今日も元気で

今、生きて在れることに感謝し、限られた生を慈しみ、楽しんで、感謝のなかに在ろうと決意中。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

PTA活動は、賃金でクリアできるか。




生食家さん の記事『 PTA制度の見直しについて 』を読ませていただき、
生食家さんの苦しい胸のうち、なんとか軽くなられないかなぁって、勝手に書いてみます。




   > 結局はPTAは仕事があろうと、介護しなきゃいけなくても、体調不良でも
   > 妊娠中でも、赤ちゃんが生まれたばかりでも
   > そんなの無視で学校の活動をサポートしなければいけないんです…(´Д`)
   > ほとんどの人が泣いて無理やり嫌々活動しています。




殆どのひとが 泣いて 無理やり 嫌々活動してる PTA活動って、
どんなものなんでしょう。

その意味も意義も全く感じられない、【 犠牲 】としか思えない、
そんなPTA活動なんて、なくしてしまえばいいのに、としか私には思えません。



でも、生食家さんは、パート制の導入を提案されてる。
、、、ってことは、生食家さんちのPTA活動には、
或る程度の意義やら意味やらは、在るってことなんですよね。


んでも、これをPTA会費で賄うとしたら、大変なことだし、
今でさえ諸費の滞納、未払い問題を抱えているPTA、学校では、
会費の値上げは極力避けたいところでしょう。
市からの補助費を、特定役員に支払う、というところでも問題が出そうです。




となると、やはり、
『 できるひとができる形で 』
改め  『 できるときに できる形で 』 クリアしていくしかないのでは、
と思います。


で、そのためには、生食家さんちのPTAさんの役員の決め方から、活動の在り方など、
根本的な見直しは確かに必要になってくるでしょう。













今、ひとりの保護者が自分だけで、自分の子どもたちを
健全に育て上げることは、不可能ではないでしょうか。


次代を担う大切な子どもたちには、来たるべき自立の時期に向け、
幼い自我をぶつけあって、互いに学び、努力して。
自分の足で立ち、社会生活をより良く営んでいけるよう、
心身ともに健やかにのびのびと育って欲しい。

そのために、保護者として、保護者同士と手を繋ぎ、
先生方と手を繋ぎ、協力し合い、子どもたちを見守り育む。

その願いが形となったのがPTAである、と私は思っています。


それは「【 無償の愛 】なるものの押し付け 」なのでしょうか?


私は、違う、と思っています。

ボランティアでもない。

「 PTAはPTAです 」 (by わきさん


ひとの親、となったものとして、
もしくは、この社会に属するおとな、としての、
ひととしての、大きな義務、責務、といってもいい程のもののような気がしています。

振り返れば、幼かった私たちも、
みんな、そうやって周囲の皆さんに育てて来て貰ったのではないでしょうか。





生食家さんのPTA役員パート制導入では、
これまでのPTA活動が、
ひとにぎりの役員(こうなるともう、「職員」でしょう)さんの
機械的な業務となってしまいます。
そこにはなんの感動も喜びも、生じないのではないでしょうか。

子どもたちも、お世話下さるおじさん、おばさんに対して、
「感謝」のこころは生まれないでしょう。
だって、対価を支払う「仕事」なんですから。


PTA活動への保護者のパート制導入は在り得ない。
パート制にしてまでも、PTA活動をしなくてはならないとしても。
それでも。


仕事を辞めさせられるかもしれないリスクを抱え込んだり、
介護しなくてはならない家族を放り出し、
本来なら入院しなくてはならない身体を引きずって、
本部役員以外が、泣いて嫌々苦しみながらしなくちゃならないPTAなど、
ぶっつぶしてしまいましょう。


   いつもいつも保護者ひとりひとりが、子どもたちひとりひとりを見つめ、
   先生方ひとりひとりと温かくて深い交流を持っており、
   子どもたちの必要なときに、必要とされる手を
   いつだってタイムリーに差し伸べることができている。


そんな保護者たちなら、PTAなんぞ、必要ないのです。


   学校行事で、先生が一声かければ、保護者の協力の手がわらわらと集まる。

   学校に、保護者が一声あげれば、たちまちその声が取り上げられ、
   皆の問題としてフィードバックされ、改善に向けて検討され善処されていく。


そんな学校なら、PTAなんぞ必要ないのです。




    ……でも、現実は違いますよね?





