる、 
                  よすがのひとつに どうぞなりますように、と。



                          こころより 哀悼の 誠を捧げます。




 
泣

… 小さなしずくとは。
いのち そのもの、であり、  流れる涙、 でもあるのですね。


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ジャンル : ライフ
テーマ : 生き方

タグ : 訃報 逆縁 通夜 葬儀 B’z TINY DROPS 稲葉浩志

[ 2011/11/06 23:29 ] 徒然草 | TB(0) | CM(0)

『 死にざま 』  ~ 義父の通夜の席で ~




長い長い読経のあとの、お坊さまのお説教のなかで。

こころにざらっと。

途轍もない違和感を覚えてしまった部分 を 忘れないために記す。



お坊さまは、私より、ひとつ歳下でいらっしゃる。
ほんの一月足らず前に、お仏壇を新しくし、
入佛式 を執り行っていただいたときに、親しくお話をしたばかり。

幼少時より、両足に麻痺を起こしておられ、
何処へ行かれるにも、二本の杖にすがりながら、
たくさんの荷物を抱えてご自身で歩んで来られる。

畳のうえでは、足を投げ出して座られ、
座ったまま、後ろ向きに、両手でご自分の身体を滑らせて移動される。


それは、外で使用している二本の杖を
そのまま屋内で使う訳に行かないと思われ、
そのようにされていたことに後で気付いた。


腕で自分を運んでいらっしゃるため、
両腕と胸筋を鍛えておられるのがよく判る。

お声は腹から出される良いお声で、迫力がある。
心身共にとても修行なされていることが、言の葉の端々に窺える。


要所要所は、とても深く感じ入り、
唸ってしまう部分もあるのだが、
肝心要の部分が、私には、どうしても承服し難い。

単なる私の思い上がり、だとは思えない。

ひとの思想のバックボーンを司る、
宗教とは、恐ろしいものだと改めて思う。

同じ仏教であり、ほんの僅かの宗派の違いであっても、
その「違い」が、「それはそれ、これはこれ」と互いに尊重し合えない。
看過出来ない根本の部分だったりするのだから、始末に終えない。


まさに、改めて。
世界各地の「宗教戦争」の根の深さ、終わりのなさに想いをはせる。

まして共に「聖地」とされた場所をめぐっての戦争たるや。



  ◆  ◆  ◆



義父の通夜の席で。


以下は、お坊さまの話の違和感ではなく、目からウロコだった部分。



    昨今、「 生きざま 」という言葉が、好んで遣われているようだ。

    しかし私には、そのひと本人が 「 自分の生きざまを賭けて 云々 」と
    語ることは、非常におこがましいように感じている。

    それは違う。 単なる粋がり、カッコづけだと思う。


    そのひとの「 生きざま 」が、どんなものであったか、
    如実に証明するのは、そのひとの「 死にざま 」である。


    どんな死に方をしたか、どんな通夜で、葬式であったか。
    その席に集まったひとびとの顔ぶれ、態度、会話。

    それらのものが、そのひとの「 生きざま 」を証明するのである。





そこからお坊さまのお話は、「因果応報」についてだった。

   (結局、義父と通夜の席に集った方々を褒め称えて下さった訳だけど、
    なんだか非常に居心地悪し)


ペン問




ジャンル : ライフ
テーマ : 生きるということ

タグ : 生きざま 死にざま 通夜 説教 僧侶 お坊さん 仏教 宗派 法会

[ 2005/11/13 00:00 ] 徒然草 | TB(0) | CM(13)


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