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今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

『 制服考 』



   * 『 制服考・序 』 に続く。




先般より、全国では、小学校で 【 制服 】 が定められている地域は、
意外に少数であることを改めて教えていただき、嬉しかった。


広島市の小学校は、
『 強制 』 云々の議論を避けるためか、
殆どが【 基準服 】 と言ってはいるが、
事実上の 【 制服 】 (必ず着用しなくてはならない)である。


上の少年の制服は 詰襟学生服であり、見た目も窮屈そうで、
衣替えの時期が近付くと、汗まみれとなり、とても可愛想だった。


この地に転居した当時、
町政だったこの町の7つの小学校(現在統廃合され5つ)では、
どんどん 制服 → 基準服化 し、廃止されて行っていたのだが、
うちの小学校だけ根強い反対派が多く、完全【制服】だった。

私が副会長になって2年目。

多くの保護者からの苦情、相談を受け、
思い切って校長、会長と掛け合い、
制服検討委員会を立ち上げ、委員長の指名を受けて苦節10ヶ月。

 「 皆で考え、皆で決めた 」形となるよう、苦心し、努力し、

頑張って頑張って、PTA会員全員の選挙によって、
制服廃止、とすることができた。


表立って制服廃止論議が交わされてもいないところに、
こうした委員会を自分が中心となって立ち上げることで、
【波風】を立て、大嵐のまっただなかに在ることになるのは判りきっていたが、
それでも最後まで闘うことを決意して、頑張れたのは、
何より、低学年の女児のおかあさん方の嘆きからだった。

         我が家の少年たちも肌が弱く、特に夏の体操服のデザインで、
         胸元が化繊でこすれて腫れあがっていた、、、ということも
         ことある毎に萎えそうなこころを励ましてくれた。








うちの小学校の女児のスカートは、細いプリーツスカートで、とても広がるデザインだった。

雨の日は、湿気を吸って重たくなり、プリーツもよれよれ。
小学生に毎晩「寝押し」をさせるなど、酷な話だと思う。

成長するのを見越して、大き目のサイズを購入するため、
女児のスカートはだいたいがダブダブで長いところに、トイレは和式。

和式に慣れない女児が、トイレでしゃがむと、スカートがトイレの床を掃除するが如く。
場合によっては、とても悲惨なことになる。

ウールで高価な制服は、そんなに洗い替えは持てないし、洗ってすぐ乾く訳でもない。
( 濡れると独特なイヤなにおいもする)

スカートだから、休憩時間などに、外でめいっぱい活発に動けない点も見逃せない。


脚に大きな火傷の痕がある女児の保護者からも相談を受けた。

火傷の痕に対しての理解が得られる学齢になってからならまだしも、
単に「気持ち悪いから」等々で、残酷な言の葉を浴びせ掛けられたり、
性格形成の大事な時期に、排除されるようなイジメに合うことが辛い、と。

 「 それも○○ちゃんの個性だよ 」

そんな言の葉で、皆が様々なことに気付き、尊重しあえる学齢ではない。



もうひとつ。

制服の脱着の問題がある。
デザインによっては、詰襟、カッター、ブラウスなど、ボタンがたくさんあり、
詰襟には、ボタンの上に、襟のところに小さなホックまである。

小学校低学年では、まだまだ月齢差や個人差が大きい。
きちんと身だしなみを整えるには、慣れるまでとても時間が掛かる。


体育のための更衣で、どうしても時間が掛かるお子たちが出て来る。
加えて、みなが同じ服であるから、服の取り違え事件は日常茶飯事である。


何ごとも「訓練」次第、という論をよく耳にするが、
殆どのお子たちがそれぞれの心身の成長につれて、
いつかはきちんと決められた時間内に更衣できるようになるのである。

何も低学年で、5~10分以内に更衣できないから、といって、
先生が叱らなくてはならなかったり、みんなからバカにされたり、お荷物扱いされたり、
同じグループのみんなに迷惑をかける、と悲しい想いをすることはないではないか、と私は思う。

月齢差でも大きいのに、まして心身に障碍を持っていたりすると、
どうしたって、時間が掛かる。
こんなつまらないことで、幼いお子たちが傷ついたり、自信をなくしたり、
先生がいらいらしたりするのは、非常にナンセンスだと感じる。