自分ひとりでは、我が子を育て切れない。
自分ひとりでは、先生ひとりでは、たったひとりのお子も守り切れない。


何かこと、起きたとき、
家族、親族、近隣の知人友人だけでは如何ともし難いとき。

組織としてのPTAの存在は、きっと大きな支えになってくれるはずだし、
組織として交渉力も持ち、大きな問題の突破口だったりするはずだし、
また、そんなPTAでなくては、ダメダメですよね。

PTAをなくしていくことは簡単だけれど、
1度なくしてしまうと、おそらく立ち上げることはもう不可能です。





できれば、ひとつひとつのPTAが、それぞれに個性を持ち、
楽しく、やりがいを持って、達成感も味わえる。
保護者同士が、たくさんの顔見知り、新しい友人をつくれる、
素敵な組織であって欲しい。

皆忙しい時間をやりくりして集うひとときを、
楽しく充実したものにできなければ、本当に勿体ないことです。



そのためにも、『 できるときに できる形で 』。



皆が助け合い、【 負担 】がより少なくなっていければ、
役員さんたちも楽しめるのではないでしょうか。

役員さんは、いろんな事情を抱えた方がいろんな立場で、いろんな視点で。
そして、「できる範囲で」、入れ代わり立ち代りで担っていただくのが
一番いいのではないかなぁと思います。
ひとにぎりの役員さんが職員さんとなったのでは意味がない。


たくさんのひとが、実際に学校へ足を運び、
学校行事を識り、役員の役割を識り、先生を識り。

そして何より、子どもたちの現状を識り、
保護者同士、互いの事情や考え方の違いを識り合うことで、
互いに助け合い、協力し合えて行けるんじゃないかと。

互いに識り合えば、識り合うほど、のほほんとはしていられない。
役員じゃない方々が、役員さんを支え、目標を達成していく。
子どもたちには、そんな保護者同士の姿を見て欲しいと願います。




役員さんが泣かなくて済むように、
役員体験者さんは、是非、その折に感じた想いから、
次期役員さんのこころをサポートしてあげて欲しい。

自分が役員だったときに、悲しかったことが次の役員さんに起きないように。
嬉しかったこと、楽しかったことが、次の役員さんでもそうであるように。

役員さんでない保護者からの、さりげない声掛けや協力は、
新役員さんにとって、とてもこころ励まされるものであり、
大きなパワーになるものだから。


そうした温かなこころのサポート関係を
皆が互いに感じられるようになったとき、
「役員決め」の際の、あの仁義なき戦いの様相に終止符が打たれるであろうし、
「【 負担 】軽減のために、活動を減らしていく 」という哀しいことにも
ならなくなっていくのではないか、と考えます。




      皆で考え、皆で歩んでいく。
      あちらこちらにぶつかりながら、皆が学んでいく。

      例え、どんなに鈍足な歩みでも、
      【 皆で 】歩んでいける、進んでいける活動であるように。




役員さんは役員さんで考えていきたい。
自分たちの活動で、ひとりでも多くの保護者さんの協力を得られるように。
あたたかな共感をいただけるように。


役員さんでないひとは、役員さんでないところで考えたい。
自分があれほど嫌で、【 負担 】で、逃げ切った『役員』を引き受けられ、
1年間、歯を食い縛って頑張って下さってるひとが在ることを。

役員でない自分には、関係ないことなのか。
自分は何もしなくていいのかどうかを。

できるときにできる形で、ボーダレスなPTA活動、如何でしょうか。


ペン蹴 ペン蹴 ペン蹴


連日、感動だったなり!
いよいよ決勝戦なりよ!!


スポンサーサイト

ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : PTA PTA活動 できるときにできる形で PTA役員 PTA執行部 PTA本部役員 三役

[ 2006/07/07 12:26 ] 本日のPTA | TB(0) | CM(21)

『 続 ・ できるひと が できる形 で』



 「 できるひと が できる形で 」



って言の葉は、読めば読むほど、眺めれば眺めるほど、逃げ道いっぱい。

苦し紛れ の 落としどころ、な言の葉ですよね。


押し付けにならないよう、苦慮されたなかでの知恵の結集な言の葉だけど、
今は、これじゃ、だめだ、と思う。


たちまち明日から、集団登下校、毎日の保護者パトロール等、
ひとりひとりの力が必要とされる毎日が始まる今。


「 できるひと が できる形 で 」では、
どうしたって、「 できないひと 」 が出てくるよね。

本当にどう逆立ちしても、どんなに想いがあっても、
物理的にどうしようもない。 今できない、ひとは確かにいらっしゃる。

けれど、殆ど大多数のひとは、
ご自分がご自身を「できない」と決め、そう想っておられるだけ、だ。


拡大解釈、都合いい解釈をされ続け、
果ては「あなた、できるひと、私、できないひと」などと
括っていかれてはたまらない。




  「 できるとき に できる形で 」 



ぅん。 これで行きましょう!!


