今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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『 死にざま 』  ~ 義父の通夜の席で ~




長い長い読経のあとの、お坊さまのお説教のなかで。

こころにざらっと。

途轍もない違和感を覚えてしまった部分 を 忘れないために記す。



お坊さまは、私より、ひとつ歳下でいらっしゃる。
ほんの一月足らず前に、お仏壇を新しくし、
入佛式 を執り行っていただいたときに、親しくお話をしたばかり。

幼少時より、両足に麻痺を起こしておられ、
何処へ行かれるにも、二本の杖にすがりながら、
たくさんの荷物を抱えてご自身で歩んで来られる。

畳のうえでは、足を投げ出して座られ、
座ったまま、後ろ向きに、両手でご自分の身体を滑らせて移動される。


それは、外で使用している二本の杖を
そのまま屋内で使う訳に行かないと思われ、
そのようにされていたことに後で気付いた。


腕で自分を運んでいらっしゃるため、
両腕と胸筋を鍛えておられるのがよく判る。

お声は腹から出される良いお声で、迫力がある。
心身共にとても修行なされていることが、言の葉の端々に窺える。


要所要所は、とても深く感じ入り、
唸ってしまう部分もあるのだが、
肝心要の部分が、私には、どうしても承服し難い。

単なる私の思い上がり、だとは思えない。

ひとの思想のバックボーンを司る、
宗教とは、恐ろしいものだと改めて思う。

同じ仏教であり、ほんの僅かの宗派の違いであっても、
その「違い」が、「それはそれ、これはこれ」と互いに尊重し合えない。
看過出来ない根本の部分だったりするのだから、始末に終えない。


まさに、改めて。
世界各地の「宗教戦争」の根の深さ、終わりのなさに想いをはせる。

まして共に「聖地」とされた場所をめぐっての戦争たるや。



  ◆  ◆  ◆



義父の通夜の席で。


以下は、お坊さまの話の違和感ではなく、目からウロコだった部分。



    昨今、「 生きざま 」という言葉が、好んで遣われているようだ。

    しかし私には、そのひと本人が 「 自分の生きざまを賭けて 云々 」と
    語ることは、非常におこがましいように感じている。

    それは違う。 単なる粋がり、カッコづけだと思う。


    そのひとの「 生きざま 」が、どんなものであったか、
    如実に証明するのは、そのひとの「 死にざま 」である。


    どんな死に方をしたか、どんな通夜で、葬式であったか。
    その席に集まったひとびとの顔ぶれ、態度、会話。

    それらのものが、そのひとの「 生きざま 」を証明するのである。





そこからお坊さまのお話は、「因果応報」についてだった。

   (結局、義父と通夜の席に集った方々を褒め称えて下さった訳だけど、
    なんだか非常に居心地悪し)


ペン問




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ジャンル : ライフ
テーマ : 生きるということ

タグ : 生きざま 死にざま 通夜 説教 僧侶 お坊さん 仏教 宗派 法会

[ 2005/11/13 00:00 ] 徒然草 | TB(0) | CM(13)


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