( 体育の時間に、体育ができる服装に更衣することには大賛成。
  体操服は、絶対に必要だと思っている )



もうひとつ。


様々な事由で「お受験」をし、不合格となったお子たちのこころの問題。

これについては、基本的に「受験」の選択は自己責任ではあるし、
どちらかといえば小学校より中学校の方が大きいと思っている。
そして、家庭内でじっくり話をし、家庭内でクリアしていって欲しい問題だと思う。

だが、夢破れ、「不合格」となったこころの傷を抱えて
希望していなかった学校の【制服】を着用することは、辛いだろうな。
お子たちによっては、不登校に繋がりかねない。
親子で気持ちの整理をし、立ち直り、
この学校を自分の学校として愛し、誇りを持って学べるようになるまで、
随分の時がかかるだろうな、と思ってしまう。

強制された【制服】でなければ、こころの傷は随分違うのではないか、と思ってしまう。
(実際にそういうお子たちの声を聞いたので)








過日、小学校の離任式に出席し、久々にずらり並んだ子どもたちを目にした。
そこで、制服廃止を決定して、下の少年と共に卒業するまでの2年間、
2度ほど「本当に良かったのか?」と自問せねばならなかったことを思い出す。

ただ、女児たちを見て、
スカート大好きな女児はスカートで。
でも、殆どの女児が、ジーンズやスパッツで飛び跳ねている姿を観て、やはり嬉しかった。



うちの小学校だけが、【制服遵守】する古い地域で。

これを打ち破っていくのに、どんなに波風が立ち、
どんなに頭を下げて回り、どんなに攻撃されたことか。

町教委や町議会からは、


  「 ○○町の恥 」  「 ○○小、末代までの恥 」。

  「 ○○町、最後の良心の火を消すのか 」

  「 誇り、伝統を踏みにじって平気なのか 」等々。

    町長からは卒業式の式辞でも、批判された。


その都度、

  「 この制服に込められた【伝統】とはなんでしょう 」
  「 ○○小の伝統とは、制服をやめたら、なくなっちゃうんですか? 」

互いに、あー言えばこー言う、こー言えばあー言う、
消耗するだけの  低レベルな喧嘩  激烈な議論となった。


町教委や町議会からの物言いは、腹が立つだけで、怖くもなんともなかったが、
町内の小規模な【制服指定店】店から、
「 存続の危機 」 だと詰め寄られると、とても辛かった。


6年経過してもなお、未だに匿名の苦情が、私に来る。
その様々な訴えに、何ごとも自由には責任がともなうということ。
そして その「 自由である 」 ということの
意味の取り違え の 凄まじさに、頭を抱えるような想いをする。


それでも、私は。
やっぱり やっぱり 「 学区制 」の
公立小中学校 の 【 制服 】 には反対する。


子どもたちや保護者に、選択の余地がないのに、
制服によって「その学校の児童生徒である誇り、自覚を持て」など、
全くナンセンスであり、上から強制されたものでしかない。

子どものうちに、身体を締めつけない、化繊等々でアレルギーを起こさなくてすむ、
毎日洗濯できて、清潔の心地よさを肌身で知る事ができ、
色や形の組み合わせの妙に感動し、自分の個性をあれこれ発見し、
ゆったりと伸び伸びとした衣類で、日々たくさん遊んで、学んで、TPOをも学んで欲しい。

高校進学時に、制服をも含めた自分の志望校を選択し、そのために努力し。
そして、初めて誇りを持って、制服に腕を通し、自己を律す。。。ような形で在って欲しいと。


燃


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制服考・序



昨年、段ボール3箱分のPTA資料をシュレッダーにかけて処分した。
それでもまだ、特に苦労した 小学校PTA副会長時代の
制服廃止へ向けての 『 制服検討委員会 』 の資料を始め、
どうしても捨てられなかった資料が、2箱分、残っている。


