毎年、朝から晩まで座る暇なく おさんどん な お盆。
さんざん迷ったが、長義兄家族は帰省しない由だし、
我が家の人員も殆ど居ないので、
今年は不調を理由に、義母宅へ行かず、ゆっくりさせていただいた。
お盆に、自宅でゆっくりするなんて、結婚以来初めてのこと。
私にとっては 一大決心、大覚悟、な訳で。
その分、当然ながら気ばかり遣って、しっかり胃痛の日々。
こんなことなら、行けばよかった、、なんて思ったり。
自宅に居ても、義母からは
「 何をつくろう、どうしよう 」と、 あれこれと朝昼晩に電話あり、
つくったおかずを 私の分まで用意して、持って来られる。
…恐縮で 胃が縮む。
罪悪感を少しでも薄めたくて??
こちらからは、蕨餅と抹茶のババロアを大量につくり、
下の少年に持って行かせる。
ゆっくりさせて貰って、おかずまでお裾分けして貰い、
義母や次嫂さんに有難く思わねば、バチが当たる、、と思いながらも
「 私が居なくても、回るぢゃん 」。
ひとたび、そう思ってしまうと、
想いは一気に、亡き父のもとに飛んでいく。
居なくて回るものだったのなら、
せめて父の命日である14日だけでも、毎年、母の傍に在りたかった。
「命日だから帰っておいで」などと、言われてみたかった。(大甘)
自宅でゆっくりする位なら、今年は帰らせて貰えば良かった、と。
今年は、20回忌となる。
14日に実家に電話をしてみた。
毎年、盆行事が落ち着くまでは、帰宅するのは真夜中過ぎるため、
とても電話もできなかったのである。
お坊さまをはじめ、たくさんお参り下さったようで、
幼い頃にお世話になった、思いがけないひとと話もできた。
その御方から、何故、帰って来れないのか、と叱られる。
真宗では、みな仏になっておられる訳であるから、
盂蘭盆会に、特別なお供えをしたり、ナスやキュウリの動物、
迎え火、送り火、精霊流し、などはしないのだけど、
仏壇やお墓をきれいにして、皆、お参りはするのです。
叱られて、「ごめんなさい」と言いつつ、涙がこぼれる。
こんな風に年上の懐かしい御方に、
子ども時代のように名前に「ちゃん」を付けて呼ばれ、
温かく叱られて、素直にごめんなさいが言えて、
甘えた涙がこぼれる、なんて、10数年ぶりではなかろうか。
電話線の向こうは、「嫁」ではない、「私」が「私」で在る世界。
幼いときから「私」を見つめ、育み、愛してくれた世界。
電話線のこちらは。
あいたたたっ。。。

私としたことが、ホームシックだ~~ぃ!!
こだわるものには、とことんこだわる父は、
生前に子どもたちにお墓で苦労かけまいと、
そして、何より、自分が気に入り納得できる墓を建てたかったため、
私の大学卒業後から(←金食い虫で本当にごめん!!)
母と懸命にお金を貯め、自宅近くの墓地に建てた。
決して裕福でない我が家に見合った、墓石も極々シンプルで小さなものだが、
自らも達筆である父は、字だけにはこだわり、
何人もの彫師さんを訪ねて歩き、これは、というひとにお願いしたのである。
お気に入りの墓が建ち、
自分の父と母の骨を本家に分骨して貰いに出掛け、
一握りの土くれと化したものを
「土に還るのがほんとだから」と骨壷に入れず、そのまま納骨堂に納めて。
そして、父も逝き、父の願い通りに骨壷に入れず、土の上に置いた。
あの日以来、母は、毎日のように散歩がてら墓参し、
父と共に土に還る日をずっと待ちわびている。
私もそこへ行きたい。
私も父母に抱かれて同じ土に還りたい!!
昨年より、ことあるごとに強烈にそう願う自分に戸惑っている。
夫の両親が、そろそろ自分たちの墓を、と
言い始めたからかも知れない。
私はこの地に骨を埋めたくない!と 強烈に想うからかもしれない。
夫の実家と宗派が違うのも、自分のなかで消化しきれない。
夫自身は無宗教ではあるのだが。
こだわるから、苦しい?
のみこめないから、消化不良になる?
死んでしまえば、骨など、墓など、何の意味も無く、
『千の風』になるのであるのに。
父がなくなったとき。
母は立派な「おとな」であり「母」だった。
「 今後、私がいつ、どのような形で逝くことになっても決して悲しまないで。
どうか、私のために喜んで。
私は、1日も早く、おとうさんのところに行きたいのだから 」
そう、きっぱりと言ったひとだった。
つい先日、「当時の母は52歳だったのだ」と気付いて愕然とした。
現在の私とそんなに変わらないって、どゆこと??
……あまりに進歩のない、成長してない自分にがっくり。
以前、日記に、母は私の(越えられない)目標だ、と記したが、
全然ダメぢゃん>ぢぶん。
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