誰でも。 何かはできるんです。 いつかは。 きっと。


ぅん。 私はこのスタンスで行きたい。 これで 行こう。





    ◆  ◆  ◆




わきさんからのメッセージ、
そして、トラックバックいただいた_AZ_さんの日記を読ませていただいて、

あたかも例えるなら、


_AZ_さんのご主張は、『 信長 』 タイプ。

わきさんの形は、『 秀吉 』 タイプ。

んで、私の悠長な理想論は、『 家康 』 タイプだと感じてしまいました。


んでもね、結局、三者が感じてるところ。
本当は目指したいところ、は、一緒のところなんだよね、と
私には、びしびしと伝わって来ちゃう、と思うのは、読み込み過ぎ、でしょうか。



_AZ_さんは、

  本当に出来ないひとにも、面倒だから出来ないというひとにも、
 「何なら出来る?」と問い掛けることは愚問であるし、
  下手をすると、プレッシャーをかけて脅迫しているようなものになるし、
  どういう聞き方、言い方をしても断られるために、時間と神経の無駄だと。


  > 無理にやって貰っても、どうも無責任で、かえって周りが困る事も多いし。
  > やりたい人だけで やるんでもいいんじゃないかな と。
  > で、集まった人達で「出来る範囲」の仕事をする。
  > 年によっては、広報委員がいないといか、
  > 文化委員がいないとか、
  > それもありなんじゃないかな?と。


一見、乱暴に読めるこれらの言の葉の間から、
それでもひとりでも多くの方々に声を掛け、心配りをされ、
その度にずたずたになって来られた_AZ_さんの切なさが垣間見えます。

あぁ、もう、できるひとだけで、たったかたったか前向いてヤってしまって、
文句言うひとには、勝手に言わせておいて、
あー、もぉ、それでいいぢゃん。
ヤるひとは、工夫して知恵を絞りだしてヤって下さるし、
ヤらないひとは、どうやってしないよーーー。 もぉ、イヤだよーーー。

って、泣いておられる_AZ_さんに、
それでも。
それでも、やっぱり、声掛けて行こう。
ヤるひと、ヤらないひと、の線を取り外したい。
ひとりでも、輪を広げようって、言ってしまいたい私は、鬼かも。。。


だって、ひとは変われる。
横向いてた御方が、2年後執行部に、なんてケースもたくさんあるんですもん。



わきさんは、


  > どちらかというと『できないなら、できるようにしちゃえ!』と
  > いうような奴なので、やりたくない人からは嫌われたかも・・・。


とにもかくにも「できる形」に持っていこうとされ、
役員さんとそうでない会員さんとの軋轢にこころを砕かれたようにお見受けします。





それぞれの学校の、それぞれのPTAに。


どんな行事があって、そのために、どんな役員、委員、係があって、
それぞれにどんな仕事をしているのか。


私は、やっぱり、皆さんに知っていただきたいですね。

少なくとも、今現在、PTAの執行部に在り、
それを執行してきたもの、には、その努力をする責任がある、と考えます。


 「 あ、私、これだったらできる 」と思っていただけるかもしれないし、

 「 これをこんな形に変えていただけるんなら、できそう 」と
   新しい観点からの提案までいただけるかもしれないし、

逆に、皆が皆、
 「 えーー、こんな大変なこと、できない!」と、一斉に退かれるようなら。

それは、「そういうもの」だと思って、受け継いでは来たけれど、
今の時代、実は、人数調整でも如何ともし難いようなものかも知れず、
廃止の方向も含めた、再考の価値がある行事や運営内容かもしれない。


PTAの行事が、役が、何故あるのか、何のために在るのか。

どの学校もどのPTAも、多かれ少なかれ、見直しの時期に来ているのだと思う。



これから、お金がないので、
教職員、保護者共々、同床異夢ながら、同様に右往左往するなかで、
小学校の統廃合、小中一貫、中高一貫、どんどん進んで行きます。


そんななかで、
いざ、コトが起こったとき。

よっしゃ!と、誰もが子どもたちのために、
駆けつけて来て下さるような関係性が築けている学校であれば、
PTAなんて、なくて構わない。


自分の子どもたちだけでなく、周りの子どもたちもしっかり観えており、
学校の抱えている問題、先生方の直面している問題、
クラスの雰囲気、課題、、、、それらのことを、ちゃんと把握できており、
よりよい子育てに向け、誰もが頑張れる体制に常に在るなら、PTAなんて、必要ない。


