今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

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やっぱり今年もお餅つき




 「 今年は、喪中でもあり、餅つきは止めよう 」と義母が言ったので、
実は、罰当たりな私は少し喜んでいた。


近年は蒸篭蒸しを止め、餅つき機で蒸し、つくようになったのだから、
随分楽にして貰ったのであるが、それでも1日仕事。


  神仏にお供えする鏡餅から、白の平餅、餡子餅、蓬餅、豆餅。。。。

   ( この神仏お供え分だけで、ひと臼分。

     近隣のちっちゃな祠、全部にお供えするのである )


自家製のお餅は、本当に美味しいけれど、
とにもかくにも準備から大変。

2日前より、餅米を水にかす。

自家製の小豆を炊いて餡づくり。
蓬を摘んでゆがいて、アク抜きし、
冷凍しておいたものを自然解凍させ、細かく刻む。

納屋の奥に仕舞いこんでいる餅つき機を出し、セッティング。
同じく奥深くに仕舞いこんでいる餅を丸めるための机を出し、
布を貼り、押しピンできっちり止めておく。

台所の床に敷くための茣蓙を3枚干しておく。

餅箱を出し、水洗いし、日光消毒。


そして、後片付けは、当然、現状復帰。
どうかすると、2~3日仕事の忙しさ。

大量のお餅を冷凍保存する場所にも頭を悩ます。

「なまこ」の形に整えた豆餅を1cm程度に切っていくのも、
大量であるために、大仕事で、手のひらは赤く腫れ、
鋼鉄の肩がダイヤモンドの肩になる。

各種取り揃えたお餅をそれぞれの家族に分け、
種々の野菜と併せ、年末最後の宅配便に間に合うよう駆け込み、
次義兄宅へ送る。

数々の祠参りをし、お供え餅を供えて回る。。。。



  ◆  ◆  ◆



最盛期には、【2斗】ついて、4家族に分けていた。


小さな少年たちも真っ白になりながら、
お餅を丸めるのを手伝い、餡をこっそり口に入れ、
どたどたと賑やかに、笑い声がハジけてた。


餅つきのために、三兄弟が一家で27日頃から帰省し、
それからずっと年末年始を共に過ごしてきたのであるが、
子どもたちが大きくなるにつれ、
子どもたちには子どもたちの予定が入り、
27日から全員が集うのは、段々と無理になってきた。



そして、私たちがこの地に転居してからは、
餅つきは、義母と私の仕事になった。。。。。


長義兄宅は、(おそらく大変だろう、と私たちを思いやり)
自分たちで餅つき機を購入し、
 「 自分たちの分は自分たちでつくから、いいよ 」と言ってくれ、
1家族分楽になった。


しかし、義母は、何より長義兄にお餅を食べさせたかったのだから、
それがとても不満で、毎年のように愚痴る。

 「 豆餅だけでも、餡餅だけでも送ろう 」 と言う。




六七日の法要が終わって、

 「 今年、喪中だから餅つきはしない。
   食べたいときに、欲しいだけ、買おうと思う 」 と

長義兄に言った義母に、長義兄が、

 「 それなら、今年は、僕らがつくよ。
   そして送ってあげるから 」



これが義母のこころに火をつけた。

 「 はぁ?
   あんたにそんなことはさせられん。
   まだまだ私がつくんぢゃけん!! 」


鼻息荒く、もち米を手配し、28日に急遽つくことになった。


   私がつくんぢゃけん。 って、、、……orz....


28日は上の少年が帰省してくるので、
ささやかなパーティ、予定してたのにな。



つきましたよーーーー。 【 1斗 】。


2升づきだから、5臼。


腰が痛いよーー、 膝が痛いよーー。
ウォーキングも3日目にして、お休みだよーーー。  2日坊主だよーーー。
 

号泣

…… んでも、毎年同じ日に同じことをする意義は大きいかも。 
お餅を丸めつつ、1年、さらにもっと昔を振り返り、しみじみ致しました。
義父の話、三兄弟の子どもたちが幼かった日々。




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タグ : 餅搗き 喪中 喪中なのにお餅つき 嫁稼業 年末年始の嫁稼業

[ 2005/12/28 00:00 ] あれやこれや ^o^; | TB(0) | CM(14)

盂蘭盆会





毎年、朝から晩まで座る暇なく おさんどん な お盆。

さんざん迷ったが、長義兄家族は帰省しない由だし、
我が家の人員も殆ど居ないので、
今年は不調を理由に、義母宅へ行かず、ゆっくりさせていただいた。


お盆に、自宅でゆっくりするなんて、結婚以来初めてのこと。
私にとっては 一大決心、大覚悟、な訳で。
その分、当然ながら気ばかり遣って、しっかり胃痛の日々。
こんなことなら、行けばよかった、、なんて思ったり。

