今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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出雲大社の御札。



   ぴんぽ~ん。



   ドアを開けると、お歳の頃は70代。
   神官の服装をした御方が姿勢正しく立っておられた。


      「 まぁ、もぉ、1年経ったんですね!!
        お元気でいらっしゃいましたか 」


   思わず言の葉が勝手にこぼれ出してくる。


tree



   この地に転居して初めての晩秋に、
   チャイムが鳴って玄関を開けた時に、神官さんが立ってらしたのには驚いた。


   木枯らしがびゅーびゅー吹き荒れる日で、
   神官さんのご衣装が、なんとも寒々しく目に痛かったが、
   背筋がぴんと伸びられて、こちらまで衿を正すような心地がした。

   出雲からお越しで、毎年、お札を配って歩いている、と言う。

   広島時代はマンションだったからか、こうした出逢いはなかった。
   初めての経験である。


       かつて日本史を学んだものとして。
       日本史の教諭になろうと、少しでも考えたものとして。

       出雲の國。 出雲大社にはまた格別な想いがある。
       大学時代、松江に住む叔母宅を宿に、3日通った。
 

   一瞬迷ったが、その御方の佇まい、物腰に御札をいただくことにした。


   御札をいただき、お金をお渡しすると、
   その場で領収を切られ、翌年の出雲本暦をいただいた。

   辞されるとき、「 どうぞ、来年も皆さま、お倖せに 」とおっしゃられ、
   思わず、涙がこぼれた自分に驚いた。


   3月。 私の誕生日に同居の形で転居し、8月末に新居が完成して入居。

   新居が完成して、義父母の家を出ることができて嬉しかったのはその夜だけ。
   翌日から、ちっとも「別居」になってないことに気付く。

   この地の「嫁」として恥ずかしくないようしっかり私を育てようとする義母。

   異邦人を観る、地域の方々の監視のような視線に疲れ果て。
   毎晩、広島恋しさに声を出さずに泣いている上の少年にこころ痛め。

   毎日毎日。 農村での暮らしに、私は疲れ果てていた。


      義父母に良かれ、という一念で転居して来たが、
      私はちっとも倖せぢゃない。
      上の少年もちっとも倖せぢゃない。
      また来年も、これまでと同じ日々が続く。

      もぉ、イヤだ。 私は ここ から逃れたい!!!



  「 どうぞ お倖せに 」 とおっしゃられた途端に涙を滴らせた私に、

    神官さんは、
       「 おゃ、神さまが泣いていらっしゃるのですね 」
    なんとも言えないお顔でにっこりされ、
       「 どうぞどうぞ、お倖せに 」
    もう一度、そうおっしゃって、ぴしっと美しい一礼をされ踵を返された。



    その毅然とした佇まいに、暫し自分も玄関へ立ち尽くし、
    神官さんの背中が見えなくなるまで、見つめてしまっていた。

     「 倖せ 」 という言の葉があることを、
     私は、転居以来、忘れていた。

     私は、ずっとずっと辛くて、不幸で、悲しかった。

     でもそれは、どうしてなのか。
     このまま、死ぬまで、私はそう思いながら生きていくのか。

     目が醒めた瞬間だったように思う。




    以来、この神官さんがお越しになる度、
    また、1年経った、もぉ1年経った、と思わせていただいている。


    一昨年、領収を書こうとされたときに、
    神官さんのボールペンが、折れてしまった。

    「 あ! 」 とふたりで声を上げ、
    私は玄関前に常備しているボールペンをお渡しし、

    「 どうぞそのまま、お持ち下さい。
      こういうときのために何本も用意しているのです 」 と差し上げた。

    「 本当によろしいのですか? 」

    と、恐縮され、何度も御礼をおっしゃられ、
    最後に、いつもの、
    「 どうぞ、お倖せに 」とおっしゃって辞されたのだったが。


    昨年。
    いつものように御札をいただき、神官さんが領収を書かれたとき。


    「 奥さま。 覚えていらっしゃいますか。
      昨年、お心遣いをいただき、大変に助かりました。
      帰って報告致しまして、皆で慶ばせていただきました。

      今年は、ペンの御礼に、お神酒をお持ち致しました。
      どうぞご笑納下さい 」


    驚いた。
    1年前のことである。
    それが有難い御神酒となって戻って来た。

      『出雲大社御神酒』と筆で書かれた白い箱。

    畏れ多くて、そのままずっと飾っている。

    お正月に、義父の忌明けも兼ね、このお神酒をいただこうかな。。。。。
  




    近所に大きな由緒ある(らしい)神社が在るが、
    そのていたらくは、何度も記した通り

    この地の私にとっては、この神官さんに玄関先でほんの数分お逢いするのが、
    こころのお宮参り、のような気がしている。



       相変わらず、美しい佇まいの神官さんだが、やはりお歳を召された気がする。
       あの薄物のご衣裳でも、平気なお顔をしていらっしゃるのは、
       日頃のご鍛錬の賜物なのだろうか。

         「 また来年もお目に掛かります。 どうぞお倖せに 」

       そうおっしゃられたとき、つい、

         「 はぃ、お待ちしております。 どうぞお元気で 」 と言ってしまった。

       深く頭を下げられたが、ちらりと笑みが見えたような気がした。



       どうぞどうぞ、お元気で。 


晴れ


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ジャンル : ライフ
テーマ : スピリチュアルライフな生き方

タグ : ありがとう 倖せ 出雲教 神官 お宮参り 神社 神道 氏神 お札 お神酒

[ 2006/11/20 10:19 ] ささやかな倖せ | TB(0) | CM(15)


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