しかし、現実はどうなんでしょう。


「 コト 」とは、昨今の不幸な事件に限りません。

子どもたちのクラブが全国大会へ初出場が決まった! さぁ、どーする?
学校が、全国国語教育推進モデル校に決まり、
2ヵ月後に全国規模での参観がある! さぁ、どーする?
隣の小学校のクラブと試合中にトラブルになり、喧嘩沙汰にまで発展し、
不幸なことに怪我人が出てしまった! さぁ、どーする?
小学校が来年から隣の小学校へ統合されることになり、片道5km。
毎日我が子を送り迎えしなければ、不安で仕方がない! さぁ、どーする?


今は、我が子に直接かかわりなくとも、
およそ、ありとあらゆることがいつ、どのように起きるか判らない。

そんなとき、一保護者としてどう動き、どう我が子(だけ)を守り抜くのか。

果たして、タイムリーに動けるだけの情報を、自分は持ち合わせているのか。




どうも、私の生き別れの弟であるらしい(笑)かいちょーさんの『 うだうだ考える 』ななかで、


  > というわけで、保護者は学校の様子を知るべきだし、
  > 先生のことを知るべきだし、自分の思いを伝えるべき。
  > そのためにはどうすればいいの?
  > まずは学校に行ってみなきゃ始まらないんじゃない?


と、書いておられました。

なんだか、もう、それに尽きる、ような気がします。


今の時代、保護者が学校を識る、ということ。
学校での子どもたちの様子をしっかり観る、ということ。


子どもたちがどんな表情で授業を受けているか。
子どもたちが、どんな友だちに囲まれ、どんな笑顔をしているか。
先生方がどんなにご努力されているか。或いは手抜きをされてるか。

子どもたちの日々の喜び、悲しみは、何処から生じてきているものなのか。

それらをしっかり観て、識る、ということは、
今の時代、決して「過保護」とかなんとかいう次元ではなく、
学校や我が子に対する自分自身の見識を正す、理解を深める大きなチャンスだし、
現実を観、そのなかで生き抜く力を培おうとしている子どもたちへの応援であり、
学校や先生方に対する「観てるよ」な、
とっても大きなメッセージ(激励、感謝、けん制)になる、と思います。




で、子どもたちが登下校中にまで、いのちの危険がつきまとうようになって来た今、
保護者のパワー、地域のパワーの結集が、まさに望まれている訳で。




どうせなら、PTA活動は楽しく、意義深いものでありたい。

そして、役員さんが流される涙は、達成感での感動の涙だけであって欲しい。

役員じゃない方々が、役員さんを支え、目標を達成していく。

子どもたちには、そんな保護者同士の姿を見て欲しいな、って、やっぱり思う。


そのためにできること。 できる形。 できるとき。

なりふり構わず。

考えて行きたいし、動いて行きたい。(けど、終わっちゃった・(淋))。


メモメモ



ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : PTA PTA活動 PTAは何のため PTAの存在意義 できるときにできる形で PTA役員 役員と非役員

[ 2006/01/09 15:31 ] 本日のPTA | TB(0) | CM(30)

『 できるひと が できる形で 』 ??



先の記事に続いて、あそびすとさんの 『 そろそろPTA 』

★のん★きっずさんの 『 3学期の課題 』 へトラックバックさせていただきます。




あそびすとさんの3)、全文引用 (改行 りうりう)


   > 3)PTA活動

   > どうしても平日昼に偏る活動。
   > もっと活動のバリエーションが増えれば、いろんな人が参加できるという
   > ごもっともな意見と、活動が多すぎるというごもっともな意見。

   >「できる人が出来ること」「やりたい人がやりたいこと」をということが
   > こんなにも難しい。
   > 年2回まわってくるだけの全員持ち回り当番でさえ、負担の声が上がる。

   > できる人が出来ることをすることが、できる人に負担を強いることになり、
   > できる人の好意に甘えることになるという認識、
   > 私自身は、それはできる人の選択なのだから、
   > 負担を強いることにはならないと思っているが、
   > 現実には、そう考えられてはいない。

   > P活動はボランティア活動なのか? サークルなのか? 