今日のお片づけの途中、その2箱に手をつけたのが失敗。 


つい、読みふけってしまった(゚゜)\バキ☆



私は 学区制 の 公立小中学校の【制服】 について、
反対の意見を持っている。

それには、幾つかの切実な理由もあるが、
とりあえず、前々から書こうと思っていた 【 制服考 】 の序、として、

「 公正・公平 」を旨としなければならないハズの
『 制服検討委員会 』 の委員長でありながら、
全保護者に向けてアンケートを実施した際、
自分が書いた文書の下書きが残っていたので、
たちまちは、これをそのままアップしておこうと思う。

(これを書いたのは、99年6月30日。
 既に7年経過しようとしているが、
 現在も寸分違わず、当時の想いと同じであることに我ながら驚いている)。











    子どもたちが、いつも洗いたてで、清潔で。
    そして、育ち盛りの身体を締め付けず、動きやすい衣類で、
    元気にはねまわっていて欲しい、と願うのは私だけでしょうか。


    名札で見分ける必要がないほどに、個々の子どもたちがその子らしく、
    常に輝いていて欲しい、と願うのは私だけでしょうか。


   「制服」を着るときちんと見える、のは、
    あくまで見てる大人が持つ印象であり、着ている子どもたちの声ではありません。

    発表会や式典に服が揃わないと「見苦しい」のは、
    大人たちが「見た目」だけを問題にしているからではないでしょうか。

    個々の子どもたちが、日々何を考え、何を感じ、どのように表現しているか。
    いつも中身が問題であって欲しいと思います。


    「制服」とは、他者に自分の身元をはっきりさせ、
    着るものにその自覚と責任を持たせるためのもののような気がしております。

    会社の制服は、職業(職種)またはその会社の社員であることを示すため。
    学校の制服も「我が校の生徒」と他校の生徒をひと目で区別するためのもの。

    ならば、この地域に籍を置く以上、
    私立でなければ選択の余地なく、この学校で学ぶことになる●●小では、
    ●●小の生徒である「自覚」や「責任」を
    「制服」を着用させることで培わせる必要はないのではないか、と感じます。

    それらは、学校や先生とのかかわり、地域の方々とのかかわりのなかで
    学び、培われるものだと考えます。

    私服化すれば、「服装」に個の主張が顕れ、危険過ぎるといわれるならば、
    逆にそれは、個々の子どもたちの内面を識る、
    大きなシグナルとなってくれるようにも思えます。

    私服化すると派手になる、という心配に対しては、
    高価な衣類、ブランドの衣類「だから」かっこいい、という価値観を
    蔓延させないような保護者であるよう努めることで防げましょう。

    確かに、子どもたちのの好みと保護者の経済力で、
    高価な衣類がバンバンと買い揃えられ、
    それが「普通」「常識」になっていってはならない、と思っています。

    しかし、毎日毎日のことですから、例え一時期、せきをきったように、
    「華美」な方向へ流れていったとしても、毎日の洗濯に耐え、
    機能的、活動的なものが1番である、と、
    落ちつくところへ落ちついていくように思えます。

    また、制服によって、身だしなみが整い、登校するにあたり
    気持ちがひきしまる、という考え方に対しては、
    私は身だしなみ云々、気持ちの在りようは「制服」の有無に関係ない、と考えます。


    もし、今後も「制服」が続くのなら、せめて、基本形は、
    着脱の簡単な、何枚も洗い替えを持てる価格の綿の無地トレーナー。 色は自由。
    下に重ね着するポロシャツ、ブラウス、自由。
    半ズボン・スカートはトレーナー地のものが基本で、色は自由。

    女子は五分丈スパッツ、キュロットも可。
    こういった形であって欲しいと願います。

    こうした「制服」であるならば、
    幼い子どもたちも、手指等を怪我している子どもたちも着脱が容易であり、
    汚れれば、毎日ガンガン洗えていつも清潔。

    校庭でしっかり遊び、放課後しっかり掃除し、
    汚れても破れても、可愛いアップリケ、膝や肘あてができるし、何より、動きが楽。
    アトピーに苦しむ子どもたちにも優しいと考えます。

                   (1999.6.30 制服アンケート自由記入欄への下書き)


メモメモ

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[ 2006/04/27 19:03 ] 本日のPTA | TB(0) | CM(19)