自宅に居ても、義母からは
「 何をつくろう、どうしよう 」と、 あれこれと朝昼晩に電話あり、
つくったおかずを 私の分まで用意して、持って来られる。
…恐縮で 胃が縮む。

罪悪感を少しでも薄めたくて??
こちらからは、蕨餅と抹茶のババロアを大量につくり、
下の少年に持って行かせる。



ゆっくりさせて貰って、おかずまでお裾分けして貰い、
義母や次嫂さんに有難く思わねば、バチが当たる、、と思いながらも



  「 私が居なくても、回るぢゃん 」。



ひとたび、そう思ってしまうと、
想いは一気に、亡き父のもとに飛んでいく。

居なくて回るものだったのなら、
せめて父の命日である14日だけでも、毎年、母の傍に在りたかった。

「命日だから帰っておいで」などと、言われてみたかった。(大甘)

自宅でゆっくりする位なら、今年は帰らせて貰えば良かった、と。



今年は、20回忌となる。

14日に実家に電話をしてみた。
毎年、盆行事が落ち着くまでは、帰宅するのは真夜中過ぎるため、
とても電話もできなかったのである。

お坊さまをはじめ、たくさんお参り下さったようで、
幼い頃にお世話になった、思いがけないひとと話もできた。

その御方から、何故、帰って来れないのか、と叱られる。

真宗では、みな仏になっておられる訳であるから、
盂蘭盆会に、特別なお供えをしたり、ナスやキュウリの動物、
迎え火、送り火、精霊流し、などはしないのだけど、
仏壇やお墓をきれいにして、皆、お参りはするのです。


叱られて、「ごめんなさい」と言いつつ、涙がこぼれる。


こんな風に年上の懐かしい御方に、
子ども時代のように名前に「ちゃん」を付けて呼ばれ、
温かく叱られて、素直にごめんなさいが言えて、
甘えた涙がこぼれる、なんて、10数年ぶりではなかろうか。


電話線の向こうは、「嫁」ではない、「私」が「私」で在る世界。
幼いときから「私」を見つめ、育み、愛してくれた世界。


電話線のこちらは。




あいたたたっ。。。               ペン潤
私としたことが、ホームシックだ~~ぃ!!



こだわるものには、とことんこだわる父は、
生前に子どもたちにお墓で苦労かけまいと、
そして、何より、自分が気に入り納得できる墓を建てたかったため、
私の大学卒業後から(←金食い虫で本当にごめん!!)
母と懸命にお金を貯め、自宅近くの墓地に建てた。

決して裕福でない我が家に見合った、墓石も極々シンプルで小さなものだが、
自らも達筆である父は、字だけにはこだわり、
何人もの彫師さんを訪ねて歩き、これは、というひとにお願いしたのである。



お気に入りの墓が建ち、
自分の父と母の骨を本家に分骨して貰いに出掛け、
一握りの土くれと化したものを
「土に還るのがほんとだから」と骨壷に入れず、そのまま納骨堂に納めて。



そして、父も逝き、父の願い通りに骨壷に入れず、土の上に置いた。

あの日以来、母は、毎日のように散歩がてら墓参し、
父と共に土に還る日をずっと待ちわびている。




私もそこへ行きたい。
私も父母に抱かれて同じ土に還りたい!!




昨年より、ことあるごとに強烈にそう願う自分に戸惑っている。


夫の両親が、そろそろ自分たちの墓を、と
言い始めたからかも知れない。

私はこの地に骨を埋めたくない!と 強烈に想うからかもしれない。

夫の実家と宗派が違うのも、自分のなかで消化しきれない。
夫自身は無宗教ではあるのだが。


こだわるから、苦しい?
のみこめないから、消化不良になる?

死んでしまえば、骨など、墓など、何の意味も無く、
『千の風』になるのであるのに。





父がなくなったとき。
母は立派な「おとな」であり「母」だった。


「 今後、私がいつ、どのような形で逝くことになっても決して悲しまないで。
  どうか、私のために喜んで。
  私は、1日も早く、おとうさんのところに行きたいのだから 」

そう、きっぱりと言ったひとだった。


つい先日、「当時の母は52歳だったのだ」と気付いて愕然とした。
現在の私とそんなに変わらないって、どゆこと??


……あまりに進歩のない、成長してない自分にがっくり。


以前、日記に、母は私の(越えられない)目標だ、と記したが、
全然ダメぢゃん>ぢぶん。


ペン花火




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