う"ぅ。 悲しいよね。


PとTが、子どもたちを守り、あたたかく見つめ、
よりタイムリーなサポートをしていこうとするために、
互いに顔見知りとなり、こころと手をつなぎあうことが、当たり前、でないなんて。


あたかも「 強制 」のように「 負担 」になってくるなんて。


でも、今や、皆が皆忙しく、
貴重な皆さんのお時間や労力を割いていただくお願いをするときに、
その問いかけが、いつだって根本に来る。


うちのPTAでは、幸か不幸か、
公然と「PTA不要論」をぶつけて来られる御方はいらっしゃらなかったが、
私は、【 なくて済むものなら、ない方が幸せなシステムである 】という
逆説のもとに、「PTA必要論」を採っている。


昔、こちらにおいでくださる多くの方々の おそらくきっかけとなった、
  ●  『 PTAは本当に必要か 』
  ●  『  朝の旗振り当番(挨拶運動)考 』 にて、
本文といただいたメッセージへのお答えのなかで、随分思いの丈を綴った。




基本は、『 できるひと が できる形で 』だろう。 どうしたって。


しかし、『 できないひと 』 も、役員さん任せで終わらせるのではなく、
『 どんな形ならできるか 』 考えてみよう、と思ってもらえる活動が必要なのだと思う。
 【 できないひと も どんな形なら できるのか 】



役員さんが1年で交替していく、常に未熟な組織といえるPTA。

その分、毎年毎年、新しい役員さんたちが、手探りしながら体当たりで、
無駄も無理も山ほど体験されながら、それでもなんとか1年を繋いでいかれる。

泣き笑いのなかで、1年前より確実に知り合いを増やされ、笑顔に凄みが増し?、
さまざまに学んで卒業される。



【未熟な組織だからこそ】 大きな魅力が在るとするならば。

私は、そこに大きな希望と期待を生む可能性がある、と考えたい。



役員体験者さんは、是非、その折に感じた想いから、
次期役員さんのこころをサポートしてあげて欲しい。

自分が役員だったときに、悲しかったことが次の役員さんに起きないように。
嬉しかったこと、楽しかったことが、次の役員さんでもそうであるように。


役員さんでない保護者からの、さりげない声掛けや協力は、
新役員さんにとって、とてもこころ励まされるものであり、大きなパワーになる。

そうした温かなこころのサポート関係を皆が感じられるようになったとき、
「役員決め」の際の、あの仁義なき戦いの様相に終止符が打たれるのではないか。



何かことが起こったとき。

やはり頼りになるのは、日頃から交流があって、
気心知れた「顔見知り」であるひとびとであり、
声を掛けて行きやすく、集まりやすい「仲間」である。

さまざまに事情を抱えているのはお互い様なれど、何かこと起きれば、
「 よっしゃ、一肌脱ごう! 」 と言い合える関係。

個々人の輪は小さくとも、
これが、PTAを通じてどんどん増えていき、輪が繋がっていけば、
子どもたちにとって、これほど強力で、安心な頼み綱は他にない。




児童の登下校中に起きた、無残で痛ましい不幸な事件が相次ぎ、
日本全国で、PTAの存在意義、底力、地域の力、といったものが
改めて見直され、内外からテコ入れされつつある今、

『 できるひとが できる形で 』 を 徹底させ、

そしてそこから、1歩も2歩も歩を進めた形を提言したり、
皆で考えていける、素地作りが出来はじめているように感じる。


今。 今、動かねば、もう後はない。

そんなような危機感も、もちろん、抱えつつ。


【完熟していない】組織であるということが魅力のひとつとなるように。


皆で考え、皆で歩んでいく。
あちらこちらにぶつかりながら、皆が学んでいく。
例え歩みが鈍足でも。


【皆で】歩んでいける、進んでいける活動であるように。



役員さんは役員さんで考えよう。
自分たちの活動で、ひとりでも多くの保護者さんの協力を得られるように。
あたたかな共感をいただけるように。


役員さんでないひとは、役員さんでないところで考えよう。
自分があれほど嫌で、負担で、逃げ切った『役員』を引き受けられ、
1年間、歯を食い縛って頑張って下さってるひとが在ることを。

役員でない自分には、関係ないことなのか。
自分は何もしなくていいのかどうかを。


ペン問




ジャンル : 学校・教育
テーマ : PTA

タグ : PTA PTA役員選出 PTA役員決め PTAは何のため 役員と非役員 できるときにできる形で

[ 2006/01/06 00:00 ] 本日のPTA | TB(0) | CM(22)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。